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2006年12月31日

2006年を振り返って (2)

 地球規模の問題についてでなく、生長の家の運動や私的な方面で今年を振り返ろう。
 
 今年は、1月のブラジルでの「世界平和のための生長の家国際教修会」が最初の“山場”だった。その準備で正月から忙しく、時間ぎりぎりで何とか勤めを果たせたようだ。今回、新しい経験として、ブラジル国内の20のテレビ局で放映される番組の録画をした。日本語での収録だったから緊張は少ないと思っていたが、どうしてどうしてカメラが回っていると思うと言葉も体も固くなるものである。また、9カ国から集まった生長の家の幹部の人々と懇談会をもった際、10人の同時通訳者を動員してのやりとりは、なかなか刺激的で壮観だった。
 
 教修会では「肉食」の抱える様々な問題について検討した。これを、肉食を主体とした食事を伝統とするブラジルやアメリカの人々の前でやったのである。当初は、参加者から反発されたり、「文化の違い」で一蹴されてしまうことを危惧していたが、大半の人々の反応は肯定的だったことはありがたかった。7月4~5日には日本で、これと同じテーマで教修会を行い、世界の宗教がもつ「食物規定」の検討を通して、これまた有意義な研鑽が行われた。この中で重要な点を1つ挙げれば、それらの食物規定は、宗教の教えの“神髄”とか“本質”に当たる中心部分ではなく、時代や環境の変化に応じて定められた周縁部分に当り、したがって「変遷する」ことが明らかになったことだ。

 生長の家は、このような宗教的理由のみならず、環境保全や資源の有効利用のためからも「肉食を減らす」運動を進めているが、この種の具体的な実践の新たな取り組みとして、「生分解性プラスチックの利用」が今年から本格化した。人が多く集まる生長の家講習会等では、食器や弁当箱に何を使うかで二酸化炭素の排出量に結構な違いが出る。このため、7月9日の青森市での講習会を皮切りに、この種の“エコ食器”の利用が進められていることは特筆に値する。これはまた、参加者の環境意識を高めるだけでなく、まだ揺籃期にあるエコ関連産業を育てることにもつながるだろう。そして、従来から全国で進めているISO-14001の活動と、教団施設や信徒宅等への太陽光発電の設置、ハイブリッド車の導入も着々と進んでいる。

 少し私的なことに触れよう。今年、私の単行本は3点が出版された。本欄をまとめた『小閑雑感 Part 5』と同『Part 6』のほかに、かつて月刊『光の泉』誌に連載していた長編小説『秘境』が1冊の本として11月に上梓されたことは、私にとって特にうれしい出来事だった。私は学生時代、同人誌に属して小説家になりたいと思っていた時期もあったから、そんな淡い希望が形の上では実現したことになる。もっとも、私は2003年にすでに短篇小説集『神を演じる人々』を出している。しかし、長編が本になることの手ごたえは、やはり違う。そんな思い入れもあって、本のカバー用に自分で絵を描いてしまった。こんなことも初めてだ。

 最後に、今年は生長の家が発祥当時から推奨し、推進してきた「日時計主義」実践のための道具立てが整った年である。まず、“よいニュース”のみを集めて発信するインターネット・サイト「日時計ニュース.com」が7月31日にスタートした。それから書籍版『日時計日記』(生長の家刊)が10月半ばに産声を上げた。この日記帳は好評で、12月27日の時点で3万1千部が頒布されている。さらに、Web版『日時計日記』が12月20日に始動した。これは、日時計日記をネット上に作って、全世界から書き込もうという野心的な試みである。これに、ノーミートの献立とレストランを紹介する「ノーミート・ブログ」(9月1日スタート)を加えると、生長の家のネット上の活動の場は飛躍的に増加したと言えるだろう。来年はこれらを大いに活用し、内容を充実させていくことだろう。

 今年1年、本欄を応援してくださった世界中の読者の皆さん、2007年が皆さんにとって輝かしい進歩と発展の年でありますように。来年もまたよろしくお願いいたします。
 
谷口 雅宣

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2006年12月30日

2006年を振り返って

 今年も終ろうとしているが、1年前の本欄で昨年1年を振り返ったとき、私は「今年最大の特徴は、地球温暖化にと伴う気象変動が人類の経済活動を妨げるほど大きな影響を及ぼすようになってきたことだ」と書いた。この傾向は2006年も続いて、それを最も公的に、ドラマチックに確認したのが、イギリス政府が10月末に公表した『スターン報告書』だった(本欄10月31日11月25日参照)。この地球規模の大きな流れの中で、各国の資源の“国有化”や“囲い込み”の動きはますます顕著になっている。

 そのことを鮮明に印象づけているのは、ロシアによる資源“国有化”と“政治化”の動きだ。1月初め、ウクライナとの天然ガス値上げ交渉の過程で、ロシアは国営企業、ガスプロムに命じて、ヨーロッパ向けのパイプラインを閉鎖するという暴挙に出た。これで西ヨーロッパ諸国は「エネルギーの政治利用」がロシアの国策であることに気づき、エネルギー供給国としてのロシアに不安を抱いたことから、原子力発電の見直しや石炭火力発電の再検討などの動きが出た。ロシアの資源囲い込み政策は極東にも適用され、日本と欧米だけの共同開発プロジェクトだった「サハリン2」の権益は、ロシアの強引ともいえる事業停止措置を経て、権益の過半数がロシアの手中に落ちたことは記憶にまだ新しい(本欄9月19日12月12日同22日)。そしてロシアは今、旧ソ連圏の共和国ベラルーシとの天然ガス値上げ交渉の中で、ポーランドやバルト3国などにもつながるパイプラインを再び閉鎖する可能性を通告している。
 
