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2007年4月12日

デジタルからアナログへ

 前回の本欄では、科学が基礎としている唯物的生命観と宗教が前提としてきた生命観を比較してみたが、これらをひと言で表現すれば、前者を“デジタルな生命観”、後者を“アナログな生命観”ということができよう。科学では、ある時点を境にしてそれより前の生命は人間ではないが、それより後の生命は人間と見なすというように、「イェスかノーか」、「1か0か」という考え方をすることがある。その方が、ものごとが分かりやすく、また整理しやすいからだ。宗教はこれに対し、そういう人工的な境界線を引くことはせずに、受精から誕生までの過程は、初めから生命であるものが徐々に肉体を獲得して(この世の)人間となるまでの過程として考える。これは、黄色い絵具(魂)に青い絵具(物質)を徐々に混ぜていくとやがて緑色(肉体)になるように、どこまでが黄色でどこからが緑であるかは問題にしない。それよりも重要なのは、両方の色には共通部分が存在し、それが継続していると見るのだ。

 私は、後者の考え方をする方が、21世紀の人類と地球生命にとって良い結果をもたらすのではないかと思う。デジタルな考え方は物事を狭い範囲に限定して考えるため、その範囲内で「他を打ち負かし」たり、「他より抜きん出る」場合には優れている。また、簡単で分かりやすく、したがって同一グループ内での結束を図るには有利である。しかし、物事をより広い視点から考え、他との共通点を見出し、他と共存するという、より高度な--そして、地球温暖化時代に必要な--生き方には不適当である。

 多くの生物はデジタルな戦略に則って生存をはたしてきたと思われる。そのことを最も有力に示すのは、我々の体内にある免疫系の働き方とその役割である。免疫系は、我々の体を“外敵”の侵入から防ぎ、“外敵”と戦い、破損した組織を補修する重要な役割をしている。これを行う細胞の最も重要な働きは、体内にあるものを「自己」と「他者」とに区別することである。そして、「自己」に属する細胞には手を出さずに、「他者」と判別された細胞や物に総攻撃をしかける。これは、きわめてデジタルな機能と言わねばならない。
 
 私はかつて『心でつくる世界』(1997年、生長の家刊)の中で「視覚の中のプログラム」について書いた。我々の視覚には、一連の“自動判定プログラム”が組み込まれていて、目で見た瞬間に、理性的な判断を経ずに結論を出すことが案外ある。その中の一つに私が同書で「対照化の原則」と呼んだものがある。それは「互いに矛盾した要素が一つの図形の中にある」場合、「矛盾のない白黒のはっきりした世界を無意識のうちに見ようとする」(p.74)傾向のことだ。これは我々の視覚の中に一種の“デジタル回路”が存在する証拠である。どんな図形がそのことを証明しているかは同書を参照してほしい。この回路はいわゆる“本能的”なもので、人類が進化の過程で獲得したと考えられる。ということは、他の動物や植物にも程度の差こそあれ、似たような“自動判定プログラム”が存在すると類推できる。

 だから科学が、生物としてのヒトの発生過程のある時点を境にして、「それ以前は非人間」「それ以降は人間」というデジタルな判断を下す方法を採用したとしても、あながち責められないかもしれない。しかし、そのことは、この方法が特に科学的であったり、客観的であったり、優れていることを意味しない。もっと直裁に言えば、科学が提出している“デジタルな生命観”は、科学的というよりは本能的であり、暫定的であり、完全とは言いがたいのである。私はそれよりも、宗教が伝統的に把持してきた“アナログな生命観”の方が、より広範囲の物事を視野に入れているという意味で包括的であり、分かりにくくても、より正確に対象を見ているという意味で客観的だと思う。

 例によってこれを示そう。①人間の誕生も死も、時間の流れの中で段階的に進行する現象だからアナログ的である。にもかかわらず、科学はこれを、ある1点を境にして起こるデジタルな現象として捉えている。②人間と他の動物の違いはアナログ的であることが、DNAの解析や動物行動学等によって分かってきているが、科学(生物学や医学)が動物を人間と峻別する考え方や扱い方はデジタルである。③地球上の生物や鉱物も含めた生態系は、互いに密接に関連し合って(アナログ的に)秩序を形成していることが明らかになりつつあるが、科学は遺伝子組み換えや卵子の凍結保存、キメラ作成などによって、そのアナログ的な秩序をデジタル(人間至上主義的)に破る行為を行っている。
 
 また、世代間倫理の問題は、親世代 → 子世代 → 孫世代 というように前世代の人間の行為が後世代の人間に危害を与える場合に発生する。つまり、複数の世代間のアナログ(連続的)な問題である。これに対して現代民主主義が尊重する自己決定権の考え方は、「他人や社会に危害を与えない限り、個人の選択には最大限の自由が許されるべし」というのだから、自己完結的なデジタルな思想であると言える。

