鳥小屋を解体する
今日は、年末の大掃除の一環として、庭の鳥小屋の取り壊しをした。読者は憶えているだろうか。私の家ではかつてブンチョウを飼っていたことがあり、そのことは『ちょっと私的に考える』(1999年、生長の家刊)にも書いた。鳥の数はどんどん殖えたので、普通の鳥籠では間に合わなくなった。そこで、高さ1.8メートル、幅1メートル強の木造の鳥小屋を作って、庭に置いたのだった。そのことは「ブンチョウ小屋」と題して写真付きで本欄(2001年8月5日)に書き、『小閑雑感 Part 2』(2002年、世界聖典普及協会刊)にも収録されている。ブンチョウ小屋は、杉の角材で枠を作り、金網の壁を張った頑丈なものだ。できた当初は、「これで、鳥をネコ襲撃から護れるだろう」と自慢に思ったものだった。
それから約5年間、鳥小屋は実際、よくブンチョウをネコから護ってくれた。風雪にも耐えていたが、今年の初めごろから床のベニア板がそっくり返り始めていた。私は毎朝、鳥小屋の脇を通って生ゴミをコンポストに棄てにいきながら、修繕の必要を感じていた。最盛時には10羽いたブンチョウは、だんだん数が減っていき、今年、最後の1羽が死んだ。ネコにやられたわけではなく、“自然死”なのだろう。2羽の番(つがい)から10羽に殖えたため、遺伝的な弱さがあったのかもしれない。鳥小屋の構造はしっかりしていたから、私は一時、別の鳥を飼うことも考えたが、妻の賛同が得られなかった。そんなわけで、空の古い鳥小屋は、しばらくそこに立っていたのだ。
秋になって、私はこれを取り壊して山荘の薪ストーブの燃料にしようと思った。ところが、いざ解体作業に入ると、この小屋がきわめて頑丈であることに気がついた。製作当時は「ネコからの防護」を念頭においていたから、補強金具や釘をふんだんに使い、金網を止める間隔も密だった。まとまった自由時間が少ない私にとって、解体作業を進めることは他の仕事を犠牲にすることになる。というわけで、年末のこの時期になってようやく取り壊しができたのである。手に何箇所か擦り傷ができたが、午前中いっぱい使って慣れない作業は終った。
それをしながら、「プロは釘をどの程度打ち込むのだろう」と思った。私は、製作当時は「解体」のことなど全く考えずに釘を力まかせに打ったが、この釘の頭が、材木から数ミリ出ているのと出ていないのとでは、釘抜きの作業に大変な違いが生じるのである。また、金網を止める間隔でも、鳥の体の大きさや金網の強度を考えれば、これほど詰めて釘を打つ必要はなかったかもしれない、などと思った。人間は勝手なものである。同じ釘に対して、5年前は「ガンバッテくれよ」と励ますような気持だったが、今は「そんな深く木に食い込むな」などと批判的に思っている。本当は「5年間、ご苦労さま」と感謝の気持を起こすべきなのだ。
ところで、解体作業のおかげで1ついいことがあった。鳥小屋の脇には、シイタケのホダ木が数本立てかけてあったのだが、もうシーズンが終ったので来春用に別の場所へ移動しようと考えていた。ところが鳥小屋を取り除いたおかげで、そのホダ木の1本の根元の落ち葉の陰に、直径3㎝ほどの小さなシイタケが2本出ているのを妻が見つけた。“狂い咲き”ならぬ“狂い発芽”だ。数日前の大雨と、それに続く暖かさ(最高気温18℃)のおかげである。「それなら、別の場所のホダ木にも?」と思った私は、そこから西南の方向の、木製ベンチの下に立てかけたホダ木の所へ行った。そこには、もっと大きなシイタケがこれまた2本出ていたのである。傘はまだ開いていないから、これからまだ大きくなる。正月に生シイタケが食べられるのは、珍しい。そう言えば、妻の自家の伊勢でも最近、大きなシイタケが採れたといって送ってきてくれた。温暖化時代には、キノコは忙しくなるのかもしれない。
谷口 雅宣
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