 ロシアほど強引ではないが、中国もアフリカや中南米の資源国に対して盛んに働きかけ、エネルギーや資源の供給先の確保に熱心である。このほか、資源国ではベネズエラ、ボリビア、ナイジェリアなどが“国有化”などの方法で資源外交を鮮明に打ち出している。このような動きの背景には、原油価格が高止まりしているうえ、「石油ピーク説」に代表されるように、将来のエネルギーや資源の供給に不安が生じているからだ。人口増と発展する経済を抱えている国々は、予測不可能な気候変動とエネルギーの値上がり傾向の中で、自国の将来の繁栄を保証するために布石を打っているのである。
 
 しかし、化石燃料をいかに大量に確保し、それによって自国の経済をいかに豊かにしても、地球温暖化による予測不能の被害は、拡大することはあっても縮小することはない。それどころか、気候変動による被害の拡大が経済発展を無に帰する危険性がある。『スターン報告書』の主旨はまさにそういうことなのだが、「わかっちゃいるけどやめられない」というのが、国益中心の国際政治の現状である。このままの状態が続く場合、今後の世界の動向はある程度予測できる。それは、原子力エネルギーの重視と、二酸化炭素の地下固定の技術を大幅に取り入れることによって、当面の温暖化の流れを最小限に食い止めながら、BRICs諸国を初めとした途上国は、“先進国型”の工業・技術社会を目指して進む方向である。
 
 ところが、ここには大きな問題がある。その1つは「核拡散」の問題だ。すでに北朝鮮とイランについて、この問題は顕在化している。原子力エネルギーは、人類が開発した技術の矛盾を最も劇的に象徴している。兵器への利用と“平和利用”とは、基本的に区別できない。利用技術がそこにあれば、それを何の目的に使うかは、その国が決めるのである。国家の主権を基礎にした現在の国際社会では、それが基本である。そのことは、長年“平和国家”であったはずの日本に於いて最近、責任ある与党の政治家が「核抑止力は憲法上禁止されない」などと言い出したことにも証明されている。2つめの問題は、CO2の地下固定は、確立した技術ではなく、あくまでも一時しのぎであり、さらには人類の未来世代に大きなリスクを負わせることだ。現在の人類は、地震などの地殻変動を予知できず、止めることもできない。神を否定したはずの現代文明が、「運を天に任せる」技術を採用することほど愚かなことはない。

 そんなわけで、私は再生可能の自然エネルギーの利用と開発を、日本が国策として全力で推進していくことが、人類と地球生命全体にとって最も望ましい道であるとともに、「自然と一体」の文化を保持してきた日本の伝統にも沿った正道だと訴えているのである。

谷口 雅宣

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2006年12月28日

鳥小屋を解体する

 今日は、年末の大掃除の一環として、庭の鳥小屋の取り壊しをした。読者は憶えているだろうか。私の家ではかつてブンチョウを飼っていたことがあり、そのことは『ちょっと私的に考える』(1999年、生長の家刊)にも書いた。鳥の数はどんどん殖えたので、普通の鳥籠では間に合わなくなった。そこで、高さ1.8メートル、幅1メートル強の木造の鳥小屋を作って、庭に置いたのだった。そのことは「ブンチョウ小屋」と題して写真付きで本欄(2001年8月5日)に書き、『小閑雑感 Part 2』(2002年、世界聖典普及協会刊)にも収録されている。ブンチョウ小屋は、杉の角材で枠を作り、金網の壁を張った頑丈なものだ。できた当初は、「これで、鳥をネコ襲撃から護れるだろう」と自慢に思ったものだった。
 
 それから約5年間、鳥小屋は実際、よくブンチョウをネコから護ってくれた。風雪にも耐えていたが、今年の初めごろから床のベニア板がそっくり返り始めていた。私は毎朝、鳥小屋の脇を通って生ゴミをコンポストに棄てにいきながら、修繕の必要を感じていた。最盛時には10羽いたブンチョウは、だんだん数が減っていき、今年、最後の1羽が死んだ。ネコにやられたわけではなく、“自然死”なのだろう。2羽の番(つがい)から10羽に殖えたため、遺伝的な弱さがあったのかもしれない。鳥小屋の構造はしっかりしていたから、私は一時、別の鳥を飼うことも考えたが、妻の賛同が得られなかった。そんなわけで、空の古い鳥小屋は、しばらくそこに立っていたのだ。

 秋になって、私はこれを取り壊して山荘の薪ストーブの燃料にしようと思った。ところが、いざ解体作業に入ると、この小屋がきわめて頑丈であることに気がついた。製作当時は「ネコからの防護」を念頭においていたから、補強金具や釘をふんだんに使い、金網を止める間隔も密だった。まとまった自由時間が少ない私にとって、解体作業を進めることは他の仕事を犠牲にすることになる。というわけで、年末のこの時期になってようやく取り壊しができたのである。手に何箇所か擦り傷ができたが、午前中いっぱい使って慣れない作業は終った。
 
 それをしながら、「プロは釘をどの程度打ち込むのだろう」と思った。私は、製作当時は「解体」のことなど全く考えずに釘を力まかせに打ったが、この釘の頭が、材木から数ミリ出ているのと出ていないのとでは、釘抜きの作業に大変な違いが生じるのである。また、金網を止める間隔でも、鳥の体の大きさや金網の強度を考えれば、これほど詰めて釘を打つ必要はなかったかもしれない、などと思った。人間は勝手なものである。同じ釘に対して、5年前は「ガンバッテくれよ」と励ますような気持だったが、今は「そんな深く木に食い込むな」などと批判的に思っている。本当は「5年間、ご苦労さま」と感謝の気持を起こすべきなのだ。
 
