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2007年6月 5日

悪はなぜあるか? (2)

 前回の本欄では、短い文章中にあまりに多くのことを書こうとしたために、分りにくいものになってしまった。引用した養老さんの文章にはそれほど多くのことが書かれていないのだから、“過剰反応”かもしれない。そこで今回は、落ち着いて書こうと思う。
 
 最初にお断りしておくと、私は養老孟司さんに何の恨みもないし、敵意も反感ももっていない。むしろ、常人とは違った角度から鋭い観察をし、逆説的な真理を語る氏の頭脳には、感嘆させられることが少なくない。今回の引用文の中にも一面の真理があることは、前回も書いた通りだ。もう1つお断りしておくべきことは、氏が「不幸」について書いているのに、私はそれを「悪」という言葉に入れ替えて使っていることだ。氏が私の文章を読めば、もしかしたら「不幸と悪は違う」とおっしゃるかもしれないが、私としては「不幸」は「善いこと」ではないので、「善」の反対語である「悪」という言葉に差し替えても大意は変わらないと考えて、そうした。その方が、私が本欄でこれまで書いてきたことと整合するからである。
 
 本欄では今年1月28~29日、昨年3月5日と7日などで「悪」をめぐっていろいろ書いてきた。その中で私は「悪」をこう定義した--悪とは、ある対象を評価する人間の心の中に否定的な力(拒絶感)が生じたときに使う、その対象の呼称の1つであり、人間の心の中に生じる否定的評価を外部に投影したものである。この定義を採用すれば、「不幸」についても、ほぼ同じ定義が行えるだろう。つまり、「不幸とは、人間の心中に生じた否定的評価を外部に投影したもの」の1つであり、「悪」に比べれば、恐らく評価は若干高い。言い換えれば、「あの人は不幸だ」と言ったときは、「あの人は悪人だ」と言うときより「あの人」に対する評価は若干高い、ということだ。
 
 こう考えれば、養老さんの引用文の出だしの言葉--「なぜ世の中には、不幸があるのだろうか」は、「なぜ世の中には悪があるか」と問うているのとほぼ等しいと言えると思う。そして、本欄で展開してきた「悪」に対する議論が、ほぼそのまま「不幸」に対しても援用できるだろう。すなわち、「悪」という何か黒々とした実体が存在しないと同じように、「不幸」という客観的な存在はないのである。それらは皆、観察者の心の投影であり、「不幸」と思われる人自身の心を必ずしも正確に反映していない。言い換えれば、“客観的”に不幸であろうと思われる人自身は、必ずしも自分を不幸だと考えていないこともあるし、“客観的”には幸福だと考えられる人であっても、自分を不幸だと考えていることもあるのである。

 私は、養老さんの文章が全く間違いだと言っているのではない。氏は、読者の常識を前提にして新聞紙上に文章を書いているのであり、紙面に制限もあるのだから、「そもそも客観世界に不幸は存在するか」などという七面倒くさい議論は、省略しているに過ぎない。そんなことよりも、氏がここで言いたいのは、人間が他人を理解する心の大切さなのだろう。これを心理学では「感情移入」とか「empathy」と呼ぶが、それをより正確に実行するためには、“不幸”な状況を経験している人とそうでない人との間には違いがあり、経験者は未経験者に勝るということだろう。そういう意味では、私は引用した氏の文章に全く異論はない。
 
 ただし、引用文に続いて書かれた次の文には、異論を唱えたいのである--「毎日ひたすらニコニコしていたら、バカではないかと思われてしまう」。

谷口 雅宣

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コメント

副総裁先生ありがとうございます。

ニコニコ♪ルンルン♪と日々を送っている私はまさしく大バカそのものです。(聖使命新聞に写真を載せて頂きまして、ありがとうございました。私の一生で一番美しい笑顔だと思います…)

先生の「タラバガニの高騰」での早勢さんへのコメントの最後に


<日時計主義が「素直な心のことだ」という意味は、「悪い現象が多く見えたら、素直にその悪さを認め、悪い、悪いと言う」という意味でしょうか?


とおっしゃられていますが、私の亡き父はまさに此処で苦しみ、生長の家から去りましたが、一生をかけて<本当の素直さ>を学んで、生長の家の信徒として感謝に満たされて旅立ちました。親子で厳しくも有難い学びでした。

投稿: 酒井幸江 | 2007年6月 7日 01:08

合掌、ありがとうございます。
「毎日ひたすらニコニコしていたら、バカではないかと思われてしまう」。
 人類救済のアプローチを現象面のみから考えている養老さんにとって、この言葉は妥当だと思います。
 人類救済のアプローチを実相面から行う者のみが、例え馬鹿にする人がいたとしても毎日ニコニコしていられるのだとおもいます。

投稿: masaomi | 2007年6月 7日 10:07

谷口雅宣先生

私も養老氏の記事、雅宣先生の今回、そして1月28~29日のブログをもう一度読まさせていただきました。生長の家の説く真理の素晴らしさにあらためて感謝しております。

そして、頭の中で「唯神実相」「慈悲喜捨の四無量心」「今そのままが、有り難い」など、以前お説きいただいた言葉が飛び交っています。

それにしても先生の画像での問いかけは凄い反響ですね。また次の問いかけを投げかけてください。ワクワクしてお待ちしております。そして、講習会でさらに発展させて下さい。

 

投稿: 北田 | 2007年6月 7日 13:07

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