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2007年5月12日

核の自爆攻撃をどう防ぐ?

 本欄では、これまで国際政治の問題を主として「心の法則」の観点から述べてきおり、ブッシュ大統領が繰り返して使ってきた“テロとの戦争”という言葉の廃止を訴えるなどしてきた(例えば、今年2月10日の本欄参照)。その理由は、テロ(terror)とは第一義的に「心の中に生じる大きな恐怖の感情」だからだ。恐怖心は、もちろん心の中の出来事だ。戦争とは、国家間で行われる物理的破壊力を用いた意志の強制である。物理的な力を用いて相手の意志を壊し、相手を自分の意志に従わせるという、もっぱら「相手(敵)」に向った力を行使するのに、その目的が「自分の恐怖心をなくするため」というのは、奇妙な論理ではないだろうか。そんな大それた破壊をしなくても、自分の心を変えることができればいいのである。また、逆に言えば、どんな破壊力を行使して世界を敵に回しても、自分の心の恐怖を拭い去ることができなければ、“テロとの戦争”には永遠に勝つことができない。この奇妙な“戦争”は、このように手段と目的が合致しない論理矛盾から出発している、と私は思う。
 
 自分の心の問題を解決するためには、まず第一にすべきことは自分の心の吟味ではないだろうか。少なくとも、それが「唯心所現」の教義の意味である。では、テロとの戦争を進める「ブッシュ政権の心の問題」とは、いったい何だろう? 私は、この疑問に長らく答えられなかった。当初は、9・11を起こした一握りのテロリストに対する恐怖心と怒りが、それだと思った。しかし、そのテロリストをかくまっているという理由でアフガニスタンのタリバーン政権が倒され、そのテロリストを支え、核兵器を含む大量破壊兵器(WMD)を開発しているとされたイラクのフセイン政権が倒されたが、“テロとの戦争”は終息せず、逆に拡大した。スペインやイギリスで大勢の犠牲者を出す無差別テロが発生した。ヨーロッパで生まれ育ったイスラーム系の若者が、アメリカとその同盟国の行為を「イスラームに対する攻撃」と受け取ったからだ。また、そういう内容のプロパガンダが、パレスチナ問題と関連させてイスラーム国内部で盛んに行われた。
 
 これは、典型的な「暴力による態度の両極化」ではないだろうか。サッカーや野球の試合で、対戦チームの間での言い争いが暴力に発展したり、観客やファンの間に暴力が発生すると、それが見る見る拡大していく現象と似ている。これが、世界最高レベルの教育と訓練を受けた政治家や外交官の間でも起こるということは、驚くべきことではないだろうか。私はそのことを、今年1月1214、15日の本欄を書きながら感じてきた。ブッシュ政権やブレア政権の中枢部にいる人々は、いったい何をそんなに恐怖しているのか? この疑問が解けなかったのである。
 
 ところが、5月9日の『ヘラルド・トリビューン』紙に載った記事を読んで、彼らが恐怖する理由の一部が分ったような気がした。その記事は、約1年前にブッシュ政権中枢で行われた国家防衛戦略に関する議論の内容を伝えている。それによると、ブッシュ政権の恐怖の対象は、“テロリスト”からの核攻撃なのである。現在、核爆弾はスーツケースに入れて持ち運ぶことができるほど小型化できるが、アメリカ国内でこれを使った自爆テロが起こった場合、どうすれば効果的な報復ができるかという疑問に、その会議では答えが見出せなかったらしい。私は「なるほど……」と考え込んでしまった。

 核兵器は、攻撃のためにではなく、抑止のためにもつのである。つまり核兵器は、相手が攻撃を仕掛けても、それを吸収した後、報復攻撃によって相手を決定的に破壊できることを保証する場合、抑止力をもつ。このことは、かつて2002年6月11日の本欄に書いたので、詳しく知りたい人はそれを参照してほしい。しかし、自爆テロで核兵器が使われると、その破壊は徹底しているため、実行犯のDNAも核爆弾の由来を示す物理的証拠も何もかもが実質的に消滅してしまう可能性がある。となると、誰に向って報復をするかも不明となり結局、報復不能の事態に陥るかもしれない。ということは、超大国の巨大な核兵器システムをもってしても、核を使った自爆テロを抑止できないかもしれないのである。これは深刻な問題だ。

谷口 雅宣

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