 ところで、解体作業のおかげで1ついいことがあった。鳥小屋の脇には、シイタケのホダ木が数本立てかけてあったのだが、もうシーズンが終ったので来春用に別の場所へ移動しようと考えていた。ところが鳥小屋を取り除いたおかげで、そのホダ木の1本の根元の落ち葉の陰に、直径3㎝ほどの小さなシイタケが2本出ているのを妻が見つけた。“狂い咲き”ならぬ“狂い発芽”だ。数日前の大雨と、それに続く暖かさ(最高気温18℃)のおかげである。「それなら、別の場所のホダ木にも?」と思った私は、そこから西南の方向の、木製ベンチの下に立てかけたホダ木の所へ行った。そこには、もっと大きなシイタケがこれまた2本出ていたのである。傘はまだ開いていないから、これからまだ大きくなる。正月に生シイタケが食べられるのは、珍しい。そう言えば、妻の自家の伊勢でも最近、大きなシイタケが採れたといって送ってきてくれた。温暖化時代には、キノコは忙しくなるのかもしれない。

谷口 雅宣

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2006年12月27日

ながら族へ転向?

 私がまだ中高生時代に「ながら族」という言葉があった。何かをしながら、別のことを同時にする人のことを指す言葉だが、主として、ラジオやステレオから流れてくる軽音楽やDJを聴きながら勉強をする学生のことを、親が批判的に指摘するときに使われていたと思う。今では勉強中に音楽を聴くことは当たり前で、ソニーがウォークマンを発売して以来、歩きながらの音楽も、ジョギング中やスポーツジムでの運動中の音楽も、とりたてて問題にする人はいない。携帯電話の普及後は、この傾向がさらにエスカレートしていて、歩きながら、デートしながら、トイレにいながら、食事しながらの、遠くにいる人との会話は当たり前になった。だから「ながら族」という言葉は死んだのだろう。

 私はこの「~しながら」の行動が昔から苦手だった。中高生時代に「ながら族」の勉強をしなかったという意味ではない。多分したことはあるが、それが集中力を分散させてしまうことを意識していたから、試験勉強中は避けていた。ウォークマンが出ても買わず、ディスクマンも買わず、MDプレイヤーも、携帯電話も買っていない。その代わり、パソコンはかなり早く始めた方で、最初に買ったのは、今の小型ゲーム機ほどの大きさで「ポケット・コンピューター」と呼ばれたシャープのPC-1500だ。それ以来、ラップトップからノートブックへと移行するなど、パソコンの持ち歩きは私にとって「当たり前」になっている。しかし、パソコンは「ながら族」的な使い方はできない。つまり、歩きながらパソコンをしたり、食事中のパソコンは無理だ。その点、私の機械の使い方は“一点集中型”なのだろう。

 ところが、機械の小型化の流れは止まることを知らず、かつては畳1畳分の空間を占めたハイファイ・ステレオセットが、今ではワイシャツの胸ポケットに入るまで小さくなった。しかも、レコードのオートチェンジャー付きだ。そんなものを手に入れた場合、さすがの一点集中型人間も、宗旨替えをして「ながら族」に転向したくなる。そうなのである。私の誕生祝いに、アップル社の携帯プレーヤー「アイポッド」をくれた人(々)がいるのだ。機械が嫌いでない私はすぐ夢中になり、ここ2~3日、新しい玩具をもらった少年のようにそれをいじりながら、しだいに魅力にとりつかれていく自分を感じている。

Ipod00  アイポッドは、パソコンの付属品として使う。別の言い方をすると、パソコンを“母艦”に喩えると、アイポッドはそれを基地として音楽や映像を搭載して飛び立つ“航空機”のような関係にある。パソコンは、どんなに小型のノートパソコンでも、ハンドバッグやポケットには入らない。しかし、そこから音楽と映像だけをアイポッドに転送すれば、軽々と町を歩きながら、ショッピングをしながら、食事をしながらでも音楽や映像を楽しめる、ということで、これは恐るべき「ながら族」の発想だ。この発想に対して、私が“一点集中”の自分のポリシーをどこまで守りとおせるかは、予断を許さない。が、使ってみなければ何事も始まらないので、私はとりあえず、持ち運び用の音楽を入れてみることにした。

 とは言っても、私のノートパソコンに予め音楽が入っていたわけではない。かつて作ってあった自作のCDから、映画のサウンドトラックを転送した。そのCDにはBBCニュースの音声ファイルも入っていたから、それも転送した。そして聴いてみると、自分が透明な音の世界に包まれていくのがよく分かる。「透明な」というのは「音に透明感がある」という意味ではなく、私の周囲に“二重映しの世界”ができるという意味だ。私の体を包み込む至近距離に「音だけの世界」が広がり、これまで「現実」と思っていた世界が、その外側に後退していった。こうして弱まった“現実感”の中で、妻が私に何かを語りかけている。幸福感に満ちた私は、彼女に笑顔で答えるが、相手の言葉など聞いていないから、きっとトンチンカンな返事をしたのだろう。目の前の妻はあきれたような顔をする。コミュニケーションが、とたんに希薄化してしまったのだ。

 --ああ、これが現代の“ながら族”の棲む世界なのだ、と私は納得し、イヤフォンを耳から外した。

谷口 雅宣

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2006年12月26日

野菜の大量廃棄

 暖冬の影響か、日本の“重要な野菜”とされるハクサイ、ダイコン、キャベツが今年は豊作となり、11月下旬から12月上旬にかけて値崩れを防ぐために大量に廃棄処分された。その量たるや、ハクサイが8830トン、ダイコンは2775トンという。コストは半分が国費でまかなわれ、残りは生産者の積立金から出るという。12月26日の『日本経済新聞』が伝えている。路地物野菜の成育は天候に大きく左右されるので、不作もあれば豊作もある。それは分かる。しかし、農家で丹精して立派に成長した作物が、ブルドーザーで押しつぶされて畑にすきこまれていくのを見て、気持がいいという人はいないだろう。ましてや、それを作った農家の人々の心境はどんなものか……。
 
