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2007年4月23日

原子力利用は縮小しよう

 第16回統一地方選挙の後半戦で、高知県の東洋町長に沢山保太郎氏(63)が大差で初当選したことにより、日本のこれまでの原子力政策に一定の国民の評価が出されたと見るべきだろう。沢山氏は、原子力発電所から出る高レベル放射性廃棄物の最終処分場の候補地として初めて名乗りを上げた前町長、田嶋裕起氏(64)に反対して立候補し、投票率89.26%の中、田嶋氏の得票(761票)の2倍を超える1821票を獲得して当選した。田嶋氏はこの問題で「民意を問う」として辞任し、4選を目指した結果がこれである。最終処分場のための調査にともない得られる国の多額の交付金で、堤防整備などを考えていたが、住民は明確に「ノー」の答えを出した。これによって、原子力発電環境整備機構(原環機構)は同町での調査実施を断念することになる。
 
 日本の総発電量のうち原子力が占める割合は、2005年度で31%だ。この割合は、石油、石炭、液化天然ガス(LNG)、水力などどのエネルギー源から得られる電力量よりも大きい。だから、今後も原発を主要手段として電力を得るためには、核燃料サイクルの最後に出てくる高レベル放射性廃棄物の処理をどうするかを、具体的に決める必要がある。現在は、日本のどこかの地下300メートル以上の安定した地層まで穴を掘って、そこへ頑丈な容器に密封した放射性廃棄物を埋めることが計画されている。しかし、具体的にどこへ埋めるかが決まっていない。そこで2002年から、全国の自治体を対象に最終処分場の候補地を募っていて、今回初めて、これに応えて東洋町が名乗りを上げたのである。対価として得られる国からの交付金が、毎年数十億円もあることに魅力を感じたのだろう。

 ところがその反面、2002年に発覚した東京電力の原発のトラブル隠しに端を発し、最近も次々と明るみに出ている原発関連の事故やトラブルにともなう不正処理によって、電力会社とその監督行政に対する国民の不信感は強まるばかりだ。自治体の側でも、国からの交付金で地元の経済の活性化や資本の充実を図ろうとしていたのが、原発の事故やトラブル隠しが“普通に”行われていたということになれば、その不正を行ってきた会社が廃棄物処理を正しく実行するとの言い分には当然、信憑性が欠けてくる。国民の立場から言えば、信頼を裏切った会社とその商品やサービスを使用しないのは当たり前だし、自由主義社会ではそうでなくてはならない。しかし、本欄の昨年6月24日同12月11日にも書いたように、国としては「原子力立国」を今後の政策として打ち出している以上、簡単に後へ引くわけにはいかないだろう。こうして、国民の意識と国の政策の間の乖離が、今後さらに拡大していくことが予見されるのである。

 これが決して好ましい傾向でないことは、言うまでもない。しかし、日本の環境政策の策定過程を見ていると、残念ながら、政治や行政は自民党の支持基盤である大企業の不利益にならない範囲でしか物事を決められないようだ。「原子力立国」の考え方自体が、独占的大企業である電力会社に有利である。また、環境省がこのほど決めた「戦略的環境アセスメント(Strategic Environmental Assessment)」の指針においても、3月28日の本欄に書いたように、発電所だけを特別扱いにして、事業をやりやすくする動きがある。なぜ発電所だけが優遇されるのか、誰もどこでも説明していない。また、政府は本格的な温暖化対策としては、新型の石炭火力発電所の建設と、そこから排出されるCO2の地下固定を主要な手段とする方針のようだ。

 このことは、4月22日の『日本経済新聞』が特ダネとして伝えている。それによると、わが国と米・中・韓・印を加えた5カ国は、次世代型の石炭火力発電所を共同開発する方向で調整を進めており、今月末にホノルルで開かれる非公式会合で共同文書の内容などを話し合う予定という。この発電所は、酸素を使って石炭をガス化して発電するもので、排出されるCO2は液化した後に地下貯蔵庫に密閉するシステムも同時に建設するらしい。したがって、CO2の排出量はほぼゼロとなるという。有害物質を発生させても、それを地下深くに密封してしまえば問題ないという考え方で、放射性廃棄物の処理とまったく同じ思想である。しかしこれは、問題の根本的解決ではなく、問題を深刻化させながら次世代へ先送りするにすぎない。つまり、現世代の経済的利益を重視するあまり、世代間倫理への配慮が欠けている。
 
 このあたりが現代民主主義の構造的限界なのかもしれない。このことについて、私は4月9日の本欄ですでに書いたが、この限界を突破して、我々が未来世代に損害を与えずに生きるためには、どうしても世代間倫理、環境倫理の視点が必要なのである。日本にはそういう視点をもつ人が全くいないわけではないが、まだ趨勢になっていない。例えば、東京大学の小宮山宏総長は、このほど座長を務めた日中韓賢人会議において、こんな発言をしている--「環境を考える上で、原子力の議論は重要だ。放射性物質を人類がコントロールすることはできないと考えている。一方、現在の電力需要を考えると不可欠だ。だから太陽光発電などが需要を賄うことができるまでの過渡的な技術と思っている。(4月23日『日経』)
 
 私は日本政府に対して、世代間倫理を今後の政策決定の基本指針の1つとすることをぜひお願いしたい。世代間倫理を重視すれば、小宮山総長が言っているように、放射性廃棄物の扱いは人類の能力を超えているのだから、原子力の利用は漸次減らしていくとともに、再生可能の自然エネルギーの利用技術を確立する努力を国として全力で遂行してほしいのである。

谷口 雅宣

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コメント

>今回初めて、これに応えて東洋町が名乗りを上げたのである。
>対価として得られる国からの交付金が、毎年数十億円もあるこ
>とに魅力を感じたのだろう。

この書き方は立候補された方に対して失礼だと思います。

投稿: だるま | 2007年4月26日 06:14

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