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2007年6月28日

紫陽花の色を愛でる

 梅雨時に音もたてずに降る雨には、紫陽花(あじさい)がよく似合う。わが家の庭には昔から紫陽花があって、ちょうどこの頃に、ハンドボール大の紫、ピンク、青などの“花”をいっぱいにつけ、見る人の心を慰めてくれる。今“花”という言葉を使ったが、植物学的には、紫陽花の花のように見える部分はガクである。色のついたガクに囲まれて、米粒大の白っぽい花が中央部についている。私は、子どもの頃は、紫陽花をあまり好きでなかった。花らしい香りがせず、ただ大きいだけだから、空間をムダに占有していると思っていた。ところが結婚してみて、妻がこの花を好いているのを知った。そして、彼女が花屋や庭から紫陽花を室内に持ち込み、花瓶に差して誉めるのを聞きながら、その花の見方をゆっくり学んだ。

 紫陽花の花は「七変化」するという。どんな土壌に生えているかで変わるだけでなく、同じ1つの株についた紫の花同士でも、赤に近いものと青に近いものがあったりする。また、同じ1つの花の塊が、気候条件で色が違って見えることもある。そういう微妙な色の変化を楽しむことができるようになると、いつのまにか、私の心の「好きな花」という箱の中に、紫陽花がドンと座っていることに気がついた。

 雨に濡れた紫陽花の花を見ていると、心が安らぐ理由がある。紫陽花のもつ「青」「紫」「赤」の色の連続には、何か不思議な作用があるらしい。光や色彩と治療効果の研究をしているジェイコブ・リバーマン博士(Jacob Liberman)が書いた『光の医学--光と色がもたらす癒しのメカニズム』(飯村大助訳、日本教文社刊)によると、青い光は新生児の黄疸の治療に効き、リューマチ患者の痛みを和らげるという。色のスペクトルでは青の反対側にある赤い光は、偏頭痛の治療に効果があり、青と赤が混ざったピンクの色--いわゆるバブルガム・ピンク--は、アメリカの刑務所の部屋の色として使ったところ、神経の苛立ちを鎮め、暴力行為の減少に貢献したという。赤い光を短時間見ると、運動選手の瞬発力が高まり、青い光を見ると持久力が高まるらしい。
 
 そんなことを知らなくても、緑色の葉を背景にした紫陽花の色は、見るだけで我々を充分元気づけてくれると思うのだが……。
 
 谷口 雅宣

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コメント

副総裁 谷口雅宣先生:

合掌 ありがとうございます

心清まる映像、音楽と詩をありがとうございました。
清楚で高貴な紫陽花は、輝子先生、恵美子先生、純子先生にご共通の
イメージでいらっしゃると想われました。
子供の頃、母が庭に紫陽花を増やすのを見ても強い関心を抱きませんでしたが、
次第に奥深さを感じるようになりました。
花の色が土地のpH濃度などに影響し、一般的に酸性土壌では青色、
アルカリ性土壌では赤色とされていることに興味を覚えます。
学名「Hydrangea」の意味は「水の容器」と伺いましたが、
紫陽花は、「水を大切に」と、寡黙に、しかし強く語りかけているような気がいたします。
先生のご文章と、紫陽花のメッセジーを心に留め、生きて参りたく思います。
心に染み入るご指導を、こころより感謝申し上げます。          
                                               再拝
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投稿: 川部 美文 | 2007年6月30日 20:58

合掌ありがとうございます。お庭シリーズ、楽しみになります。私は雨女なので(待ち合わせをどれだけ雨にしたか・・)6月の雨の恵みに感謝する祈りもよかったし、あじさいのお庭を朔太郎の「わがこころをばなににたとえん・・」とくちずさみながらしばし逍遥しました。

投稿: 海 | 2007年6月30日 22:36

合掌 ありがとうございます。
   奇麗な紫陽花の花と良い音楽を聞いて。。。。
   さぁ~今から心地よい神想観が出来そうです☆

                 感謝合掌
    

投稿: keiko | 2007年7月 1日 05:11

谷口雅宣先生。 
いつも素敵な映像をありがとうございます。

私は紫陽花が大好きなので、うっとりと眺めてしまいました。
そして我が家の周りにもあちこちに咲いていてくれる紫陽花を、
私はこんな風に優しい目で愛でていただろうかと思い、
あっ、感激が薄くなっていた、と気がつきました。
今日は子供たちを連れて、紫陽花めぐりに行きたいと思います。