 記事によると、11月中旬のハクサイの卸値は、東京中央卸売市場で1キロ21円と、平年の55%安、ダイコンは1キロ36円で49%安だったのが、廃棄後にはハクサイが34円、ダイコンが44円に上がったものの、平年よりそれぞれ15%、35%安という。私は11~12月、生長の家の講習会で地方へ行った際、ダイコンが畑から収獲されずにギュウギュウ犇めいているのを何回か見たが、その理由がこれで分かった。しかし、何とかならないものかと思う。
 
 今年は隣の中国でも似たような事情で、キャベツが豊作だったという。しかし中国では日本の対処とは違い、高齢の貧しい人々に分け与えたということが、20日付の『ヘラルド・トリビューン』紙に載っている。北京の高級ホテルの近くで開く朝市には、午前4時ごろから主として高齢の人々が集まり、8時半からの“キャベツ配り”を待つのだという。1人1個のキャベツしかもらえないが、会話を楽しみながら何時間も待つ。列はどんどん長くなり、高級ホテルの玄関前を横切ってさらに伸びる。それが宣伝になって、翌日にはさらに人が集まる。列を作る人には年金で過ごす高齢者が多く、ここへ来るのは経済的理由というよりは、習慣として、退屈しのぎに、また仲間との交流を求めて来るのだという。この北京の朝市での“キャベツ配り”は、11月の恒例行事になっているようだ。
 
 せっかく成長した農産物を廃棄するよりは、ほしい人にあげる方がいいに決まっている。が、日本の場合、もしかしたら「ほしい人」がいないのか、あるいは「配る人」がいないのかもしれない。それよりは廃棄して補助金をもらう方がいいのだろうか?
 
 ところで23~25日付の『ヘラルド・トリビューン』紙には、中国政府が最近、バイオエタノール工場の建設を許可制にすると発表した、と書いてある。石油価格の高止まりと自動車ブームのおかげで、石油会社が次々とバイオエタノールやバイオディーゼルの生産を始めているため、人間の食用となる農産物を確保する必要があると判断したのだ。ねらいは、国内に食用作物が十分あるものについてはバイオ燃料への転用を許し、そうでないものは許可しないということらしい。6月12日の本欄でも触れたことだが、これは農地をめぐって人間と自動車の競合が起こっていることを示している。
 
 そこで考えるのだが、「競合」の意味は、人間と自動車の“食糧”が共通しているということだから、野菜ができすぎたならば、それを廃棄せずに自動車に与えることはできないだろうか? そう、廃棄処分に回す野菜をエタノール工場やバイオディーゼル工場へ回すことができれば、稀少な農地をムダにせずに済むのではないか。あるいは、動物の飼料や堆肥に転換する手もあると思う。26日の『朝日新聞』には、農水省と環境省が食品廃棄物のリサイクル促進のために、食の循環利用制度を創設する方針を決めた、と報じている。コンビニや外食店から出た残飯をブタの飼料にし、そのブタ肉を弁当や料理に使うというようなループ(循環の輪)を作ろうというのである。これでムダが省けるなら、大いに賛成である。
 
 自然界はきわめて複雑で、何重にもなるループで構成されているが、全体としてはムダのない循環を行っている。そこから学び循環型社会へしだいに近づいていくことが今、人類には求められていると思う。
 
谷口 雅宣

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2006年12月25日

わが家のクリスマス

 昨夜は、子供3人を含めた家族全員で、私と長男のそれぞれの誕生会、そしてクリスマス・パーティーを兼ねた集いを自宅でもった。わが家に家族全員が集まるのは久しぶりで、妻は腕によりをかけてご馳走を作り、私も海苔巻きとハタハタの握り寿司を作った。食事が終ると、恒例のプレゼント交換をした。その際、5人のうち誰が先にプレゼントをもらうかを抽選で決める。これを、ジャンケンやアミダ籤などで決めるのでは面白味がないので、前年までは「ダイナマイト・ショック」という黒い爆弾型のタイマー付きクラッカーを使って決めていた。タイマーをセットしてカチカチと音をたてる爆弾を各人に回し、それが爆発した時に手に持っていた人がプレゼントをもらうのだ。ところが今年は、それに必要なクラッカーが販売終了だというので、息子たちが新しい抽選装置を買ってきた。
 
 それは、知る人ぞ知る「黒ひげ危機一発」というゲーム器だった。黒ひげを生やした海賊がウイスキーの樽の中に入っているのを、周囲からナイフを1本ずつ刺していく。ある所へ刺すとバチーンという音とともに、黒ひげが跳ね上がるのだ。そのナイフを刺した人が、プレゼントをもらう幸福者だ。そんなものに興じながら、親も子どもも小中学生にもどって騒いでいるうちに、時計は10時半を回ってしまった。翌日は皆、仕事があるので子どもたちは退散し、我々夫婦も後片付けもそこそこに就寝準備となった。

 日本のクリスマスでは、宗教色のないこのような親睦会のような集まりが、それこそ全国各地で行われる。よく考えてみると、キリスト教がマイノリティーである社会にあっては不思議な現象である。私はこのことを昨年11月17日の本欄で触れ、日本に於いては「盆や正月と同じような年中行事としてクリスマスを祝う」ことを肯定的に評価した。なぜなら、その時説明したように、「ある宗教が文化や時代を超えて広く伝播し、多くの人々に受け入れられるためには、発祥地の習慣や、発祥当時の決まりごとに修正を加え、伝播地の文化を取り入れ」ることは普通に行われているからだ。

