気がかりなブッシュ演説
アメリカのブッシュ大統領のイラク政策についてのテレビ演説を聞いた。肩を上げ、眉間に力を入れ、緊張した面持ちでほとんど一本調子で原稿を読み上げた、という感じの演説だった。内容はすでにご存じのとおり、「2万1千人の兵員の増派で、イラク大統領の治安回復を助ける」というものだ。しかし、これは「方針通り継続」と言ってきたこれまでのイラク政策と本質的に変わらない。派兵は、イラクの“若い民主主義”(young democracy)が確立するまで維持するとしているから、これから先何年もアメリカ軍はイラクの治安維持のために中東に留まることになるだろう。この演説は、昨年の下院選挙で示されたアメリカ国民の意思を、明らかに無視した形になっている。
この点をアメリカのメディアは大いに批判している。が、だからと言って、内戦状態のイラクからすぐに兵力を引き揚げるわけにはいかない。そうすれば、アメリカの失敗と無責任を世界に示すことになり、各国との同盟関係にも深刻な影響を及ぼす可能性があるからだ。アメリカは今、何とも困難な状況にあると言えよう。
私はしかし、ブッシュ氏の演説の内容に大いに気がかりなものを感じた。それは「急進的なイスラム過激派(radical Ismalic extremists)」とか「テロリスト」を敵として見据え、その敵とはまったく交渉の余地がなく、武力で破壊する以外に仕方がないとの考え方が、見え隠れしていたからだ。ブッシュ氏によると、現在のアメリカの中東での戦いは、単なる武力紛争ではなく、「我々の時代を決定するイデオロギーの闘争(a decisive ideological struggle of our time)」であると定義される。その闘争とは、一方に「自由と穏健を信じる人々」が置かれ、他方には「罪のない人々を殺し、我々の生き方を破壊する意志を明確した過激派」が対峙している。そして、ブッシュ氏の考える「アメリカ国民を守る最も現実的な方法」とは、敵のもつ憎悪のイデオロギーに代わる“希望の思想”を提供することであり、それは中東に自由を広めることだ、というのである。
この明確な「2項対立」の世界観がブッシュ氏の本心ならば、それは9・11後のアフガン侵攻やイラク戦争開始時のブッシュ氏と少しも変わっていない。かつてこの「味方でなければ敵」「自由でなければテロリスト」という単純明快な2分法が世界では受け入れられず、ヨーロッパからも反対され、国連でも認められなかったのである。しかし、ブッシュ氏は「①イラクはイスラム過激派を支援して、②大量破壊兵器の製造を推進し、③それが9・11を起こした」という論理のもとにイラク戦争を始めた。そして、我々が知っているのは、この3つのうち2つまでが間違いだったということだ。(正しかったのは、“イスラム過激派”がテロの実行犯だったことだけである)
そのことから、ブッシュ氏が学んでいないように見えるのは、誠に残念である。私は特に、上記のブッシュ氏の考え方にある「イデオロギーの闘争」という言葉に危機感を覚える。アメリカは、新しい“冷戦”を作り出そうとしているのだろうか? 「イスラムの過激思想」を敵として捉え、かつて「共産主義」と対峙したように、それとの長期にわたる物心両面での闘争を、21世紀の「最も現実的な方法」として遂行するのだろうか? そんな選択は間違っている、と私は言いたい。
現代のイスラム思想に関して私は何回(例えば、昨年8月12~13日、15日)か本欄に書いてきたが、中東の多くの国々の考え方は、過激なスンニ派ワッハーブ主義なのである。第一、アメリカの同盟国・サウジアラビアの国教はワッハーブ主義である。これを自由・民主主義に変えるまで戦うことが「最も現実的な方法」だと、ブッシュ氏は本気で考えているのだろうか。それとも、この演説はあくまでも“表向き”で、裏ではイランやシリアとの交渉も視野に入れた“リアルポリティーク”(現実政治)をするつもりなのか。ライス国務長官の中東訪問が始まったが、ブッシュ氏の本心は次第に見えてくるだろう。
谷口 雅宣
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コメント
谷口雅宣先生
私も、ブッシュ大統領の主張の背後に、冷戦時代の反共産主義のような、相手を邪悪視する思考様式が横たわっているような気がしてなりません(たんなる建て前なのか、それとも本音なのかは定かではありませんが…)。というのも、ブッシュ大統領が"the 2006 Presidential Medal of Freedom"をナタン・シャランスキー(Natan Sharansky)という人物に贈ったことが、ホワイトハウスのウェブサイトで報じられていますが(*)、このナタン・シャランスキーという人物は、旧ソ連での抑圧に苦しんだ反体制運動家だったそうだからです。
(*)http://www.whitehouse.gov/news/releases/2006/12/images/20061215-1_d-0462-515h.html
このナタン・シャランスキーの2004年に書いた本が、第2期ブッシュ政権の根底に流れる「自由拡大思想」の原典となっているそうです。
その本のタイトルは、"The Case For Democracy: The Power Of Freedom to Overcome Tyranny And Terror"というもので、邦訳が『なぜ、民主主義を世界に広げるのか--圧政とテロに打ち勝つ「自由」の力』という書名でダイアモンド社から出ています。その邦訳書を手に入れて読み始めてみましたが、ウンザリしてしまって、要点をつかんだあとは、それ以上読み進める気になりませんでした…。
このナタン・シャランスキーが、この本の著者紹介によると、旧ソ連で反体制運動家だったというのです。その旧ソ連の抑圧体制を突き崩した解放者こそ、アメリカを先頭とする自由民主主義に他ならない、というわけです。そこからシャランスキーは、中東世界をも同じように独裁者から解放し、自由と民主主義を広げなければならない、という議論を展開しています。
旧ソ連の抑圧体制に苦しめられた人物が、圧政からの解放者として、一種の「人道的介入」を強硬に行おうとするアメリカに期待する--という心情は分からないではありませんが、やはり私自身は、たとえ自由民主主義という目的は正しいとしても、その実現のための手段は、もっと慎重に選ばなければならないと思うのですが…。
投稿: 山中優 | 2007年1月16日 00:02