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2007年2月11日

建国記念の日に思う (2)

 今日は日本の建国記念日。東京・原宿にある生長の家本部では、例年のように午前10時から祝賀式典が行われ、私は大略、以下のようなスピーチをした:

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 皆さん、建国記念の日、おめでとうございます。今年も日本国の誕生日を祝う建国記念の日を、皆さんと共に元気で迎えられたことを神様と皆様に心から感謝いたします。ありがとうございます。
 
 この建国記念日は、『古事記』や『日本書紀』に記された日本の神話にもとづくものです。神話は歴史ではありません。現在の世界のほとんどの国々では、近代の民主主義革命や現代の独立記念日が建国記念日になっています。これは昨年も申し上げたとおりです。だから、世界のほとんどの国の建国は歴史にもとづいて理解されているが、日本とお隣の韓国ぐらいのごく少数の国が、有史以前の神話にもとづいた建国記念日をもっている。これは大変珍しいことで、世界に自慢できることの1つだろうと思います。
 
 しかしその反面、神話にもとづいているというそのことに、1つの問題が内包されています。それは、近代や現代の歴史的事象に建国の基礎を置く国々では、“建国の理想”とか“建国の精神”というものが「憲法」や「独立宣言」などの歴史的文書の中に明確に記されており、その解釈にあまり異論を差し挟む余地がないのです。しかし、神話にもとづいて建国を定めた場合、神話というものはその性質上、様々な解釈が可能な一種の“文学作品”でもあります。だから、“建国の精神”が何であるかは人によっていろいろに解釈できる。そういう意味で、戦前・戦中に「紀元節」としてこの日が祝われていた当時、日本の建国神話の中の様々な出来事や言葉について--例えば「八紘一宇」という言葉について--当時の政権の都合のいいような解釈が強制されたのです。このことを私たちは忘れずに、同じ間違いを2度と繰り返してはならないと思います。
 
 そういう過去もあったので、残念なことですが、現在の日本では「建国の理想」についての国民的な合意がまだできていません。だから、一方には「戦前・戦中の紀元節と同じ日を建国記念日にすることは戦前の日本へ還ることにつながる」として反対する人々が大勢います。またその逆に、他方には戦前・戦中の考え方は正しいとして、それが「建国の理想」だととらえる人もいます。私たち生長の家では、そのいずれの立場とも違うのであります。それは、谷口雅春先生が説かれたように、日本建国の精神とは「武力によって世界を統一することではなく、神意にしたがって、八方の国々が合意して平和を実現すること」だと考えます。そして、そのことは『日本書紀』の神話にも明確に書いてあるのです。この話は昨年もしましたが、大切なことなので繰り返してお話しましょう。

 神武天皇が国を統一する際、一番の強敵だった長髄彦(ながすねひこ)という人がいました。神武天皇は長髄彦と戦ったときに大変苦戦をされて一度退却されます。お兄さんの五瀬命(いつせのみこと)が流れ矢に当たって重傷を負います。そういう経験をされた天皇は、それまでの自分のやり方に何かまずい点があったのではないかと考え、神々に聴いてみる。すると、神からの次のようなお告げがあったと『日本書紀』には出ています。重要な部分なので原文を引用します:
 
「今我(いまやつかれ)は是れ日神(ひのかみ)の子孫(うみのこ)にして、日に向いて虜(あた)を征(う)つは、此れ天道(あめのみち)に逆(さか)れり。若(し)かじ、退き還りて弱きことを示して、神(あまつやしろ)祇(くにつやしろ)を礼(いや)び祭(いわ)いて、背(そびら)に日神(ひのかみ)の威(みいきおい)を負いたてまつりて、影(みかげ)の随(まにま)に圧踏(おそいふ)みなんには。此(かく)の如くせば、曽(かつ)て刃に血ぬらずして、虜(あた)必ず自ずからに敗れなん」