 この話を、どこかの生長の家講習会でしたとき、「日本ではクリスマスが商業主義に堕していることは、嘆かわしいではないか?」という意味の質問をもらったことがある。私は、極端な商業主義は好ましくないが、そうでない場合は必ずしも嘆かわしいとは思わない。家族団欒や職場の親睦のための機会は、クリスマス以外にもあると思うが、それを“商業主義”として批判する人は少ないと思う。年末年始のセールも“商業主義”と言えばいえないこともない。では、初詣客目当ての露天商は商業主義ではないのか? 神社仏閣で大きな行事があるときに「門前市が立つ」ことはどうか?……などと考えていくと、1つの宗教的行事をどの程度真剣に「信仰」の問題として捉えるかには、かなりの個人差があることが分かる。その個人差を狭めていく方向がよいかどうかの判断は、案外むずかしいと思う。これは1宗教にとってむずかしいだけでなく、人類全体にとってもむずかしい。しかし、これにある程度の“幅”を認めないと、どこかの原理主義国家のような堅苦しい社会になるのではないだろうか。

 話が少し脇へズレた。最近、家の整理をしていた妻が、子どもがまだ小さい頃に私が作ったという“手描きの絵本”を見つけた。画用紙にクレヨンで描いた稚拙なマンガだが、クリスマスに関係する内容なので、ご披露する。

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谷口 雅宣

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2006年12月24日

排出権取引の問題

 地球温暖化防止のメカニズムとして京都議定書で認められたCO2の排出権取引について、日本でも新たな動きが見られるようだ。三菱UFJ信託銀行はこのほど、清水建設と共同で日本初の「排出権信託商品」を開発することで合意した、と22日の『日本経済新聞』が伝えている。これまで排出権の取得は、大企業によるプロジェクト単位で行われてきたから、中小企業や個人には手の出ない大口取引の対象だった。しかし今回は、それを信託化することで小口化し、中堅・中小企業や個人の富裕層までを対象とした排出権売買を促進しようとするものだ。信託商品の販売は、来年度からの予定という。
 
 また20日付の『日経』によると、日揮は丸紅や高知市の大旺建設などと共同で、中国の化学メーカーとフロンガスの回収による排出権を獲得した。これまで日本企業が取得した排出権は、プロジェクトが完了する将来の時点で行使できるものが多かったが、この排出権はすでに国連の認証を受けているため、すぐにでも行使できるという。排出権の額はCO2換算で100万トン分で、日揮などは、温室効果ガス削減を望む日本企業に販売する予定という。
 
 私は本欄(今年5月8日同19日など)で、排出権取引には問題点もあることを指摘してきたが、企業の利益と温暖化防止を両立させる制度として一定の評価をしてきた。なぜなら、これはまだ運用が始まったばかりの制度であり、欠陥があっても将来に向って改善していけるとの楽観論に立っているからである。現在でもその見方は大きく変わらないが、21日付の『ヘラルド・トリビューン』紙に載った記事を読んで、これまで気がつかなかった新たな問題があることを知った。それは、①この制度が使われる地域に偏重があり、②排出権の値段が高すぎるとの批判があり、さらに③制度の悪用が温暖化を(防止するのでなく)促進させる可能性があることである。
 
 上記の記事によると、これまで国連が認証した排出権を適用国別に並べると、①中国(43.9%)、②ブラジル(14.6%)、③インド(11.4%)、④韓国(10.6%)となり、開発の遅れたアフリカなどの国ではなく、経済発展を続ける中国などへの偏重が見られる。これは、それらの地域の経済発展によって大量に発生するはずの温室効果ガスを減らすという意味では、肯定的にとらえるべきであろう。しかし反面、経済基盤が脆弱のため、自然破壊をすることでしか生存を維持できない貧困国の森林保護等には、貢献できていないことを意味する。
 
 排出権の値段が「高すぎる」問題については、次のような例がある--中国南部の浙江省にある古い化学工場は、アメリカを走る自動車100万台分のCO2を毎年排出しているそうだ。これを改善するためには、山小屋1軒分の大きさの処理炉を500万ドルほどかけて建設し、年間の60万ドルの運転コストがあれば、相当の排出量削減ができるという。しかし、排出権が値上がりしているため、ヨーロッパや日本の企業は、この焼却炉建設のために実際の建設費の100倍もの値段を払って排出権を買い取るのだそうだ。この莫大な利益は、中国政府のエネルギー基金、工場所有者、そしてこの取引を成立させたコンサルタントとロンドンにいる銀行家の間で分配されるという。この同じ金額を、別の環境対策に使う方がよほど効果があると考える人もいるのである。
 
 また、この化学工場で処理されようとしているガス(HFC23)は、冷蔵庫やエアコンに使われる冷却剤の製造過程で生じる。ところが、この冷却剤自体も、オゾン層を破壊するという理由で先進国では製造が禁止されようとしているものだという。排出権を売って潤沢な資金を得た中国の化学工場が、それを元手に冷却剤製造工場を拡張したり新設すれば、オゾン層破壊の危険が増大する。また、この冷却剤を使用っているエアコンは、最新式のものに比べて省エネ効果は落ちるという。しかし、急速に拡大しつつあるインドや中国の中流階級の人々には、価格が安いために人気があるらしい。こうなると、先進国による排出権の買い取りが増えるにつれて、中国やインドなどから出るガスによってオゾン層破壊の危険が拡大することにもなりかねない。何か妙案はないものか?
 
