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2007年3月 5日

「和諧世界」を実現する

 中国の全国人民代表大会(全人代)が始まり、温家宝首相が「政府活動報告」なるものを発表した。日本で総理大臣が行う施政方針演説に当たるものだ。その中で注目されるのは、前年の活動報告で掲げた省エネの数値目標(前年比4%減)と汚染物質削減の数値目標(同2%減)が、ともに達成できなかったことを認め、「目標数値は変えられない。必ず実現しなければならない」と述べたことだ。また、胡錦濤主席が2005年9月の国連演説で使った「和諧世界」という言葉を使い、この実現を国内のみならず、外交政策としても追求していく姿勢を明確にした。5日付の『朝日新聞』や『日本経済新聞』が夕刊で伝えている。

 この「和諧世界」という言葉は耳慣れないが、上記の記事によると、和諧とは「調和がとれ、友愛に満ちた状態」という。独裁政権の頂点にいる政治家のスローガンだから、額面通りに受け取るわけにはいかないが、「和解」とも通じる言葉のようだ。『新潮国語辞典』(新装改訂版)は、和諧を「やわらぎかなうこと。むつび合うこと。和解」と定義する。『大辞林』(1988年)もほぼ同様に「むつみあうこと。調和すること」としており、また離婚訴訟で協議離婚を成立させることにも、この言葉を使うとしている。だから、「和解」の語とかなり近い。
 
「諧」の字自身が「やわらぐ」とか「調和する」という意味をもっている。また、「かなう」「ととのう」ことも意味する。(『角川漢和中辞典』、1963年)そういう意味合いで、「諧和」とか「諧協」「諧調」という語もあり、どれもほとんど同じように「和らぎ整う」という意味になる。少し変わった熟語は「俳諧」や「諧謔」で、この場合の「諧」は「おどけ。たわむれ。冗談」を意味する。恐らく、他人との仲を和らげる目的でこれらが使われると考えたのだろう。

 白川静氏は、「諧」のもう少し深い意味を考察している。同氏の編んだ『字統』(普及版、1994年)によると、「諧」のつくりである「皆」は本来、神に祈って「神霊が相伴うてたちあらわれること」を意味したというのである。「祖霊の降るものが複数であるのを、皆という。偕とはその意であり、そのように多くの祖霊が来たり護ることを諧という」とし、「諧」とは祈りがかなうことも意味するとある。

 温家宝首相が、これらすべてのことを意識して「和諧」という言葉を使ったかどうか、定かでない。新聞の解説では、国防費の増大や1月に行われた人工衛星破壊実験を契機に海外で強まっている「中国脅威論」を弱めるために、この言葉を強調したとしている。しかし、私が注目したいのは、この言葉の背後にあるものの見方である。そこには、キリスト教的に言えば“予定調和”に似たもの--つまり、「世界は正しく運営されれば、すべてが調和した関係になるように予め設計されている」というような前提が感じられるのである。白川氏の解説にあるようなニュアンスを温首相が意図していたならば、そこには宗教的な動機もあるような気がする。
 
 中国政府が“官製の信仰”を推進していることは、ローマカトリック教会との関係に触れたとき(昨年5月7日6月10日など)に書いたが、この「和諧世界」の考え方を一種の“国教”として勧めようとしていると考えるのは穿ちすぎだろうか。

谷口 雅宣

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