『日々の祈り』について
本サイトに掲載した祈りの言葉をまとめた『日々の祈り--神・自然・人間の大調和を祈る』(=写真)が、宗教法人生長の家から発行された。今日、私の手元に見本が届けられたから、月末には全国で入手できるようになるはずだ。本書には「日々の祈り」欄に発表した49の祈りが収録され、新書判上製で258ページになっている。収益金の一部は、森林再生のために寄付される予定だ。
49の祈りの言葉は、「神を深く観ずるために」「自然を深く観ずるために」「人間を深く観ずるために」「明るい人生観をもつために」「人生のすばらしさを観ずるために」「“病気本来なし”を自覚するために」の6種類に分類されている。しかし、人間は古来、自然を通して神を観ずることをしてきたし、神を観ずるときに自然を観ずることも多く、また、人間を観ずることは神を観ずることにもつながる。さらに、「明るい人生観」と「人生のすばらしさ」もニワトリと卵の関係にあるから、これらの分類は、読者が祈る言葉を選ぶ際の便宜上のものだと考えてもらっていい。
本書の副題を「神・自然・人間の大調和を祈る」とした理由を少し書こう。
現象としての現在の地球世界は、この三者が必ずしも調和していないし、場合によっては深刻に対立している。このことは、しかし今に始まったことではない。『創世記』の第1章には、天地創造をした神が自分の創造物を見て「はなはだよい」と讃嘆したことが書いてある。ところがそれ以降の記述を読むと、はなはだよかったはずの被造物のうち、まずヘビと人間が神の言いつけに従わなかったため、神は怒って人間をエデンの楽園から追放する。これ以降も、バベルの塔をつくることも含め、旧約聖書全体を通して、人間は繰り返して神の意思に反する行為をする。これに対し、神は洪水や疫病などの自然の力を使って人間を罰し、正しい道にもどそうとする。
このような過去の三者の関係が、現代はだいぶ変化してきているようだ。過去において神と自然は人間を圧倒していたが、その関係が逆転しつつある。人間は科学によって自然を研究し、その内部の法則を次々と発見した。そして、自然法則を利用して技術を開発し、それを人間の目的に使ってきた。当初は、生命のない物理科学的な自然の利用を進めていたが、次第に生物の利用を進め、現在は遺伝子操作によって、かつて存在しなかった生物を誕生させたり、人間自身の誕生の時期や可能性さえ操作できる技術を身につけた。また、極微の世界の原子を破壊したり、原子や分子の1つ1つを操作する技術も手に入れただけでなく、これら諸々の活動によって地球の大気の組成まで変化させ、気候変動を起こしつつある。これらすべては「神のため」ではなく、「人間のため」として行われているのだ。
しかし、こういう人間の活動は、本当に「人間のために」なっているのだろうか? 人間は「神は死んだ」と宣言し、伝統的な宗教的価値を次々に否定し、生殖医療や、人間と動物が混ざり合ったキメラを開発して自然を“神”に対抗させている。が、これらに反対する人々の一部は、逆に「神のため」と称して大勢の人間の無差別殺戮を行う。これは一種の“神と人との戦い”ではないか? それは「人間のため」であるはずなのに、当の人間は一向に幸福に近づいていないように見えるし、“テロとの戦争”の最中に、地球温暖化の進行による被害はどんどん拡大している--こんな見方ができるほど、三者の関係は不調和に見えるのだ。
しかし、これらの悪現象は、人間の心が仮構した一種の“幻影”にすぎないのである。生長の家は、神の創造になる実相世界では、神・自然・人間の三者は本来、大調和していると説いている。ところが、我々の目の前に展開する現象世界は、人間の心の“迷い”を映し出しているために、歪んだり曇ったりして見える。その“迷い”とは、人間の神に対する不信・不信仰であり、自然に対する不信、人間に対する不信である。読者が本書中の祈りの言葉を日々朗読することにより、それらの迷いが“コトバの力”によって取り除かれ、本来大調和の神・自然・人間のすがたが多くの人々に自覚されることで、現象界の諸問題が解決される一助となることができれば幸いである。
谷口 雅宣 (京都議定書の発効日にあたって)
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コメント
「日々の祈り」ご出版おめでとうございます。拝読させていただくのを楽しみにしております。また、副題が素晴らしい。その深い意義を感動的に読ませて頂きました。先日、コメントで先生に勝手なお願いをしてしまったことを恥ずかしく思います。
明朝、“栄える朝の集い”(早朝神想観と朝食会)がありますので、さっそくみなさんにお知らせします。
投稿: 北田 順一 | 2007年2月17日 18:33
北田さん、
ご支援、ありがとうございます。
“朝の集い”でもご利用いただければ幸甚です。
投稿: 谷口 | 2007年2月19日 15:41
初めてコメントさせていただきます。
『日々の祈り』が出版される日を楽しみにしておりました。
先生のご指摘のように、現代人は幸せになろうと努力すればするほど、心(人間)の本当の幸せから遠ざかっていると思います。またどこまで行けば、幸せになれるのか?
實相の世界では三者が久遠の時において大調和している、その世界を感じ取れなければ、その幸せを本当につかめないことを、まさに再認識できる時期に来ていると思います。
これからもご指導よろしくお願い申し上げます。
投稿: 田中 尚 | 2007年2月20日 15:28
田中さん、
コメント、どうもありがとうございます。
神・自然・人間の一体性が、より多くの人々の認めるところとなることを祈っています。
投稿: 谷口 | 2007年2月21日 23:00
合掌ありがとうございます。
福岡教区では、3月1日発売以来18日間で250冊を教区の皆様にお届けいたしました。皆さんプレゼントなどに「あの人にも差し上げよう、この人にも差し上げよう」喜んで買っていかれています。これからもより多くの方にお薦めしていきます。 再拝
投稿: 福岡県教化部 図書係 | 2007年3月18日 18:02