地震はどこでも起こりうる
石川県の能登半島を中心に大きな地震が起こった。「震度6強」という強い揺れで、被害も一部では大きいらしい。余震も続いている中で被害の全貌はまだ分かっていないが、現時点で死者が1人という点で、2004年の新潟県中越地震よりは小規模であると考えられる。被害に遭われた方々の無事と健康を祈るとともに、今後の復旧活動が順調に進むことを念願している。生長の家では、震源地近くには能登道場があるが、今日(25日)時点での松田正道・教化部長の本部への報告では、「能登道場の灯籠が倒れたが、壁に若干ヒビが入った程度で、信徒のケガや家屋の倒壊等は現在のところ報告されていません」とのことで、ひとまず胸をなで下ろしている。
私は中越地震の“現場”を経験したことがあるので、テレビや新聞で報道される現地からの報告に接するたびに、3年前の記憶が蘇ってくる。地震は、何の前触れもなく突然襲ってきて日常生活を寸断する。そして、しばらくの間、将来の予測ができない不安定な状態に人を追いやるものである。しかし、神戸や長岡の人々が見事に立ち直ったように、人間は大勢の協力と支援を通して必ず「不安定」を克服し、「安定」をとりもどすものである。被災者の方々は、ここで気を落とさず、ぜひ踏んばって支援の到着を待っていただきたい。
今回の震源に近い地域には「輪島市」があるが、ここは私がまだ小学生だった頃に訪れたことがある。もう40年以上前のことだから記憶はほとんど残っていないが、そこから能登半島を東に横断した海岸の町「小木」のことは、何度も行ったのでよく覚えている。「九十九湾(つくもわん)」と呼ばれる風光明媚の土地で、泊まった先の旅館の海岸から泳いで行ける距離に「蓬莱島」という名の小島があり、その周囲をシュノーケルを着けて泳ぎ回り、ウニなどを採ったものだ。
聖経『天使の言葉』の最後に「かく天使(てんのつかい)語り給えば--」で始まる1節がある:
虚空に蓬莱島の如き理想郷実現し
島の頂には水晶にて造れる宮殿ありて
その甍(いらか)も柱も悉く水晶なり。
私はここを読むたびに、今でも九十九湾の蓬莱島のイメージを思い出す。そういう地上の“理想郷”も地震に襲われることがあるのである。新聞の記事によると、このあたりは「震度6弱」だったという。関係者の皆さんの無事を祈念している。
地震翌日の『産経新聞』の「主張」で知ったことだが、能登半島は日本で最も地震が起きにくい地域の1つと見なされていたらしい。政府が作成した「地震動予測地図」の最新版では、今後30年以内にここで震度6以上の地震が起こる確率は「0.1%未満」と推定されていたという。一昨年3月に起こった福岡県西方沖地震も“安全地帯”とされていた場所で起こったそうだ。ということは、日本では「地震はどこでも起こりうる」のである。だから、大地震が起こらずに1日が終ることを毎晩感謝すべきなのだ。それとともに、人間以外の“巨大な力”が我々の毎日を支えていることを思い起こして、人間本位の生き方がもたらした様々な弊害について反省したいものである。
谷口 雅宣
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コメント
谷口雅宣先生
この地の旅館を友人が経営し、3回ほど宿泊したことがあり、気になって昨日ホームページを見ましたところ、旅館には被害がなく、周辺の道路に多少影響が出ているとのことでした。
この旅館や能登をテーマに、友人で音楽家の福沢諸さん(故人)が偶然CDを出していますが、本当に風光明媚なところだと思います。
投稿: 久保田裕己 | 2007年3月27日 09:42