谷口 雅宣

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2006年12月22日

サハリン2、ロシア主導で決着

 ロシア極東の天然ガス開発プロジェクト「サハリン2」の権益譲渡問題は、同プロジェクトの事業主体であるサハリンエナジー社の株式の過半数をロシアが得ることで決着した。環境問題を理由に事業停止されるなど、工事遅延による外資側の出資増については、ロシアが約100億ドルを経費として認めることに応じ、同プロジェクトの株式の50%プラス1株を、ロシアの天然ガス独占企業であるガズプロムが74億5千万ドル(約8640億円)で買い取ることで合意した。これによって、サハリンエナジー社の株式の持ち分は、ロイヤルダッチ・シェルが27.5%、三井物産が12.5%、三菱商事が10%となる。当初の資本比率は、それぞれ55%、25%、20%だったから、3社がそれぞれ持ち分の半分をロシア側に譲渡したことになる。22日付の新聞各社が一斉に報じた。

 12月12日の本欄では、今後の資源の確保で「国がしっかりと関与する方針を示す」という甘利明・経済産業大臣の言葉を紹介したが、今回の交渉に経産省が関与したと思われる形跡はない。ロシア側が過半数の権益を得たことについても、三菱商事の小島順彦社長は「ロシア政府との関係も円滑に進む」(22日『日経』)と肯定的に評価しており、物産もロシア側の資本参加を歓迎している(22日『産経』)から、政府は出番がないのかもしれない。甘利経産相も22日の閣議後の記者会見で、この合意について「液化天然ガス(LNG)の安定確保が約束された有意義な合意」と評価した(22日『日経』夕刊)。しかし、単純に考えても、権益の半減は利益の半減であり、これに経費増大が加わったことで、日本の商社側の利益が当初に比べて大幅に減ることは確実だろう。
 
 「サハリン2」のピーク時のLNG生産量は、日本の総輸入量の約15%に達すると見込まれ、これに加えて日本が3割の権益をもつ「サハリン1」からの供給を考えれば、エネルギーの中東への依存度を減らすという政府の方針に沿った解決と言える。日本の2商社も利益幅よりも安定供給を選んだということだろうか。ロシアは今年1月、欧米寄りの姿勢を示すウクライナに対して天然ガスの供給を一時止めて値上げ交渉へ強引に持ち込むなど、エネルギーの政治利用を露骨に行う国である。今回も、すでに合意された契約にもとづき生産も始まっていたプロジェクトを事業停止にしたうえで、株式の過半数の譲渡を要求するなど、西側の常識では考えられない強硬手段を使った。「自主権益をふやす」という新しい方針を実施する相手国としては、ロシアの信頼性に問題が残ったことは否定できない。
 
 石油価格の高止まりが続く中、資源国による有限の資源の国有化や、中国やインドなどの大口需要国による資源の“囲い込み”などが始まっている。その中で、わが国が石油や天然ガスの自主権益をふやそうとすれば当然、資源獲得競争の中へ入っていくことになる。いや、イランでの油田開発などを見れば、すでにその渦中にいると考えていい。このイランの油田開発は、同国の核兵器技術の開発疑惑のため中断したままである。ここでも、政治的事情からエネルギー開発が進んでいない。化石燃料のような有限な資源に執着するかぎり、エネルギーと政治の絡み合いは今後も強くなることはあっても、弱まることはないだろう。だから私は、事実上無限にあるといえる自然エネルギーの開発と利用に向って、日本は国を挙げて取り組んでいくべきだと訴えたい。
 
 化石燃料の開発と利用は、それ自体が他国からエネルギーを奪うだけでなく、地球温暖化を通して2重にも3重にも他国や、他の生物から奪う道である。「奪うものは奪われる」という法則を忘れてはいけない。

谷口 雅宣

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2006年12月21日

グーグルで火星を眺める

 アメリカのインターネット検索大手、グーグル(Google.com)は話題に事欠かないが、パソコンと衛星からの地上の写真を一挙に近づけた「グーグル・アース」(Google Earth)というサービスに続いて、「グーグル・ムーン」(Google Moon)や「グーグル・マース」(Google Mars)というのを始めるらしい。12月20日付の『ヘラルド・トリビューン』が伝えている。

 グーグル・アースは、地球上のどの地点も衛星写真を使ってパソコン画面に表示するサービスで、軍事施設も表示させることで問題になったことがある。我々のような一般人にとっては、自分の故郷や海外の有名な都市、ニュースで話題の場所などを実際に上空から“見ている”ような仮想現実感を与えてくれるため、きわめて興味深く、かつ有用である。私も、興味半分で自宅を上空から見たり、小説の取材を補強したりすることに利用させてもらったことがある。この画期的なサービスを提供してきたグーグルが、こともあろうにアメリカ政府の1機関であるNASA(航空宇宙局)と組んで、今度は「月」や「火星」の上空からの画像をパソコン上に表示するサービスなどが可能な、広範囲な提携の契約を18日に締結したという。
 
 その記事によると、この契約によって、月や火星の表面を歩く宇宙飛行士の見る風景と同じような克明な画像を、地上の誰もがパソコン上で見ることができる可能性が開けるという。また、スペースシャトルや宇宙ステーションの動きをリアルタイムに見ることも可能になるかもしれない。火星については、グーグルは現在、限定的な二次元画像を「Google Mars」として提供しているが、これがもっと細かく、鮮明な画像として、我々が火星上空を飛んでいるかのような現実感をもって見えるようになるのだ。これは大変な“進歩”あるいは“変化”と言わねばならないだろう。が、その反面、“逆効果”も生まれるのでは、と私は想像する。
 
 私は、昨年6月11日の本欄で、火星にある“人面岩”の話に触れたことがある。また、本欄の前身である『小閑雑感 Part 1』では、2001年6月1日に「火星の顔」と題して少し詳しくこの話を紹介したので、ここでは簡単な説明に留めよう。火星の“人面岩”とは、火星の「シドニア(Cydonia)」と呼ばれる地域にある全長3kmほどの台地のような地表の隆起で、これが上空のある角度から見ると「人間の顔」のように見えたことから、「火星上の顔(Face on Mars)」と呼ばれるようになった。そして、「そんなものが偶然にできるはずがないから、知性のある何者かが造ったに違いない」という議論が起こって、一時騒がれたのである。