そして音楽も素敵です。
雨の滴が紫陽花を震わせ、輝かせている映像が重なり浮かびました。

先生の「雨の恵みに感謝する祈り」の一文、

「雨は、静かに地上に落ちるとき、やさしく、リズミカルな音を立てる。間断なく降り注ぐとき、川の流れのように響き、激しく降れば滝のような轟音となる。この響きに耳を傾けよう。この音に心を振り向けよう。間断のない規則的な音、転がる響き、快い流れ、低い太鼓の継続音……。」
この言葉がぴったりの音楽だと思ってしまいました。
これからもますます楽しみにしております。

再拝
 

投稿: 米山恭子 | 2007年7月 1日 08:16

川部さま:
間違いに気がつかれた時のお気持ち、お察し致します。
ブログはコメントの修正ができないだけに、送信前に
よほど慎重に確認しないとなりませんよね。
私もたまにやってしまいます。。。
でも、これに恐れをなさずにこれからも素敵なコメント
お待ちしています。
副総裁先生になりかわりお願い申し上げます(笑)

副総裁先生、いつも素敵な映像ありがとうございます。
ただカメラの動きがちょっと気になるような。。。
今度は是非カメラを上下左右動かすことなく、
固定した画をカットつなぎされることをお勧めします。
グッと安定した見やすい映像になると思います。
カメラを動かすと言うことはそこにそれなりの
動かす意味がなければなりません。
(最初のうちは動かさないということが結構勇気のいることです)

次回の作品も楽しみにしております。

投稿: takahiko | 2007年7月 1日 08:55

川部さん、海さん、keikoさん、米山さん、

 まだまだ稚拙な映像ですが……多大なお言葉をいただき、感謝申し上げます。

takahikoさん、

 貴重なご助言、心して受け止めました。映像関係のお仕事をされているのですか?

投稿: 谷口 | 2007年7月 1日 12:38

takahiko 様:

合掌 ありがとうございます
takahiko様の暖かいご文章により、救われました。心より感謝申し上げます。
恐らく、多くの方の指導的立場にいらっしゃる方なのだと想われました。
急いでパソコンを起動、修正しましたが、気まずい思いでした。
気持ちをご察しくださり、ありがとうございます。
これを機に、興味ある問題になると冷静沈着さを失うこと、
(自分の祖母が庄司照子と申しましたので)思い込みの強さを改善します。
takahiko様の今後益々のご活躍とご多幸を心よりお祈りさせて戴きます。(感謝、合掌)
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米山恭子 様:

お祈りのご文章をご紹介いただき、感謝申し上げます。
「ピアノの詩人」ショパンの、前奏曲作品28-15を思い出しました。
ショパン自身の命名ではありませんが、通称「雨だれ」というものです。
改めて、心をこめて雨のみ恵に感謝するお祈りをさせていただきたく思います。
ありがとうございました。                           再拝
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投稿: 川部 美文 | 2007年7月 1日 19:49

間違いは誰にでもあるものです。
「名前の表記を間違えました」の一言で済むような環境であって欲しいと思います。謝り方を見ていると、決して好ましい環境ではないと私は思いました。書き込みをする人が、畏縮するというのは、生長の家の生活には似合いません。そのように思いませんか?
「名前の表記の間違い」を指摘する人はいるかもしれませんが、責める人は(生長の家には)いないと思います。
雅春先生も輝子先生も、尊敬の対象であり、必要以上の権威付けとか、崇めたてまつる存在にはしたくないし、その必要もないと私は思います。私にとっては、神も雅春先生も暖かい存在です。

投稿: 早勢正嗣 | 2007年7月 2日 00:16

早勢 正嗣 様:

合掌 ありがとうございます

ご丁寧に率直なコメントをいただき、感謝申し上げます。
訂正のお詫びにつきましては、個人的な尊敬の念と反省から生じた、
あくまで主体的、自発的なものです。
暖かく寛容な環境であるために、日々学ばせていただき、
何度もコメントを述べさせていただいる次第でございます。
今回は、早瀬様のお陰で、肩に力が入りがちな姿勢を見直すことができました。
未熟者で、何かと不慣れな点が多いのですが、今後ともよろしくお願いいたします。
早瀬様の今後ますますのご多幸を心よりお祈りさせていただきます。
                                            再拝
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投稿: 川部 美文 | 2007年7月 2日 19:20

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