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2007年1月 1日

年頭に当って思うこと

 平成19年、2007年という新年が明けて、私の住む東京・原宿の周辺は一変した。人々が朝早くから大勢集まり、初詣や初売りに長い列をつくる。このエネルギーは信仰の力というよりは、習俗や習慣の力を表しているのだろう。生長の家では、午前10時からJR原宿駅近くの本部会館ホールで恒例の新年祝賀式が行われ、私は大略、以下のような年頭の所感を述べた:

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 皆さん、新年明けましておめでとうございます。
 今年も晴天のもと、皆さんとともに無事に健康で新年を迎えられたことを心から感謝いたします。本年は十二支では「亥」の年で、イノシシの年とされているので、イノシシに関する諺を2つご紹介しましょう。

 1つは、「豕(いのこ)を抱いて臭きを知らず」というもので、これは「自分の欠点や醜さは、自分ではなかなか気づかないことを言うたとえ」とされています。「豕」とは「豚」という漢字からヘンを除いた右側の文字で、この字はイノシシのこともブタのことも指すようです。ブタは臭いものだが、それを抱えている本人には臭さが分からない、ということでしょう。私は、この喩をブタだけでなく、家畜全体に適用させて考えることができると思います。人間は、太古の昔から家畜を飼って生きてきましたが、近年、その家畜の大量飼育がどんな問題を引き起こしているか、自分ではなかなか気がつかないということです。

 昨年12月17日の私のブログに書いたことですが、国連の食糧農業機関(FAO)がその月に『Livestock's Long Shadow(家畜の長い影)』という題の報告書を出しました。それによると、世界の産業の畜産部門が生み出す温室効果ガスは、運輸部門が排出する割合(全体の13.5%)を上回る「18%」に達するというのです。運輸部門の中には、航空機や船舶、そして無数の自動車から出る排気ガスなどが含まれるのですが、それよりも畜産業が排出する温室効果ガスの量が多いというのに、私は驚きました。この畜産部門が排出するガスには、餌となる穀物を育てるための化学肥料や、餌そのものの製造過程から出る分、牧養地開拓のための森林伐採で排出される分、また糞の処理過程で出る分、家畜自体が出すメタンガス、家畜とその飼料の運搬過程から出るガスなどが含まれます。

 このほか、私が講習会でも紹介している数字もその報告書には載っていました。それは、世界の農地の3分の1が家畜の飼料生産に使われているということです。食糧が足りなくて困っている人間が大勢いるのに、家畜に大量の穀物を与えているのです。ですから、諺の話にもどれば、我々人類は「豕を抱いて臭きを知らず」というよりは、「家畜を食して危うきを知らず」という状態にあると言えるでしょう。

 イノシシに関する2番目の諺は、「猪も七(しち)代目には豕(いのこ)になる」です。この諺は分かりやすいので、あまり解説する必要はないでしょう。野生のイノシシも飼いならされて七代たてば、ブタになるということです。安楽な環境下では、生物は堕落してしまうという意味に解釈できます。

 そのことに関しては、年末のテレビ番組で、解剖学者の養老猛氏が、フィリピンの島にある監獄を取材していたのを思い出します。そこは、模範囚に対しては非常に寛大な措置をとっているそうです。鉄格子や塀などはもちろんなく、普通の家で、家族を呼び寄せて一緒に暮らせるのです。そこで生活する模範囚の1人の話では、彼はマニラかどこかの都市でケンカをして、人を殺してしまった。その罪の償いのためにここにいるが、この島の自然の中で農業をしている方が、都会での一見自由な生活より幸福だというのです。便利な都会の生活よりも、不便な自然の中の生活が幸福だというのはなぜでしょうか?
 
 養老氏の解説では、現代の都会の生活は、人間の体に備わった五官を活用せず、体も使わず、エアコンの効いた部屋の中で単調な仕事を続けるのがほとんどで、そういう環境では、人間はストレスが昂じて、簡単なきっかけで暴走してしまうことがあるというのです。しかし、人間は一見不便な自然界の中に置かれると、脳だけでなく、五官をフルに活用して、自然界から必要な情報を得、また体全体を使って生存のための工夫をしなければならない。そこでは、人間は自分の感情や欲望を抑制することを学び、またそのようにして、環境と折り合いをつける生き方を習得する。と同時に、そういう努力の中に幸福があるというのです。自然とのギブアンドテイクが本来の人間の生き方であり、そこに幸福がある。
 
