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2007年6月21日

イスラームの理性主義 (4)

 ムータジラ派の考えには、合理主義が徹底されている。このような合理性を『コーラン』や『ハーディス』の上位に置くことは、しかし当時の宗教的環境では長続きするものではなかった。井筒氏の言葉を借りれば、「教義は直接に民衆の信仰生活と関係しており、いわゆる善男善女はこういう徹底した合理主義の結論に堪えられなかった」のである。このため、同派の教説を書いた書物は、「保守的な人々のあくなき敵意によって(…中略…)組織的に抹殺され、ついにイスラーム主要文化地域にはただの1冊も残存しないという驚くべき事態に立ち至った」(『イスラーム思想史』、p.54)という。この激烈な反動の先頭に立ったのが、40歳まで自身が同派で活躍していたアシュアリー(873~935年)であり、彼を端緒としたこの批判勢力の考え方が、やがてイスラームでは“正統派”とされるようになる。

 簡単にまとめてしまえば、アシュアリーはムータジラ派が「最高」の地位に置いた理性を『コーラン』と『ハーディス』の下に置くことを主張したのである。小杉泰氏は、この2つの基本経典の復権と、理性との関係について、アシュアリーの考えを次のように分りやすく述べている。
 
「アシュアリーは、それら(基本経典)の内容を信仰の前提としてすべて認める、という立場を取った。といっても、かつてムータジラ派に属し、論理的思考に親しんだ彼は、単に信ずればよいとは言わなかった。理屈で説明できるものは、できるかぎり説明する。(中略)しかし、理屈だけでは説明しきれない教義もある。その場合には、人の理屈の限界を率直に認めて、言われていることを受け入れる態度で臨んだ」。(『イスラームとは何か』、p.186)
 
 前回本欄で触れた「善(正義)と悪(不義)」の問題について言えば、アシュアリーの神学ではこうなる--神は正義であることに間違いはないが、この世での正義が何であるかを決めるのは神お1人であって、我々人間が理性によって決めることではない。人間の運命が決まっていることが不義だと考えるのも、それは人間の理性による判断だろう。しかし、神がそれを正義だと考えるならば、神の行うことはすべて正義だと確信するのが信仰者の態度である。(上掲書、p.187)
 
 こういう考え方は、人間の理性による価値判断を否定しないまでも、聖典に書かれたことの矛盾も、矛盾としてでなく、神の意思として受け入れよと言っているのだから、理性を信仰の下に置いている。そして、善も悪も神の創造としてあるがままに受け入れるのが信仰者だという意味で、「イスラーム」(神に降伏する)の語義に相応しいかもしれない。しかし、このままでは「人間の理性を創造した神」の意志について考察できず、また信仰者が社会改革を行おうとする動機が生まれない可能性がある。
 
 人間の運命については、もっと複雑な議論になる。アシュアリーは人間の自由意思を認めながら、神による運命を人間が獲得するという「運命の獲得」論を展開する。小杉氏によると、この理論は--「人間は主体的選択を繰り返して人生を生きているが、その主体的選択によって、あらかじめ決められている自分の運命を“獲得”しているのだ、という説明である」(上掲書、p.188)。この議論は難解なので、後世の学者たちは難解な議論を形容するのに、「アシュアリー派の運命獲得論のように難しい」と冗談を飛ばしたということだ。
 
 アシュアリーの神学は、「常に理性の自由をコーランに反さぬ程度にのみ限っていた所に」特徴がある、と井筒氏は言う。だから、イスラームの中の「いわゆる正統派(orthodox)の教義に至るには未だ路遠く」、イスラームの改新は「ガザーリーをまって初めて決定的な形となる」のである。(『イスラーム思想史』、p.83)
 
谷口 雅宣

【参考文献】
○井筒俊彦著『イスラーム思想史』(1991年、中公文庫)
○小杉泰著『イスラームとは何か』(1994年、講談社現代新書)

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コメント

谷口雅宣先生 

一連の「イスラームの理性主義」の論説を、万教帰一の観点から興味をもって読まさせて頂きました。ただ、率直に申し上げて大変難解に感じました。
 
 イスラム教は現代において最も注目されている宗教です。その真髄を生長の家の教えを交えながら是非平易にお説きいただければと思います。

投稿: 北田順一 | 2007年6月24日 20:03

北田さん、

 すみません。力が及ばず「平易な解説」がまだできません。今しばらく時間をください。(消化に時間がかかっています)

投稿: 谷口 | 2007年6月24日 22:24

谷口雅宣先生
 
 ご返事をいただき、大変恐縮に存じます。先生のお説き頂く「イスラームの真髄」を楽しみにしております。

 今のご心境を率直に語られるところに、雅宣先生と生長の家の素晴らしさを感じます。

投稿: 北田順一 | 2007年6月25日 11:38

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