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2007年8月 6日

生長の家の国際教修会が終る (2)

 国際教修会第1日目のメイン・スピーカーであったカリード・アブ・エルファドル博士は、前日にお会いした時、持病から来る疲れのために講演など不可能ではないかと疑ったほどだったが、きちんと約束通りに舞台に登壇され、前日とは別人のようなしっかりとした声で、堂々と2回の講演をこなして控え室に戻られた。イスラーム社会の現状--とりわけ中東諸国のイスラームがどうなっており、何が問題なのか、またイスラームの本質とは何であるかを、はっきりとした英語で話された。「目を醒まされた」という感じがした。アブ・エルファドル博士は毎年8月前半は、母国のエジプトに帰省し、そこでゆっくりと精神を鎮め、祈りと読書に没頭する習慣だったところ、今回は、生長の家のこの行事のために休養期間を短縮されて、カイロからニューヨーク入りし、その翌日に講演をこなして下さったのである。病人でなくても楽でない旅程なのに、何とも申しわけないという気がした。
 
 同博士は講演の中で、今回は「10年来の慣習を破って」休暇を短縮したと仰っていた。誤解のないように言っておくと、今回の講演は、生長の家の側からは無理に依頼したのでは決してない。また、同博士は、健康状態がよくないので、いろいろな所にしばしば講演に招かれる人でもない。さらに同博士は、生長の家を以前から知っていたのでもない。にもかかわらず、有名でもない“他の信仰団体”のために入門的な話さえも厭わずに、不都合や苦痛を押して来てくださったのか、正直言って私にはわからない。もちろん、事前には生長の家について一般的な説明資料は渡してあった。が、それだけである。大学構内へ何度も足を運んで講演依頼をしてくれたアメリカの教化総長の熱意に動かされた部分は、もちろんある。しかし、それだけではない“何か”を、私は今回の博士の側の熱意の中に感じている。
 
 アブ・エルファドル博士は脳腫瘍を患っておられて、歩行も自由でなく、普段の移動は車椅子である。しかし頭脳はあくまでも明晰で、大学の講義や執筆活動は続けていられる。サウジアラビアを中心としたイスラーム原理主義の批判の先鋒にあるため、テロリストからの脅迫もあるらしく、ボディーガードとして大きな猟犬を飼い、大学の研究室は公表されていないらしい。そんな立場にある人が、東洋の東の端で始まった(イスラームと比べれば)小さな宗教運動のために無理を押したり、危険を冒す必要はまったくないのである。博士に会った際、私としては、感謝してもし切れない気持を表明したつもりだが、あまり上手でない英語でどこまで伝わったか定かではない。会場を去られるときには、英語版の『甘露の法雨』『天使の言葉』を初めとした生長の家の英文書籍をお渡しして、幹部一同で見送りさせていただいた。

 ところで、私がどうやってアブ・エルファドル博士を知ったかは、実は昨年1月24日の本欄に書いてあるのである。その「ニューヨークで本を買う」という文章には、ブラジルでの国際教修会の帰途、ニューヨークに立ち寄り、そこの大手書店で買った本のリストが掲げてある。その中に、「Khaled Abou El Fadl, The Great Theft: Wrestling Islam From the Extremists (New York: Harper-Collins, 2005)」という1冊がある。私がこの書店に入らなかったならば、また、大書店の何千冊もある本の中から、私がこの1冊を見つけなかったならば、今回の教修会の内容はまったく違ったものになっていただろう。生長の家では「偶然はない」と説いているが、私は、今回ほどこの言葉の重さを感じたことはない。谷口雅春先生が生長の家を始められる直前、ふと立ち寄った書店の棚にホルムズ博士の著書を見つけたという話を思い出す。
 
 また、イスラームの聖典『コーラン』には、「徴(しるし)」(sign)という言葉を使って、この現象世界は、神から人へ送られる「徴」が満ち満ちているのに、人々はそれに気づかないと書かれている。「本との出逢い」については過去、本欄にも書いたことがあるが、本だけでなく、我々はあらゆるものに毎日出遭っているのに、その「徴」をしっかりと受け止めず、「当たり前」として棄て去っていることが多いのだ。だから今日は、私は上記の本屋とは別の古書店へ入って、注意深く“徴の本”を探したのだった。
 
谷口 雅宣
 

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コメント

生長の家副総裁 谷口 雅宣 先生:

合掌、ありがとうございます。
 今回の素晴らしい御指導ありがとうございました。北加教区の人々は先生の御指導に心から感謝しております。教修会第一日目のゲスト講師のエルファドル博士の内容にも北加教区の皆さんは感動しております。とりわけ、インフォーマティブな内容のみならず、プレゼンテーションもとてもよかったです。
 当日、勅使川原淑子教化総長のご配慮で博士の送り迎えを担当させていただきましたが、博士はご自身の講演が終えられて部屋に帰るやいなや、ソファーで倒れるように休まれている様子を見て、先ほどまでの講演の体力はどこにあったのだろうかと、驚いてしまいました。人間としても、さらに推測すればイスラム信仰者としても、ご自分の果たすべき事をやり遂げるという強い信念を実践されている方だと感じました。
 教修会全般を通して、いろいろな事を学ばせていただき、さらに自分の信仰とその姿勢を省みる素晴らしい教修会に出席できましたこと心から感謝申し上げます。

川上 真理雄 拝

投稿: mario | 2007年8月 8日 01:33

合掌、ありがとうございます。
 神から送られる「徴」を一番示して下さるのが自分の「両親」であり「兄弟」であり「家族」であるいう事を最近切に実感しております。
 「徴」を見落とさずに参りたいと思います。

投稿: masaomi | 2007年8月 8日 06:56

合掌 ありがとうございます
今回の、この教修会の内容が本にまとまり、一刻も早く私たちの手元に届くようお願いいたします。
                             再拝

投稿: yasuko | 2007年8月 8日 11:11

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