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2007年5月10日

映画『クイーン』(The Queen)

 休日を利用して、東京・日比谷で映画『クイーン』を見た。この映画は、ダイアナ元皇太子妃の事故死というセンセーショナルな出来事を取り上げ、現英国女王のエリザベス2世、トニー・ブレアー現首相とその夫人など、実在する現役の著名人役を多く登場させて、現代の英王室の内情やイギリス国民との微妙な関係を描いていることなどから、当初から話題だった。内容的にも、それぞれの重要な人物間の複雑な心理が生き生きと描かれている点が評価され、エリザベス2世役のヘレン・ミレン(Helen Mirren)は第79回アカデミー賞の主演女優賞を受けた。実は、私と妻は座席を予約するために、水曜日の最終回の上映の1時間以上前に映画館へ行ったのだが、その晩の席はすべて売り切れだったため、翌日の初回の上映を見に行ったのだ。
 
 私はイギリス王室の内情についてよく知らないから、この映画がどれだけ事実の正確な描写であるか分らない。しかし、一国の国家元首や現役の首相を初めとした有力政治家を登場させたドキュメンタリー・タッチの映画が、さほど批判を受けずに上映されているどころか、外国での受賞が誇らしげに語られるところから判断すると、事実とさほど大きく違わない内容なのだと推測する。また、映画のパンフレットには「事実を正確に描いた物語」とされているし、そこには本作品の脚本を書いたピーター・モーガンの次のような言葉が引用されている:
 
「話をしてくれる人には誰でも会いに行きました。王室一族とブレアに関しては数多くの伝記作家がいますし、彼らには王室の侍従から秘書、執事からメイドそして公僕に至るまで情報源があります。そこにはあらゆる素材が転がっている。あとはそれをどこまで話として面白くするかという問題だけでした」。

「話として面白くする」という言葉があるから、誇張やフィクションの部分も含んでいるのだろうが、女王や王室と元皇太子妃との関係、女王と首相の関係や立場の違い、首相夫妻の関係などの重要なポイントは、正確に描かれていると判断していいと思う。

 それで私の感想だが、私は日本の実情と比較せずに見ることはできなかった。まず驚くべきことは、現在の王室を映画に描いたという事実そのものである。わが国では週刊誌や月刊誌が、皇室について事実かどうか分らないことをあれだけ勝手に書いているとしても、皇室と政治についての事実を正確に押さえ、リアリティーをもって主張する映画を制作することは、恐らく現状では不可能ではないかと思う。それは多分、民主主義がそこまで成熟していないからだ。自分と政治的立場が異なる人の意見を、暴力によって封殺しようとする試みが、ごく最近でも何回も起こっている。そういう意味で、私はこの映画が制作されたこと自体が、イギリスという国の文化の優秀性を表していると思う。
 
 さて、映画の内容だが、これまた日本の現状との比較は不可避である。イギリス王室の男女関係の奔放さは誉められるものではないが、そのことを自省する皇太子や王族の姿を期待してはいけない。そういう点では、私は日本の皇室の優秀性に疑いをもたない。ダイアナ妃は全くの庶民から王室に嫁した人ではないが、それでも(少なくとも映画の中では)“庶民の代表”として国民から見なされていたように感じ、不思議に思った。イギリス王室は現在でも莫大な資産をもち、政治権力も一部だが有している。そして女王は、ダイアナの死を知っても、皇太子と離婚後で王室の一員でないことを理由に、頑として「無関係」との立場を貫こうとする。しかし、国民の不満が日増しに拡大する中で悩み、ついに庶民派で若い労働党党首、ブレア首相の助言を容れて、王室の伝統にない行動を決断する。この頑なな“伝統護持者”の姿と、日本の皇室の伝統を自ら変えていこうとされている今上陛下の姿とは、きわめて対照的である。
 
 共通点ももちろんある。その第一は、両者とも後継者の問題が深刻であることだ。国民の意識や感覚と乖離している王制は、永続することは不可能である。国民の意識との乖離を縮めるためには、ある程度の伝統の変更は不可避だろう。問題は、どの程度の変更が伝統の「破壊」でなく「継続」と言えるかということだ。日本もイギリスも、この難しい判断を下さねばならない時期に来ていると思った。
 
谷口 雅宣

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