 しかし、よく考えてみると、火星は地球とまったく環境が違う惑星だから、そこにたとえ高等生物がいたとしても、その顔(もしそんなものがあるとしたら)が、地球上の動物がもつ「顔」と似ている--つまり、目が2つ横に並び、その間に鼻が縦にあり、鼻の下には横長の口がついている--保証はどこにもないのである。別の言い方をすれば、火星の動物には目が5つあったり、鼻がなかったり、口が上と下に2つついていても、それはそれで「顔」と言えるはずである。また、イソギンチャクを上から見たような恰好の「顔」があってもいいはずである。にもかかわらず、写真上にありありと“人間の顔”のようなものが写っていると、それが別の天体で撮影されたものであっても、我々は「顔だ」と考えてしまう。これは結局、我々の心の中にある「顔」のイメージを火星上に投影しているにすぎず、「客観的な判断」とは言えないのである。

 そういう騒ぎが実際に起こったのであるから、今後、グーグル・アースが鮮明な画像によって提供されることで、「火星人はいる」という議論が再燃する可能性がある。「月のウサギ」説はまさか出ないとは思うが、グーグル・ムーンによっても「知性ある生物がいる」との議論が起こるかもしれない。そんな事態が起こったら、それは宇宙科学ではなく、心理学の問題だと考えた方がいいだろう。火星には“ピラミッド”とか“町の広場”と呼ばれている所もある。我々は結局、自分の心の中にあるものを“外界”に投影するのである。

谷口 雅宣

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2006年12月20日

Web版『日時計日記』に参加を!

 生長の家のスポンサー・サイトの1つとして“Web版『日時計日記』”が、12月20日にスタートした。『日時計日記』とは、毎日“よいこと”ばかりを記録していくことを目的に今年10月半ば、生長の家から発刊された日記帳である。生長の家では、昭和5年の発足当初から「日時計主義の生活」を提唱してきたが、その具体的な実践を「日記帳」によって支援しようという試みは今回が初めてだ。その“第1弾”となった「2007年版」はなかなかの反響で、発刊以来すでに3刷、3万2千部が流通している。私も、生長の家講習会では受講者に購入を勧めている。

 今回の“Web版”は、「製本した日記帳」があくまでも個人用であり“閉じられた空間”であるのに対し、誰でも書き込める場となったことで“開かれた空間”へとひろがったと言える。それはまた、日本語を読める世界中の人々の共同作業によって、個人的な「よいことの記録」をネット上に構築しようとする野心的な試みと見ることもできる。生長の家のスポンサー・サイトにはすでに「日時計ニュース.com」というのがあるが、ここではネット上の報道記事などから「よいニュース」を集めることで、公的な「よいことの記録」が集積している。これに加え、Web版『日時計日記』ができることで、私的・個人的な「よいことの記録」がネット上に集積していく可能性が拡大したのではないだろうか。

 少し面倒くさい表現をしてしまったが、もっと簡単に考えて下さっていい。それは、製本版『日時計日記』の“マニュアル”や“記入見本”としてWeb版を利用するのである。『日時計日記』には7項目の記入欄があるが、どれもあまり「一般的」とはいえない。だから、初めて記入する人の中には何を書けばいいか戸惑う人もいるだろう。そんな時、Web版のサイトにアクセスすれば、ほかの人が何をどう考え、どう記入しているかが分かる。それを参考にして、自分の製本版の日記帳の欄を埋めるのはどうだろう。また時には、自分だけ知っているのではもったいないような「よいこと」が起こることもある。そんな時、「ねぇねぇ聞いてよ、こんないいことあったんだから」という気持でサイトに書き込めば、きっと大勢の人々と喜びや感動をともにすることができるだろう。

 このような様々の意味から、本欄をご愛読くださっている読者にはぜひ、Web版『日時計日記』のご支援もお願いしたいのである--ということで、“言いだしっぺ”の私としては、発足初日の20日午後5時前に、次のような応援演説をWeb版に書き込んだ:
 
「今日、Web版の『日時計日記』が発足したことで、生長の家の運動に“革命的”な発展がありました! 世界中の生長の家の信徒が、またそうでない全く生長の家を知らない人も、一堂に会して“よいこと”を語り合う場ができたということです。このような場は、生長の家の歴史始まって以来のことではないでしょうか? 大いに活用し、また改良して、オンライン版の光明化運動を進めていきましょう!」

 ところで、製本版の『日時計日記』をお持ちでない読者のために少し補足を……。『日時計日記』にある7項目の記入欄とは、①神想観、②聖典・聖経、③愛行、④祝福・讃嘆・感謝の言葉、⑤私の希望・願い、⑥環境に配慮したこと、⑦日記、である。Web版では毎日、これら7項目の表題だけを掲げた空欄を設けていくので、その中の1項目だけでも、該当するようなことがあれば、コメントとして記入していただきたい。また、とりわけて記入することがない場合でも、誰かの記入を見て「励まし」や「讃辞」をコメントとして書き込んでくだされば、そのこと自体が『日時計日記』の目的に合致すると思う。

  最後に、上記7項目のうち分かりにくい言葉を簡単に解説すると--「神想観」とは、生長の家の推奨する座禅的瞑想法のこと。「聖典」とは生長の家創始者・谷口雅春先生と奥様、生長の家総裁・谷口清超先生と奥様の著作になる単行本のこと。「聖経」は、生長の家で「お経」と呼ばれている聖経『甘露の法雨』『天使の言葉』『続々甘露の法雨』など。「愛行」とは、人に愛を与える行動で、仏教的には布施のこと。法施と物施がある。

谷口 雅宣

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2006年12月19日

地球環境で“明るいニュース”

