efuto(絵封筒)に出会う
昨日の木曜日は休日だったので、東京・大手町の逓信総合博物館でやっている「efuto=絵封筒」という展覧会を見に行った。実は、そのちょうど1週間前に新宿のジュンク堂書店で本を物色していたとき、『efuto』(フォイル刊)という横長の本を偶然見つけ、その中に収録された37人の画家やイラストレーターによる、実に多彩で個性的な絵封筒を見て、いたく感激した。そして、どうしても実物を見たいと思っていたのだ。妻も絵手紙の描き手だから、この新しいアートに親近感をもって「ぜひ見たい」と希望していたのだった。
「絵封筒」とは絵を描いた封筒のことだが、これをローマ字表記する理由は、イギリスとフランスで生まれたものだからだ。絵本作家のきたむらさとし氏によると、絵封筒の起源は1970年代末で、その頃、きたむら氏がロンドンの小出版社を訪れたとき、壁面に額装された小型の絵がたくさん飾ってあるのを見て、それがみな切手を貼り宛名も書いた封筒であることに気づき、「こんな封筒が送れるのか」と驚いたそうだ。これらの絵封筒はみな、その出版社の社長宛に送られたもので、元祖はフランス在住の絵本作家、デビッド・マッキー氏(David McKee)らしい。マッキー氏は当初、封筒に入った絵手紙を社長宛に描いていたのが、絵心があふれて封筒にまで描くことになったという。そして、マッキー氏の額装された絵封筒を見た他の画家やイラストレーターたちが、この新アートに共鳴して、次々と社長宛に絵封筒を送るようになったのだそうだ。
絵封筒の面白さは、「封筒」という狭い空間に、実用とアートと遊び心をいかに共存させるかだろう。「実用」とは、住所・氏名を書き切手を貼るということで、「アート」はもちろん絵の質だ。そして「遊び心」とは、封筒に描く絵と切手の図柄、あるいは住所・氏名をユーモアたっぷりに関連づけることだ。展覧会にあった絵封筒の中には、大きく描いた顔の口から“吹き出し”を描き、その中に住所・氏名が書かれているもの。貼った切手が絵の中で「絵画」として扱われているもの。鳥の図柄の切手が、絵の中の木に止まっているもの。富士山の頂上付近を図柄とする切手の周囲に絵を描き足して、富士山全体を含む風景画に仕立てているものなど、思わず「なるほど~」と言わせるものがあり、楽しかった。
とにかく「百聞は一見にしかず」だから、絵やイラストに興味のある読者は、7月8日までの会期中に一度訪れてみてはどうだろう。会場には封筒や画材を置いた“実演コーナー”もあり、その場で絵封筒を描くことができるし、また会場の博物館宛に送った絵手紙は、そこに展示してくれるそうだ。絵の上手下手よりも、受け取った人の驚きと喜びに価値があるということで、小学生などもバンバン描いているから、生命学園の活動に取り入れても悪くないかもしれない。
私も早速、生長の家関連の絵手紙ブログを主宰しているT・K氏宛に、下掲の2点の絵封筒を送った。工夫や遊びがまだまだ足りないが、機会を見てさらに挑戦したい。
谷口 雅宣
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
副総裁 谷口雅宣先生:
合掌 ありがとうございます。
いつも多分野に渡る貴重な情報を、解り易く
発信してくださいますこと、心より感謝申し上げます。
かねてより、インターネットでのご講和や
電子聖典・書籍などへの願いがございました。
そこで今回の動画や電脳紙芝居の登場に
本当に感激いたしました。
私事にて恐縮ですが、前回の動画のBGMである
楽聖ベートーベンの第九交響曲第2楽章は、
以前に繰り返し聴き、多大な心的エネルギーを
与えられておりました。
(カラヤン指揮、ベルリンフィルの版です。)
また、猫の画像から
『ぼくが猫語を話せるわけ』(庄司薫著,中公文庫)
という本を想起し、再度手にしてみました。
猫の表紙絵と文中の挿絵は、著者の奥様である
中村紘子氏がお描きになったものでした。
感慨深く思っている所、新たに副総裁先生の
猫の絵を拝見して、感動いたしました。
この場にコメントさせていただくのは
自分にとって勇気を要する事です。
しかし、多くの方々の真剣なご意見や
ベートーベンと猫の存在に力をいただき、
初めて感想を書かせていただきました。
副総裁先生を始めとする皆様、現在の環境に
こころより感謝いたします。
今後ともご指導の程をよろしくお願い申し上げます。
再拝
(川部美文)
----
投稿: 川部 美文 | 2007年6月 9日 19:56
川部さん、
勇気をもって書き込みくださり、ありがとうございました。
ネコと音楽とで私との一致点を見出されたようですね。(笑)
しかし、私はそれほどネコにも音楽にも詳しくないのです、ハイ。
今後ともご指導願います。
投稿: 谷口 | 2007年6月11日 14:16