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2007年1月21日

若き妻との再会

 夕方、事務所から帰宅し、着替えのため2階の寝室へ入ると、四ツ切りサイズに引き伸ばした若い女性の写真が、整理ダンスの上で私の顔を見つめていた。見憶えのある白黒のバストショットは、私が結婚前に撮影した妻の写真だった。もう長らく紛失したと思っていたのが、目立つ位置に置いてある。妻の仕業に違いなかった。着替えをすませた私は、それを小脇に抱えて階下へ行き、経緯を妻に尋ねた。

 納戸の整理をしていたら、偶然見つけたのだという。最近、なぜか彼女は整理ずいている。この前も、古い本や雑誌を大量に出した。私もつられて、子どもたちに買い与えた古いマンガ本をダンボール箱いっぱいにまとめて出したら、「それを捨てるのはもったいないから、小学生の子がいる妹家族に送ってあげる」と言った。私が気づかないことをいろいろ考えているようだ。
 
 問題の“若き妻”の白黒写真は、私が自分で撮影しただけでなく、現像・焼付も自分でやり、木製パネルまで買ってきてそこへ貼った。それほど“ご執心”だったということか。一昨年の5月23日の本欄に少し書いたが、学生時代の私は写真に凝っていて、父から手ほどきを受けて白黒写真の現像・焼付け・引伸ばしをやっていた。そんな経験を生かして、結婚前の妻にプレゼントしたものだ。記憶力のいい妻に訊くと、この写真は結婚する年の8月、妻の実家へ“挨拶”に行った際に撮影したものという。1枚だけ撮ったわけではなかろうから、何枚かの写真の中で私が最も気に入ったものを選んで引き伸ばしたのだろう。ということは、当時の私は、この写真のような雰囲気の彼女に惹かれていたのだ。

 そう思って写真を見つめると、「へぇー」という気持になる。現在の妻の雰囲気とずいぶん違う。中年の私は“若き妻”に惚れ直しそうだったが、彼女自身はこの顔を「あまり好きでない」と言う。理由は、「ふにゃ~」としていて「不安そうな顔」だからだそうだ。しかし、結婚前の彼女に不安がなかったと言えばウソになるだろう。結婚とは、不安の中にも喜びを見出し、期待を膨らませて飛び込んでいくものではなかろうか。

Yjunko015ms  最後にその写真を掲げるが、普通の白黒ではつまらないので、セピア調に色をつけてみた。この写真と彼女の今の写真を並べ、“使用前-使用後”式の比較をしないように、とは妻からのお願いである。

 谷口 雅宣

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コメント

副総裁先生

奥様は酒井和歌子さんにそっくりだったんですね。

投稿: 佐藤克男 | 2007年1月22日 09:04

谷口雅宣 先生

「自分の若いときの顔があまり好きではない」というお気持ちは、私にも分かる気がいたします。というのも、私自身がまだ20歳頃のある写真での自分の顔が、いま思い出してみると、それこそ「ふにゃ~」としていて(笑)、どこか頼りない表情をしているように思えるからです。

それから約18年経った今(もうすぐ38歳になります)、その年月の間に積み重ねてきた人生経験が、自分の顔に、少しは引き締まった表情を刻んでくれたことを、われながら嬉しく思っています。

とはいえ、あの20歳の頃の若い自分も、また別の観点からすれば、愛すべき表情なのかもしれないと、先生のご文章を読ませていただいて、思うようになりました。というのも、そこには、これから生長せんとする若い生命の息吹が、甘ずっぱい青春のにおいと、どこか不安げな雰囲気の中にも、現れているような気がするからです。

あの20歳の頃の写真はどこにあったのか…私も整理して探してみます(笑)

投稿: 山中優 | 2007年1月22日 13:04

お写真を見て、独身時代の谷口純子先生と一緒に青年会活動をさせていただいた私にとっては、とても懐かしく感じました。純子先生は「不安そうな顔」とおっしゃったそうですが、青年会で感じていた純子先生の表情は確かにもっと、明朗でハッキリした印象だったと記憶しています。青年会の女子リーダーとして表情と、結婚を前にした1人の女性としてのお顔とは自ずと違ってくるのでしょうね。

