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2007年1月18日

スパゲッティーは日本食?

 休日だったので1日ゆっくりと過ごした。と言っても、1日中家にいたわけではなく、昼から妻と2人で原宿・青山方面へ散歩に出かけた。直接の目的は昼食だが、帰りがけにブラブラするつもりだった。比較的暖かな日で、マフラーなしで快適に歩けただけでなく、昼休みでオフィスから出てきた人の中には、コートを着ない人も多かった。明治通りから狭い路地を入って青山通りの方向へ行く道は、どれも上り坂になっている。そのうちの1本を選び、カーブをたどりながらゆっくり歩く。周囲の家並みや庭木、街路樹、店のディスプレイ、家の造りなどを、旅人のような気分で眺めながら歩くと、普段は見えないものがいろいろと見えてくるから不思議だ。
 
 国連大学に隣接するオーバル(楕円)ビルの地下に、生めんのスパゲティー専門店がある。1週間ほど前に見つけて、機会を見て行こうと思っていた所だ。そこへ入り、和・洋・中の3種類のメニューから2人で好きなものを選んだ。店内がはっきりと“分煙”されているのがうれしい。やがて出てきた注文の品は、いずれも新しく複雑な味。妻は和風のソースを頼んだが、バター入りだったので和洋ミックスの味。私は洋風ピリ辛ソースだったが味噌が混じっていたので、これまた和洋ミックスである。いずれもコクがあっておいしい。それらを互いに取り分けて食べながら、日本文化談義になった。

 日本人は昔から、海外の文物を自分の生活に取り入れるのに熱心で、それらをいつのまにか“日本的”なものに変えて使っている。古くは仏教や中国の律令制度に始まり、朝鮮の文化、キリスト教、欧米の法制度、行事・習慣、野球、その他のスポーツ、学問、芸術、技術、そして料理……。この柔軟性が2千年の昔から続いてきたおかげで、幕末の未曾有の危機にも対応することができた。それでいて“日本的”なものが消えてしまったかというと、そうではなく、“日本的仏教”“日本的キリスト教”“日本的法制度”“日本的野球”“日本的学問”“日本的技術”……などがちゃんと残っている。無原則、無方針などと批判されることもあるが、翻ってみれば、「外からの刺激を内に取り込んで自己の一部にする」という原則や方針がある、と考えることもできるのである。云々……。
 
 そんな談義の場であるこの店にしてから、「靴を脱いで上がる」形式は和式であるが、私たちが案内された禁煙室にはテーブルと椅子が並ぶ。ところが喫煙者用には、掘り炬燵式の畳席が用意されている。食べ物であるスパゲッティー自体は洋式。しかし、ソースは和・洋・中のいずれもある。それを食べる食器は和食器であり、塗物の木製スプーンと割り箸がついている。ああ、これを何と表現したらいいのだろうか! 「こういう形式や様式にこだわらないのが日本式である」とさえ言いたくなる。形にこだわらず、「良い」と感じるものを積極的に取り入れてきたのが日本社会だから、それが今日の日本の繁栄をもたらしたと同時に、様々な問題ももたらしている--そんな感想をもった。
 
 ところで、様式が自由すぎるということにも、問題はある。私たちはこの日、家を出る時からスパゲッティーを食べるつもりだったので、携帯用の箸を持って来なかった。西洋麺をスプーンと箸で食べることなど、まったく思いつかなかった。しかし、ここでひるんではならないと思い、私は意を決して店の配膳人にフォークを所望してみた。配膳人は一瞬、不思議そうな顔をしたが、すぐに対応してくれた。しかし、なぜ割り箸なのか? 私たちが行き着いた結論は……塗物のスプーンを左手で持ち、スパゲッティーを右手のフォークで取ってスプーンの上でグルグル巻くと、しだいに塗物がはげてくるから……。しかし、そうまでして和食器にこだわるスパゲッティーは、もはや日本食ではないか?
 
谷口 雅宣

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