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2007年4月 7日

人間至上主義について

 地球環境問題がようやく国際政治の前面に取り上げられるようになってきたが、この21世紀最大の問題が人類に投げかけているメッセージをどう理解するかを、人類はまだ合意するに至っていないようだ。私は5年前に上梓した『今こそ自然から学ぼう』(生長の家刊)に「人間至上主義を超えて」という副題をつけて、この現代の思潮が地球環境問題の根底にあることを指摘したが、どれだけ説得力があったか分からない。人間至上主義とは、人間にとっては何よりも人間が大切であり、したがって人間は人類の増殖と発展を至上価値として追求すべきとする考え方だ。「至上価値」という意味は、どんな犠牲を払っても擁護し、あるいは実現すべき価値ということだ。このような考え方にもとづいて、私たちは自然を人間の目的のために改変し、改造し、破壊してきた。今日の地球温暖化は、その結果であると言わねばならない。

 もしこの点で--すなわち、人間至上主義を問題視する点で--人類が合意に達することができれば、地球温暖化や自然破壊の問題の解決は比較的容易だと思う。そのためには人間至上主義的考え方を棄て、それに代る--例えば自然至上主義的な--思想や信条を採用し、拡大していけばいいだろう。そして、そういう思想・信条にもとづいた社会制度や技術、ライフスタイルを構築していくことで、ゆっくりではあるが人類の進む方向に変化が生じていくだろう。ただし、もしそんなことが可能であれば、の話である。

 私がこの点に疑念をもつ理由を話そう。それは、地球環境問題の解決をまだ「技術」(テクノロジー)のレベルで論じる人々が多いからである。曰く、自動車はすべてハイブリッドないしは燃料電池車に変え、エネルギーは原子力を利用し、それでも排出される温暖化ガスは地下に高圧密閉し……等々。こういう議論は、それらの技術がどういう動機で開発されるかをあまり問題にしていない。技術は人間にとって一種の“道具”であるから、“優れた道具”さえ手に入れれば、人間はそれを“優れた目的”に使うと考えているようだ。しかし、1945年の広島や長崎で、また2001年のニューヨークやワシントンで、その期待はドラマチックに裏切られた。しかも、さらに皮肉なことに、この2例とも、それぞれの“優れた技術”の使い手たちは、その技術を“優れた目的”に使ったと信じていたのである。

 私がここで指摘したいのは、“人間の心”が技術を生み出し、技術を使うということである。そして、“人間の心”は常に正しいとは言えないのである。人間至上主義的考え方の最大の欠陥は、この事実を真正面からとらえないことである。人間が科学技術によって力を得て、増殖し、自然と対峙する際には、人間は正しい判断のもとにその力を行使するから、常によい結果が出て、人間はさらに進歩する……そんな楽観論を背後に感じるのは、私の思い過ごしだろうか。私はもちろん、人間罪悪甚重凡夫説者ではない。しかし、現象の人間は食事のメニューを見ても迷うことを知っている。その“人間の心”の問題を無視した人間至上主義には与しえないのである。
 
 私は上に「人間は科学技術によって自然と対峙する」と書いた。それは、そうすべきだという意味ではない。人間至上主義者はそういう態度をとりがちなことを示したかったのである。私は逆に、「自然と対峙しない人間」の生き方を提案したい。それは、人間至上主義ではなく、人間自然主義、あるいは自然中心主義とも呼ぶべき態度である。このような態度や考え方は、人類にとって特に新しいものではない。古来、ほとんどの民族がそれを「宗教」との結びつきの中で信奉し、実践していた。ところが、中世の“暗黒時代”を経験し、さらに20世紀になって多くの先進国で科学的考え方のもとに神仏の存在が否定されるようになると、自然からは神仏の“影”が消え去り、人間は自然を利用し搾取することに心理的抵抗を感じなくなってきた。すなわち、人間の欲望の暴発である。
 
 私はだから、今日の地球環境問題の解決のためには、技術論だけでなく、新しい種類の宗教的自然観が必要だと考える。この場合の「宗教的」という意味は、古い時代の神や仏の概念の復活ではない。「人間の欲望を超えた価値が自然の中に存在する」ことを認め、その価値のために人類全体が、また個人が、自らの欲望を制御・制限することを普遍的倫理として受け入れることである。そのための価値体系の構築が喫緊の課題となっている。

谷口 雅宣

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