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2007年6月20日

イスラームの理性主義 (3)

 イスラームの歴史の中で最初に生まれた神学を「ムータジラ派」と呼ぶ。この名前は神学の創始者の名前ではなく、「身を引く」とか「離れ去る」という意味のアラビア語にもとづく。創始者は誰か確定していないが、ワーシル・イブン・アター(748年没)あたりから始まったとされる。そういう人々が何から「身を引いた」かも定説はない。自分の師の説から身を引いたとも、左右の極端な説の論争から身を引いたとも、保守的神学者から離れ去ったとも、正統的信仰から離脱したとも言われる。とにかく、それまでのイスラームの『コーラン』と『ハーディス』万能の考え方から距離を置く考えを明確に打ち出した人々のことをいうようである。その考えの新しさは、「理性」を重視する点である。重視するだけでなく、真理の基準として「理性」を認め、その絶対的権威を確立したとも言われる。
 
 井筒俊彦氏の次の説明を読むと、その考えが当時の基準からいかに革命的であるかが分かるだけでなく、生長の家の「万教帰一」の考え方との類似性に驚かされる:

「従来は真理といえば神の啓示と予言者の言行に依る以外にこれに達する途はなかった。ところがムアタズィラによって始めて理性の自律が認められ、それによってイスラーム思想は哲学的思索の路に踏み出すことになった。真理はコーランとスンナの外にも至るところに在る。ギリシャ思想、ペルシャ思想、インド思想、キリスト教、ユダヤ教、形は何であれ、およそ理性の正しくすぐれた行使のあるところ真理は在る。かくて彼らはイスラーム以外の思想伝統にも真理の発露を見、それを探究した。この事実がイスラーム自身の思想発展にいかばかり強力な推進力となったかは想像にかたくないであろう」(『イスラーム思想史』、pp.56-57)
 
 このような考え方が、アッバース朝前期からイスラーム界に広がり、回教暦22年には、第7代カリフ・マームーン(在位813~833年)がムータジラの教義を公認する法令を発布するに至り、同派の勢力は絶頂に達する。同派の活動は8世紀半ばから約2世紀にわたり、最盛期には6つの分派を包括する強大な神学上の学派を構成して、大小無数の書物が市場に溢れていたという。(上掲書、p.54)

 上記から分かるように、ムータジラ派の思想は、すぐれて哲学的である。例えば、本欄でもしばしば取り上げてきた「善と悪」の問題については、次のように考える。

「善行悪行いずれにせよ、全て何か行為をしようと決意してその行為を創造するのは人間自身に他ならぬ。故に人はこの世で為した事の善悪に従って、来世において賞なり罰なりを受けるのである。こう考えることによって始めて神は悪や不正や非信仰的な行いやまたは宗法違犯を完全に超越したものとして理解される。何故なら、もし神が悪を創造するならば、神は悪であることになってしまう。神が正しいことのみを創造してこそ正義なのではないか」(上掲書、p.57)

 上の議論は、「神は正義であるか否か」という大変重大なことを扱っている。つまり、神が正義であるならば、神の創造になるこの世界に悪があるのはなぜか?--という問題である。ムータジラ派の考えによれば、神は正義であるから、不義なことをなさるはずがない。したがって、人間を罪深いものとして創造し、その人間が悪行を犯したからといって、責任を人間に転嫁するような不当なことはされない。人間の行為はすべて人間によって創造されるのであり、したがってその行為の責任が人間に帰せられるのである。

 --こういう議論の何が問題か? その1つは、何が正義(善)であり不義(悪)であるかを判断する基準が「理性」に置かれていて、神に置かれていない点である。言い換えれば、上の議論では、神の創造されたものの中にも「悪」があると理性によって判断している点である。もう1つは、イスラームの「六信」(6つの基本的信仰)のひとつに「定命(運命)」があり、人間の運命はすべて神によって定められているはずなのに、ここでは人間が運命を創造することになっているからである。さらにもう1つ指摘すれば、イスラームでは「最後の審判」の際にモハンマドが信徒の罪を軽くするように、神に「とりなし」をしてくれることになっているが、上の議論では、自ら犯した罪は自ら償うとの原則が貫かれている。
 
 本欄の読者の多くは、しかしこの議論と生長の家の考え方の間にかなりの共通点を認めるに違いない。
 
谷口 雅宣

【参考文献】
○井筒俊彦著『イスラーム思想史』(1991年、中公文庫)
○小杉泰著『イスラームとは何か』(1994年、講談社現代新書)

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