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2007年7月21日

迷いはどこから来る?

 去る7月15日に埼玉県で行われた生長の家講習会では、大型台風4号の接近という悪条件にもかかわらず、7千人を上回る受講者の方々が“新副都心”のさいたまスーパーアリーナに参集してくださった。当日の講話を担当する私と妻は、万一の台風直撃に備えて前日に埼玉入りをしたが、幸いにも台風は関東上陸直前にコースを東に折れてくれた。そんなこともあって、当日の昼間は多少風雨が強かったものの、講習会が終る午後3時ごろには、雲間から青空が見える“台風一過”となった。

 この日は私の講話に対する質問も多く出て、その内容も高度なものが多かったことは、受講者の真剣さを表していて嬉しかった。それらの質問のうち、神による世界の創造と人間の迷いとの関係を問うものに対し、私が答えている映像を以下に掲げることにする。この答で充分とはとても言えないが、昨年10月に書いた「表現者の悩み」「表現者の悩み(2)」の内容を補って視聴していただくと、さらに理解が深まると思う。
 
 谷口 雅宣

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コメント

迷いは何処から来るか?自由から来る、善を実現する為に自由を与えられ、正しい選択をする為には迷いは出てくる、と言う事ですが私は迷いは自分の心から出て来ると思います、五感(限、舌、鼻、耳、身)に依って有るもの(仏性)を無いと見、無いものを有ると見る(煩悩)、煩悩の無明からなすべき事となさざるべき事、言って良い事と言ってはならない事の区別が出来ない、気に入ったものを見て良くない考えを持つ事、気に入らないものを見て良くない考えを起こす事、即ち、貪り、怒り、無知、邪見、恨み、妬み、へつらい、騙し、驕り、高ぶり、侮り、不真面目等々この自分の心こそ無いものを有ると見る迷いの出所、この心を修めるもう一つの心、つまり有るもの(仏性)こそ実在、実相、我々は煩悩の泥が余りにも深いのでなかなか仏性、実相が現れない、苦しみから逃れられないのではないでしょうか!煩悩多き自分の心を信じないで仏性である心の主にならなければ実相世界は見えないかも知れませんよね!

投稿: 尾窪勝磨 | 2007年7月23日 11:22

合掌、ありがとうございます。

北朝鮮の人には迷いが無いでしょうか?
今日脱北しようか、明日脱北しようか、と毎日迷っておられる方もあります。失礼しました。

投稿: だるま | 2007年7月24日 20:11

北朝鮮には自由が無いので迷いは無いと思いましたがそう言う迷いが有り、こN立てとかとちがつて生か死かの極めて深酷な問題ですよね、まだまだマイNドコNトロールされていない人達が居るのでしょうね、この迷いはー見煩脳とは違つて見えますが生か死かに執着する事も煩脳のーつだと思います、”だるま”さNならどうされますか?私は人に頼らず何事も自分で考え、自分ではN断し決断行動致します、ただ独善になつてはいけないので基礎的な知識お、学び、人の意見お、良く聞いてはN断致します、ここ迄来ると忍耐と祈りが必要になつて来ますが、、、。

投稿: 尾窪勝磨 | 2007年7月25日 15:52

谷口雅宣先生。

今回は本質的な深い問題をとてもわかりやすく解いてくださって感謝致します。
メニュー一つでもいつも迷ってしまう私にとって、迷いは切実なる問題です。いつも「この迷い心を千切って捨ててしまいたい!」などと考えて、それでも辛い思いを、時の経つのに任せて乗り切ろうとしてみたり…。
けれども「迷い=悪」ではなく「迷い=自由=愛と信頼の証」と理解すればとても楽になるんですね。ありがとうございます。

メニュー、銀行強盗、北朝鮮、の例はとってもわかりやすかったです。
(北のあの方はけっして自由なコメントなど許しはしないでしょうね。)

私たちももっともっと素直な感動を表現したほうが、日時計主義を生きられますよね。

ご一緒にこちらのブログを毎日楽しみにしていらっしゃる皆様。
是非是非素直な悦びの気持ちを、もっと表現して、感動の気持ちをどんどんコメントしてまいりましょう。

私も文章は下手で失礼も多いかと存じますが、こうして先生の直接のブログで学ばせていただくことが出来て、とても嬉しくて、かつ毎日の生活の励みとさせていただいていることの感謝を表現したい気持ちで、コメントさせていただいております。ありがとうございます。

再拝

投稿: 米山恭子 | 2007年7月25日 23:45

雅宣先生、合掌、ありがとうございます。
『「迷い」とは数多ある神の表現方法の「選択の自由」の裏側であるから、「迷い」はあっても良いのである、むしろ「迷い」があるほうが良いのである。』先生のお考えに私を含め多くの聴衆の心が軽くなられた事でしょう。心より感謝もうしあげます。
 
誠に恐縮ですが私も自分なりに「自由」と「迷い」について考えてみました。

『「自由」には必ずしも「迷い」が付随するものなのか。』

 神は我々に神の子としての自己実現の為の表現方法を数多に与えて下さり、その方法の取捨選択の自由をも与えて下さっております。
 私はその取捨選択の際の「ためらい」や「不安・不信」こそ「迷い」だと考えます。
 そして表現者というのは、その表現の選択の瞬間において「ためらい」や「不安・不信」を極力無くしていく作業をおこなっているのではないかと思います。
 表現者による表現(作品)においてその「迷い」があるのがベストではなく、その「迷い」がないのがベストである事は言うまでもありません。