 このように、神武天皇は、自分が太陽神である天照大神の子孫でありながら、太陽に向って進軍していたのでは神の御心にかなわないと判断された。つまり、苦戦の原因は神意に歯向かっていたからだと考えられ、いったん退却してからその土地の神々を祀られて、背中に太陽を負ってもう一度進む--即ち、神の御心に従って進む。そうすれば、血を流さずに敵は自ら降参する、と述べられたわけです。このことから分かることは、「常に神の御心を聴き、真理の光を背負って進む」のが日本の建国の理想であるということです。「真理の光を背負う」とは、真理に歯向かわず、「ハイ」と言ってしたがうことです。自分の利益を優先せずに、神意に聴き、正しいことを素直に実行するということです。そういう精神が、日本の神話に表れた建国の精神であるということが、もっと多くの日本人の間で合意される必要がある、と私は思うのであります。
 
 さて、日本の建国神話の話をしてきたのですが、日本の神話のもう一つの大きな特徴は、「神」と「自然」と「人間」とが連続してつながり合っているということです。それぞれの間には垣根がほとんど存在しない。例えば、『古事記』にイザナギノ命とイザナミノ命が国生みをする有名な話があります。その際、イザナミノ命が“火の神”を生んだために大火傷をして死んでしまいます。それを見たイザナギノ命は、最愛の妻を失った怒りと痛恨のあまり、火傷を負わせた自分の子であるカグツチノ神の首を切ってしまう。すると、ほとばしり出た血がいろいろのものに飛び散ったところから沢山の神々が生まれてきます。また、切り殺されたカグツチノ神の体からも、次のように自然を司る八神が生まれる:
 
  頭  → マサカヤマツミノ神(険しい頂をもった山の神)、
  胸  → オドヤマツミノ神(山の麓の神)、
  腹  → オクヤマツミノ神(深山の神)、
  陰部 → クラヤマツミノ神(暗い谷間の神)、
  左手 → シギヤマツミノ神(鬱蒼たる樹木の神)、
  右手 → ハヤマツミノ神(麓の山の神)、
  左足 → ハラヤマツミノ神(平坦な峰をもつ山の神)、
  右足 → トヤマツミノ神(端にある山の神)。
 
 ひと言でいうならば、“火の神”から大自然が生まれたのです。この話は、自然というものが神の命そのものであることを示しているのです。そして、この自然を生んだ神は、イザナギとイザナミであり、その子孫が天照大神と神武天皇を通して地上に現れてきた人間(日本人)なのですから、人間もまた自然と同じ命を共有しているという考え方が背後にはある。この「神」「自然」「人間」の三者が一体であるという日本神話の感性は、我々日本人がずっと共有してきたものです。だから、日本人が「神の御心」に聴いて行動する場合、神や人間と本来一体であるところの自然を破壊するなどということは全く考えないはずなのです。先ほど、「日本建国の理想」とは「常に神の御心を聴き、真理の光を背負って進む」ことだと言いましたが、その進む方向が「自然破壊」に結びつくはずがないし、もしそんな現象が起きているならば、それは日本建国の理想に反するのであります。

 そういう意味で、21世紀の今日、人類が直面している最大の問題である地球環境問題に対して、この日本の国と日本人とが担う役割は大変大きいと思います。現に日本人は、省エネ技術や環境技術の面で世界に大きな貢献をしています。日本の建国の理想と日本人の感性とは、21世紀には新しい使命をもって世界で待ち望まれていると言える。そのことを自覚して、我々は大いに「人間・神の子」の教えを伝えるとともに、神・自然・人間の大調和した世界実現に向って邁進したいと思うのであります。戦前・戦中のように独善的にならずに、多くの国々、多くの人々との合意を形成しながら、明るく、自信をもって運動を進めていきましょう。
 