投稿: 田原康邦 | 2007年1月22日 14:44

最近、私も写真というものの面白さを強く感じています。
総裁・谷口清超先生が御文章にときどきカメラのことを大変詳しく紹介されていますが、以前は聞いたこともないようなメーカーやレンズの型番などを読みながら、総裁先生のお心が十分に理解できていないことに、もどかしい感じをずっと受けていました。
しかし、絞りとシャッタースピードで同じ瞬間を全く違うように写すことができる写真に面白さを感じ始めると、カメラ本体やレンズの違いが、また写す写真を大きく変えることを知って、先生が仰りたいことの一部がおぼろげながら分かってきたような気がします。

副総裁先生が写された純子先生のお写真を拝見して、沢山の写真の内のこの一枚を選んだ副総裁先生の純子先生に対する眼差しを感じることができる気がします。というのも写真を決めるのは何より、撮る人の被写体に対する愛情だと思うからです。

投稿: 大平收一 | 2007年1月24日 14:05

佐藤さん、山中さん、田原さん、大平さん、

 皆さんのコメントを呼んでみると、「顔」というものが、我々の心に様々な感情を引き起こす力を改めて感じます。1つの顔がこの通りですが、考えてみると、我々は事実上「無数の顔」を毎日しているのですね。ただ、それに気がついていない人がほとんどですが……。

投稿: 谷口 | 2007年1月24日 14:32

合掌 ありがとうございます。1月21日のブログは、今までの中で最も興味深く読ませていただきました。それにしても、純子先生はきれいです。

投稿: yasuko | 2007年1月24日 21:05

合掌 有難うございます。
この間、愛媛県にて質問させていただきました。原理主義についての質問でした。失礼の段お許しください。どうも、先生とは同年齢らしいのです。長く生長の家に在籍し
いろいろなことがございました。小生はまだ独身です。
コンピューターを覚え、よく友人とのやり取りをしますが、金がかかりびっくりしてます。店のほうは、経費がかかり、それがために、練成を受けていますが、祈るのみです。両親はもうこの世にはいません。
 絵の感想ですが、都会の中にいると、ビルばかりで、家の絵が多いと思います。僕も、抽象的で、ゆがんだ建物の絵が好きでした。全国大会で、東京の駅に降り立ち、東京駅をスケッチしました。もう何年前になるでしょうか。今は忙しくて、そんな暇がありません。でも、自然に囲まれたこの瀬戸内の大三島は、大変自然美には恵まれていると思います。いつも、この島々を眺めながら、買出しに行く道すがら、美しさに圧倒されます。親戚の方も、絵をたしなむ人が
おられ、戦争にゆき、中国の戦線で、もうだめかと思ったらしいのですが、雄大な中国の山野から太陽が差し昇る光景に、このような自然に
打たれ、一体となるなら死んでもよいと思ったといっていました。
無事生還し学校の先生をしていました。僕が墨絵を習っているとき、若干アドバイスを頂きました。東京に住んでいるときは、家やら車に興味を持ち、島にいるいまは、船やら、自然に興味があります。もちろん人物にも。若い人が少なく余り接する機会もなく、寂しいところになりました。最近、ウェルネス高校という東京の高校がなぜかしらできました。体育の学校ですが。
 ここは大三島と言う島ですが、隣の瀬戸田には、平山美術館があり
何度か足を運びました。大変すばらしい建物で、映像を通じての解説もあり、勉強になりました。
 千葉の船橋に住む姉の子供が、上は武蔵野美大の日本画を専攻していて、留学をしたいと言い出し金がかかり大変らしいのです。
その下は、漫画家志望で、女ですが、入学金が高く自分で勉強しているようです。何を書いてよいのかわかりませんが、失礼があればお許しください。再拝

投稿: 杉野長治 | 2007年2月 3日 22:34

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