 それではどうすれば選択の際の「ためらい」や「不信・不安」が無くなるかと問われれば、やはり日々の訓練であり、一番大事なのは「神想観」です。なぜなら「ためらい」や「不信・不安」は神の存在への不信や死への恐怖心等から興るからです。
 つまり神想観をなせば「自由」の裏側に随時あるとおもわれる「迷い」は無くなります。
 

 それでは『北朝鮮における表現方法を強制され限定されたマスゲームのような「表現」には「迷い」がないからいいのか?』

 それは勿論違います。我々は「数多ある」表現方法の中から「迷い」なく(ためらいなく)取捨選択する表現者の「表現(作品)」を偉大だと感じ、そこに神業を観るのです。そしてその作品に至るまでの表現者の訓練をも賛嘆できるのです。

 この度雅宣先生の逆説的なお言葉で私の言うところの「迷い」は本来ないのだから、例えあるようにみえても取り除こうとあがかなくても良い、ただただ神を想えば良いと再度悟らせて頂きました事に感謝申し上げます。
 

投稿: masaomi | 2007年7月26日 05:49

尾窪さん、
だるまさん、
米山さん、
masaomiさん、

 コメント、ありがとうございます。

①北朝鮮の食堂のメニュー
 ご飯、小魚、味噌汁、香物

②日本の食堂のメニュー
 [和食]麺類、丼物、焼魚定食、鍋物、寿司、懐石料理他……。
 [洋食]アメリカ、イタリヤ、地中海、ロシア、フランス他……。
 [中華]上海、広東、四川、台湾他……。
 [その他]韓国、インド、中東、アフリカ、東南アジア他……。

 ①は②に比べて「迷い」が少ない。したがって、神の意思に近い。
 → [正・誤]
 ②は①に比べて自由が大きい。したがって、神の意思に近い。
 → [正・誤]
 ①は②に比べて「欲望」を引き出さない。したがって、神の意思に近い → [正・誤]
 ②は①に比べて「欲望」を多く引き出す。したがって、神の意思に遠い → [正・誤]

 【問い】人間の欲望をより多く実現する環境の方が、そうでない環境よりも神の意思に近いのか、それとも遠いのか?

投稿: 谷口 | 2007年7月26日 09:49

1,誤。2,正。3,誤。4,誤。

投稿: 尾窪勝磨 | 2007年7月26日 10:21

神の意思に近いと思います、神は人間に限りの無い命を与え、現象世界で各人各様の楽しみを享受し、多種多様な世界の中で全民族、生きとし生けるもの仲良く協力し合って安らかな日々を送って欲しいと願っておられると思います、只、欲望(欲を愛する)多い愛欲、無明(迷い)の現象界に於いて完全円満全知全能、全ての創造主たる神様に感謝し、迷い(実際は無い)の根本に有る(現象界では)自らの愛欲と無明の心を制し、修め各人各様の能力(全ての人にこの世での居場所有り)を全開し、常に世のため人の為に生き抜いて欲しいと願っておられると思います。

投稿: 尾窪勝磨 | 2007年7月26日 10:59

合掌ありがとうございます。

私も文章は下手でなかなかうまくコメントできませんが、毎日楽しみにブログを拝見いたしております。
このビデオのメニューと銀行強盗の例では、たいへん易しく私の頭にしみこみました。これを聴かせていただくと、迷いはあったほうが楽しい気持ちにさせられました。

上の問いに関しては
①誤②正③誤④誤
神の意思に近い
というか、欲望が多く実現できる環境のほうが自分自身が楽しいので、神の意思に近いと思いました。

投稿: 磯崎 | 2007年7月26日 14:32

谷口雅宣先生。意外な切り口の設問に、ちょっとドッキリいたしました(笑)。
最初①誤…神様の無限の供給の意思が充分実現されていないから。
②正…神様の無限の供給の意思が充分実現されているから。
③誤…無いと余計に欲望は増して苦しいと思うので、神様の意思ではないと思うから。
④誤…食の楽しみ(食欲)も神様の無限の供給のお陰だから悪ではないと思うから。

と考えました。したがって【問い】の答えは「神の意思に近い」になりました。

けれど何か引っかかっていて、それが何かを考え、コメントが遅れました。
北朝鮮の食事のメニュー自体は、普通の朝食メニューとしては充分で、おいしそうに思えたり、日本の食堂メニューは、過食や環境破壊にも繋がる一面もあることも、気になっていることに気付きました。
切り口を変えると、物事は全然違って見えますね。そこにも真理はありますよね。
結局、北朝鮮のメニューも、自発的に選べるものなら、悪ではなくて、そこに選択の自由がないから苦になるのだと言うこと。
日本のメニューも自発的に肉食を控えたりする選択ができるということで、善を選ぶ道があるということで、どんななかにも【自由】はとても尊いものだということ。そして神の意思に近いという結論になりました。

どうぞ近いうちに先生の設問の真意をお教えください。楽しみに待っております。

再拝  

投稿: 米山恭子 | 2007年7月28日 09:22

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