 このおめでたい記念日に当たって、所感を述べさせていただきました。ご清聴、ありがとうございました。

谷口 雅宣

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コメント

はじめてコメントさせていただきます。
いつも素晴らしい真理をお説き下さり心より感謝申し上げます。

日本建国の理想が環境問題の解決につながるとの所説は大変素晴らしく感動いたしました。
生長の家の導きの神様である住吉大神様も宇宙浄化の神様として環境浄化を導いていると思います。

住吉大神様のはたらきと環境問題についても是非説き下さい(既にお説きかもしれませんが)。

投稿: 北田 順一 | 2007年2月12日 23:33

谷口雅宣先生

 素晴らしいお話、ご指導有り難うございました。日本の建国の理念が自然と一体感を持ち、大事にするというお話に感銘致しました。
 我々生長の家信徒はその日本建国の理想と使命に基づいて世界に向かって生長の家をお伝えする使命があると思いました。

堀 浩二拝

投稿: 堀 浩二 | 2007年2月13日 09:25

北田さん、

 コメント、ありがとうございます。
 生長の家の信仰する神は、「第一義の神」であることが第一義だと思います。しかし、それでは気持が入らないという場合、いろいろな性格の神様を立てて拝んでもいいのでしょう。実相世界は万物調和の世界ですから、それへの先駆けとして住吉大神をお祀りすることで「宇宙浄化」の実感があるとされるならば、そのようにしてください。

投稿: 谷口 | 2007年2月13日 23:03

早速のご返事ありがとうございます。

行間をかみ締めながら、眼光、紙背(PC背?)に徹する思いで読ませていただきました。

先生の直観力に感動いたしました。生長の家と環境問題との関わりについて、住吉大神は宇宙浄化の神様すなわち地球浄化の神様でもあるからだ。と自分なりに納得していたからです。

今後とも素晴らしいご指導をよろしくお願い致します。

ところで、「地球環境が既に浄化されている祈り」のような祈りを“日々の祈り”に加えていただけたらと思うのですが。

投稿: 北田 順一 | 2007年2月14日 13:19

谷口雅宣先生
いつもご指導ありがとうございます。
建国記念の日には,「大日本神国観」をいつもより時間をかけて厳修致しました。天皇陛下を中心に八百万の神々や護国の英霊,十方の諸仏・諸天が雲集する中心帰一の世界を観ずることは,真に魂が清まる想いです。

ところで,最近相愛会員になった友人と話をしていたら,その友人が「生命の実相の平成版は出ないのかなあ」ともらした一言が妙に頭から離れず,ここにコメントを書かせていただいております。
私のように長年生命の実相を愛読している者にとっては,あまり実感がないことですが,新しい誌友・会員の方にとっては,どこか『古典』を読むようなとっつきにくさがあるのかな,と思いました。
頭注版の生命の実相が出て40年余り。そろそろ平成版として再編纂され,一般の書店でも多くの人が手にすることのできるような普及版生命の実相というものが出てもよいのかな,と思った次第です。

投稿: 佐々木勇治 | 2007年2月16日 20:30

佐々木さん、

 「普及版生命の実相」ですか……。『生命の実相』は谷口雅春先生の著作物ですから、それを誰かが“書き直す”ことはできないと思います。その内容を把握した人が、自分の言葉でわかりやすく表現し直すことはできるかもしれませんが、それはあくまでもその人の著作物ですから、それに「生命の実相」という題名をつけることはできないと思います。

 あなたのご要望の意味は分かりますが、それを「普及版生命の実相」と名づけることには色々問題があるように思います。

投稿: 谷口 | 2007年2月19日 15:54

谷口雅宣先生,
御回答ありがとうございます。
舌足らずな文面で誤解を招いたかも知れません。お詫び申し上げます。

私が考えたのは,内容を分かりやすく書き換えるというような恐れ多いことではなく,新版として編纂された生命の実相という意味でした。

投稿: 佐々木勇治 | 2007年2月19日 20:08

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