 こうやって考えていくと、現代の主要な問題の背後には、本来アナログな現象をデジタルに解決しようとしているという矛盾が見えてくる。だから私は、現代にアナログな思想や信仰を再構築することで、人類はよりスムーズに問題解決へと進んでいけると思うのである。

谷口 雅宣

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コメント

副総裁先生ありがとうございます。

 わたしも1と0の世界(デジタル)では物事を進めることに限界があると思います。デジタル機器は私たちの生活を便利にしてきました。しかし、失ってきたものはあまりに多かったように思います。この15年間で携帯電話とパソコンが急速に発展してきました。確かに、連絡は取りやすくなり、仕事の効率がよくなってきました。しかし、これらの普及が「効率優先」を生み、今の世相の性急さとなってしまったと思います。
 子どもたちを見ていると、幼いころからゲームに親しみバーチャルを操ることは得意です。しかし、小学一年生のかなりの割合が給食についてくるお菓子や麺の袋を手で開けることができません。そして、鉛筆も電動でなければ削れないことが多いです。
 そして書写(習字)の時は、時間短縮のため墨汁で書き、水道ですすりを洗うと友だちにかかるからという理由で、拭いて自宅に持ち帰らせ洗わせています。
 これらは今の子どもたちが悪いのでしょうか?答えは明白です。その結果、字は同じ大きさで形どおりに書くように「書写」とされ、書を楽しむことが忘れられ、準備も後片付けもおざなりです。実際の評価では形骸化した上手いか下手かで判断されています。入賞者はテクニカルな技を持ってさえいればいいのです。
 そもそも学校は客観性、説明責任を重視するあまり目に見えるものを後生大事にする傾向があります。それは、唯物論に支配された方が多く学校を支配してきた背景もあると思います。
 しかし、効率優先では物事の本質を見間違えてしまいます。書をするなら休み時間から墨をすり心を落ち着けることや、筆の運びに心を配り、自分らしく表現できるかという観点が見当たらなくなってきました。書道をやってきた方に言わせると本来「」書道」は楽しいものだそうです。そういえば、わたしも楽しくなかったです。
 最近では、政府が道徳教育に力を入れているようです。一方、現場は大騒ぎです。やりたくないのです。なぜなら、教師の大半が神仏を尊ばないからです。「目に見えないものへの畏敬の念をもつ」という文部科学省の指導要領を理解し実践できる教師があまりいないす。アナログさを見直すことで「大切にしなくてはいけないもの」見えてくる。そのように感じました。

投稿: 青木 | 2007年4月16日 00:24

合掌ありがとうございます。
今回のお話はとてもわかり易くて心がスッキリしました。

私の友人はパーキンソン病で高度医療を望んでいました。二年前生長の家の見解を質問されて上手く答えられなくて、勉強不足を痛感したのでパソコンを購入して(友人の為にも)私自身が小閑雑感を毎日読んで学ぶようになりました。

その友人が副総裁先生の目玉焼きのお話にとても感動して、生長の家の生き方が大好きになって、とても素晴らしいリハビリセンターに通いはじめて驚く程元気に明るくなりました。

ご主人は外科医なので高度医療を友人に勧めていたのですが、ご自身も思うところがあったのか(私には判りませんが)ご自分の病院を閉院してそのリハビリセンターにお勤めされることになりました。お勤めの前に四国八十八箇所を回られるそうです。生長の家の信仰で奥様が明るく元気になった事がとても嬉しいようです。


その友人がいつも目玉焼きのお話を絵本にして子供にもわかるようにしていただけたらなあと言います。私も今回の絵の具のお話も絵本にしていただけたらなあと思いました。(目玉焼きの絵本を友人は私に書けと言うのですが、とても私には出来ません)二人の素朴な想いです。スミマセン。

デジタルを道具としてWeb版日時計日記に書き込んだり自分のブログを書いていますが、心は全くのアナログです。秘境のさよちゃんのような純粋な信仰です。

子供達にも生命学園で(アナログ)な生長の家の信仰心を伝える悦びに溢れて感謝の気持ちで一杯です。

だからデジタルを使いこなす素朴な信仰心が在ればいいのだと思います。秘境の塚本さんのように。

ありがとうございます。


投稿: 酒井幸江 | 2007年4月16日 02:15

青木さん、酒井さん、

 私のシチメンドークサイ議論にコメントしてくださり、ありがとうございます。こういう話は、女性はあまり興味ないと思っていたのですが(青木さんを勝手に女性と決めつけていますが……)、最近の女性はなかなか理論家だと感じました。

 今後ともよろしく。

投稿: 谷口 | 2007年4月16日 16:59

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