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2006年12月26日

野菜の大量廃棄

 暖冬の影響か、日本の“重要な野菜”とされるハクサイ、ダイコン、キャベツが今年は豊作となり、11月下旬から12月上旬にかけて値崩れを防ぐために大量に廃棄処分された。その量たるや、ハクサイが8830トン、ダイコンは2775トンという。コストは半分が国費でまかなわれ、残りは生産者の積立金から出るという。12月26日の『日本経済新聞』が伝えている。路地物野菜の成育は天候に大きく左右されるので、不作もあれば豊作もある。それは分かる。しかし、農家で丹精して立派に成長した作物が、ブルドーザーで押しつぶされて畑にすきこまれていくのを見て、気持がいいという人はいないだろう。ましてや、それを作った農家の人々の心境はどんなものか……。
 
 記事によると、11月中旬のハクサイの卸値は、東京中央卸売市場で1キロ21円と、平年の55%安、ダイコンは1キロ36円で49%安だったのが、廃棄後にはハクサイが34円、ダイコンが44円に上がったものの、平年よりそれぞれ15%、35%安という。私は11~12月、生長の家の講習会で地方へ行った際、ダイコンが畑から収獲されずにギュウギュウ犇めいているのを何回か見たが、その理由がこれで分かった。しかし、何とかならないものかと思う。
 
 今年は隣の中国でも似たような事情で、キャベツが豊作だったという。しかし中国では日本の対処とは違い、高齢の貧しい人々に分け与えたということが、20日付の『ヘラルド・トリビューン』紙に載っている。北京の高級ホテルの近くで開く朝市には、午前4時ごろから主として高齢の人々が集まり、8時半からの“キャベツ配り”を待つのだという。1人1個のキャベツしかもらえないが、会話を楽しみながら何時間も待つ。列はどんどん長くなり、高級ホテルの玄関前を横切ってさらに伸びる。それが宣伝になって、翌日にはさらに人が集まる。列を作る人には年金で過ごす高齢者が多く、ここへ来るのは経済的理由というよりは、習慣として、退屈しのぎに、また仲間との交流を求めて来るのだという。この北京の朝市での“キャベツ配り”は、11月の恒例行事になっているようだ。
 
 せっかく成長した農産物を廃棄するよりは、ほしい人にあげる方がいいに決まっている。が、日本の場合、もしかしたら「ほしい人」がいないのか、あるいは「配る人」がいないのかもしれない。それよりは廃棄して補助金をもらう方がいいのだろうか?
 
 ところで23~25日付の『ヘラルド・トリビューン』紙には、中国政府が最近、バイオエタノール工場の建設を許可制にすると発表した、と書いてある。石油価格の高止まりと自動車ブームのおかげで、石油会社が次々とバイオエタノールやバイオディーゼルの生産を始めているため、人間の食用となる農産物を確保する必要があると判断したのだ。ねらいは、国内に食用作物が十分あるものについてはバイオ燃料への転用を許し、そうでないものは許可しないということらしい。6月12日の本欄でも触れたことだが、これは農地をめぐって人間と自動車の競合が起こっていることを示している。
 
 そこで考えるのだが、「競合」の意味は、人間と自動車の“食糧”が共通しているということだから、野菜ができすぎたならば、それを廃棄せずに自動車に与えることはできないだろうか? そう、廃棄処分に回す野菜をエタノール工場やバイオディーゼル工場へ回すことができれば、稀少な農地をムダにせずに済むのではないか。あるいは、動物の飼料や堆肥に転換する手もあると思う。26日の『朝日新聞』には、農水省と環境省が食品廃棄物のリサイクル促進のために、食の循環利用制度を創設する方針を決めた、と報じている。コンビニや外食店から出た残飯をブタの飼料にし、そのブタ肉を弁当や料理に使うというようなループ(循環の輪)を作ろうというのである。これでムダが省けるなら、大いに賛成である。
 
 自然界はきわめて複雑で、何重にもなるループで構成されているが、全体としてはムダのない循環を行っている。そこから学び循環型社会へしだいに近づいていくことが今、人類には求められていると思う。
 
谷口 雅宣

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