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2007年1月15日

ブレア首相の論文を読む (2)

 ブレア論文の中で驚かされたことの1つは、イスラム原理主義をめぐる今日の世界的な混乱には、“西洋社会”(the West)はまったく責任がないとの立場を貫いていることだ。もちろん「疎外」(alienation)、「犠牲」(victimhood)、「植民地化」(colonization)、「政治的抑圧」(political oppression)をイスラム社会が経験したことには触れているが、それはまるでイギリスとは関係のない、どこかの国の仕業のような書き方である。そういう様々な困難を乗り越えようとしたイスラム社会の人々の中に、たまたま間違った、非合理な解釈を採用したグループがいて、それが西洋社会の価値を否定することで自己目的を達成しようと“暴力のイデオロギー”を広めている--そんなニュアンスの論文である。

 もっと具体的に指摘しよう。ブレア論文にはこんな箇所がある--「私にはほとんど信じられないことだが、西側の多くの意見の中には、このような世界的テロの台頭には我々にも責任の一端があるという考え方があることだ」。「イスラム主義者によるテロが貧困の産物だというのも馬鹿げている」。「我々は彼らの残虐行為を拒否するだけではなく、西洋社会に対する間違った抗議の感情も、彼らの暴力の責任は彼ら自身にあるのではなく、誰か別の人にあるという議論をも拒否しなければならない」。
 
 ブレア氏は、このように一方的に間違っているイスラム過激主義の“運動”に対しては、西洋社会は傍観していることは許されず、「方法」と「考え」の両面で積極的に立ち向かうべきだという。「イスラム主義のテロは、我々が過激派の方法に立ち向かうだけでなく、その考えに立ち向かうのでなければ、打ち負かすことはできない」。「考えに立ち向かうとは、テロリストの活動は間違っていると言うだけでは十分でない。それは、彼らのアメリカに対する態度はバカげており、彼らの統治方法は封建制以前の時代遅れのものであり、彼らの女性や他の宗教に対する態度は反動的だと言葉を出して言うことである」。そして彼は、今日のグローバリゼーションの時代には、この反動的過激主義と進歩との戦いの結果が未来を左右するという。「我々は気候変動を無視することができないのと同じように、この戦いをしないわけにはいかない。行動しないこと--つまり、アメリカ1国に責任を押しつけ、あるいはこのテロの活動は、1つの世界的運動ではなく、個々別々の事件だと幻想することは、深く、根本的に間違っているのである」。

 もちろんブレア氏は、イスラム世界全体を敵に回すつもりはない。近代的で穏健なイスラム世界の主流と協力して、“反動的”な勢力を排除することを提案している。この考えには、私は諸手を挙げて賛成する。ただし、「排除する」とは思想として否定するということであり、その思想を抱く人々を武力で攻撃したり、この世から抹殺したりするという意味ではない。ワッハーブ主義にイスラム世界を席捲させてはならない。イスラムとはそれほど狭量で歴史の浅い宗教ではない。また、“イスラムの価値”と“西洋の価値”とを対立的に捉えるのではなく、双方の中に“地球的価値”を認めよというブレア氏の提案にも賛成である。しかし、現代の中東問題に西洋の植民地主義が関係しており、さらにはパレスチナ問題が深く関係していることは事実なのだから、米英その他の関係諸国はこれら“蒔いた種”の結果をきちんと刈り取る--つまり、間違いは間違いとして認める必要がある。
 
 原理主義は、とかく世界を二項対立的に捉える傾向がある。これはイスラム原理主義がそうであるだけでなく、キリスト教やユダヤ教の原理主義も同じである。今回のブレア論文は、確かに宗教的用語は使っていないが、「民主主義」対「暴力」、「進歩」対「反動」などの言葉を使って二項対立の世界を描き出している。この世界は心で描く通りの世界だから、“悪”を描けば描くほど“悪現象”が現れてくることを知らねばならない。我々はイラク戦争でそのことを学んだはずである。だから、一部宗教の悪現象を拡大・強調するのではなく、多くの宗教に共通する真や善や美をお互いが誉め称える仕事に、もっと時間と労力をかけるべきだと私は思う。
 
谷口 雅宣
 

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