 例えば、オフィスの中では一定の温度と湿度、一定の照明、一定の環境が保たれていて、人間はそれで幸福のように見えるけれども、風景も一定であり、一緒に仕事する人も一定であり、仕事も一定である。この変化のない単調な環境は、本来人間がその中で生きてきた自然とは異質のものであるから、幸福感は得られない。極端な話、オフィスの中で仕事をしていれば、その日に雨が降っても、雪が降っても、それに気づかずに過ぎてしまうことがある。しかし、自然界では、日が昇り、日は動き、日は沈む。その過程に、無限の変化があり、美しさがある。雨にも雪にも、厳しさがあると同時に、それぞれの楽しさ、美しさがある。
 
 現代人は、そういう自然の無限の変化を言葉と概念に置き換えて、単純化してしまっている。これによって科学や技術が発展したことは素晴らしいが、その反面、人間と自然との直接的関係が失われている。我々も都会の便利さや、頭でっかちの考え方で生きているのでは、人間全体の“半分”の生き方しかしていないことになる。それは野生のイノシシの生き方ではなく、飼いならされたブタの生き方です。そういう意味で、今年は便利で心地のいい現代文明に飼い慣らされたブタの生き方ではなく、自然との接点を失わないイノシシの生き方を忘れずに過ごしたいと思うのであります。

 さて、話は変わりますが、新年は様々なものが新しくなる。新しくないものも新しくすることによって、さらなる発展を期するときです。例えば皆さんは、新しい日記帳を買いましたか? 私は、昨年の新年祝賀式でこんな話をしました--
 
「創始者、谷口雅春先生は“朗らかに笑って生きよ”という言葉を掲げて生長の家を始められ、私たちは今日まで“日時計主義”の生活を大いに進めてきました。また、これからもさらに進めていきたいと思うのです。なぜなら、この“日時計主義”こそ、実相独在の信仰と唯心所現の真理を体現した生活の実践だからです。つまり、現象的にはまだ“光明”が充分現れていなくても、現象の背後にある実相を信じて、それをコトバで認め、引き出すことで、地上に“光明”が現れる――そういう信仰と原理なくして、日時計主義は成立しないからです。
 私たちは今、主として雑誌や書籍などの印刷媒体を使った運動をしていますが、“明るいニュース”や“楽しい出来事”は、インターネットや衛星放送などのもっと新しい手段や媒体を通すことで、印刷媒体よりも早く、世界中に伝えることができます。昭和初期に印刷媒体を使った生長の家が、平成の時代にもっと新しい媒体を使わない理由はない。そういうことについても今後大いに工夫して、効果的な運動を進めていきたいと思います」

 昨年こう言ったことが、1年後には皆さんの絶大な応援とご協力によって実現しつつあります。ここに持ってきた『日時計日記』は大変好評で、昨年12月27現在で3万1千部出ました。これに先立ってインターネット上では「日時計ニュース.com」がスタートし、クリスマス前にはWeb版『日時計日記』も動き出しました。このような様々な道具を使い、さらに新しい方法を工夫し、今年も日時計主義の生き方をあらゆる機会に展開しながら、人類光明化運動を大いに発展させていきたい。このように年頭に当って念願するしだいです。皆さん、よろしくお願いいたします。

[当日の挨拶の音声(MP3)は、ここから入手できます]

谷口 雅宣

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コメント

新年のお喜びを申し上げます。

日時計日記およびWeb版日記、活用させていただいております。
本当に心が明るくなりますね!ありがとうございます。

昨年の先生のコメントにわくわくしたのを覚えております。
それが一年未満で実際に手に届いてしまうなんて。本当に脅威の実現力ですね。善い事は実現が早いのですね。感激でした!
今年一年、ますます善い事が広がって明るい年になるのですね。
世界規模での光明化運動となるWeb版日時計日記。感謝の気持ちで書き込み、楽しく続けさせていただきたいと思います。

感謝合掌

投稿: 米山恭子 | 2007年1月 2日 17:28

副総裁先生

あけましておめでとうございます
昨年はご指導をいただきありがとうございます。

月が替わり、サイトもページ替えすることを忘れておりました。

今年は私も「豕」にならないように、
外での活動を復活します。
サヨのような野性味たっぷりの
土臭い男に変換モードです。

マイブログを通して
「老人にならずに朗人になる」活動
そして
「労働ではなく朗働をすすめる」活動を続けます。

ご指導のほどをお願いします。

投稿: 佐藤克男 | 2007年1月 4日 07:11

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