 12月15日の本欄で、犯罪統計の中にも「よいニュース」を見つけて報道すべきだと訴えたから、地球環境問題に関するデータの中にも、「よいニュース」があれば読者に知らせるべきだろう。そういうニュース2つにたまたま遭遇した。1つは、グリーンランドの氷の融解の影響について、もう1つは、強力な温室効果ガスであるメタンの排出量についての話である。
 
 グリーンランドの氷床については、本欄で何回か書いているが、昨年12月12日には、ここの氷が融解しつつある影響で、温暖なメキシコ湾流から発してヨーロッパ西側を北上する海流が30%ほど減少していることを、イギリスの国立海洋学センターが観測したという話を紹介した。この話は、アメリカの時事週刊誌『TIME』(昨年12月12日号)にも取り上げられ、ヨーロッパが寒冷化する可能性が指摘された。ところが今年11月4日号の『New Scientist』誌によると、その心配はどうやら小さいというのである。なぜなら、その研究に使われた海流の観測データは「50年のうちの5例」だけであったが、その後に設置された数多くのセンサーから得られたデータによると、「様々な兆候が見られ、一定の傾向を見出すのは早急だ」と判断されたからだ。
 
 グリーンランドの氷とヨーロッパの気温との関係は、次の通りである--陸上の氷が海中に溶け出すと、周辺の海の塩分が薄まることになる。塩分の薄い水は、海中に沈みにくくなる。すると、メキシコ湾流に発する暖流がヨーロッパへ北上し、冷たい北極の水と接して冷やされ、通常は海中へ深くもぐるはずが、塩分が薄まるために潜りにくくなる。これによって、海中で一種の“交通渋滞”が起こるというのだ。このようにして、グリーンランドの氷解は暖流の速度を弱めることになるから、海面温度が下がり、それによってヨーロッパの気温を下げる結果になるという。(昨年12月19日の本欄参照)

 この説を唱えたのは、イギリスのサウサンプトンにある国立海洋調査所(National Oceanography Centre)のハリー・ブライデン博士(Harry Bryden)だが、このブライデン博士自身が2004年にもっと詳しく調査したところ、上記のような判断を下したという。だから、「メキシコ湾流の北上速度が30%遅くなった」という事実は確認されなかったのだ。しかし、グリーンランドの氷の融解が続いていることは事実だから、本当の意味で“明るいニュース”であるかどうかは定かでない。
 
 もう1つのメタンの話も、これと少し似ている。メタンは、地球の大気中の主要な温室効果ガスの1つだが、1998年から2005年までに、その大気中の量はほとんど変化せず安定しているという観測結果を研究者が発表したというのだ。11月22日付の『New Scientist』誌のニュースサービスが伝えた。
 
 それによると、この研究者はカリフォルニア大学アーヴィン校の大気化学者たちで、太平洋周辺の多くの地点で大気を調べたところ、1998年12月から2005年12月までの期間の大気中のメタン濃度の増加は、「+0.3%~-0.2%」の範囲内に留まっていたというのである。それ以前のメタン濃度の変化は、1978~1987年が+11%もあり、それ以降は0.3%から0.6%の増加に減少したが、今回の観測で濃度の変化は事実上なくなったと言える。メタンの主要な排出源は田んぼ、埋立地、天然ガス田や石油関連施設、そして牛などの家畜である。その温室効果は、二酸化炭素の21倍もあると言われているから、大気中への排出が安定したことは朗報であるには違いない。その原因について、研究者たちは石油や天然ガスの貯蔵施設やパイプラインの修理による効果がいくらかあると見ているが、確かなことは分かっていない。

 その一方で、不安材料もある。それは、温暖化により北シベリアの永久凍土が溶けていることに伴い、地中に封じ込められていたメタンが大気中に予想以上に漏れ出していることが最近、報告されたからだ。これは、今年9月7日号の科学誌『Nature』に発表された論文で明らかになった。北シベリアの湿地帯には夏場にも溶けない湖が数多くあるが、フロリダ州立大学とアラスカ大学などの研究者が、氷の溶けつつある2つの湖から出るメタンの量を測定した結果、予想されていた量より10~63%も多いメタンが漏れ出していることが分かったという。また、17日の本欄でも触れたが、ゲップなどの形で家畜から出るメタンは決してばかにならない量(37%)だ。今後、肉食に供される家畜の量が増えれば当然、メタンの排出は増加する。メタンはこのほか、火山の爆発や大きな山火事によっても発生するから、大気中の含有量が今後とも安定するという保証はできないだろう。

 谷口 雅宣

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2006年12月18日

環境意識は向上している (2)

 前回、本欄では国連の食糧農業機関(FAO)が肉食を環境破壊の主要原因だと指摘したことを伝えたが、世界最大の温室効果ガス排出国であるアメリカでも、環境保全への取り組みを予感させる研究が政府レベルでも行われているようだ。その1つは、アメリカのエネルギー省が「次世代ハイブリッド車」の省エネ効果を試算し、発表したことだ。それによると、アメリカ国内を走る2億2千万台の車すべてがこの新型車に置き換わった場合、同国の現在の発電・送電能力のままで84%の車が普通に走れるというのである。同省の太平洋北西部国立研究所(Pacific Northwest National Laboratory)が12月11日付で発表した。
 
 次世代ハイブリッド車については本欄で何回も紹介してきた(例えば今年2月3日6月14日同25日)が、簡単に言うと、現在のガソリンと電気で動くハイブリッド車に2台目の蓄電池を搭載し、家庭の電源から充電可能にしたものである。この新型車の燃費効率はガソリン「1リットル当たり40km以上」などとも言われるように、非常によい。英語で plug-in hybrid electric vehicles (PHEV、充電式ハイブリッド車) と呼ばれ、アメリカでは「プリウス+」などというトヨタ車を改造した試作品がすでに走っている。

 ハイブリッド車に家庭用電源からの充電機能を付加しただけで燃費効率が飛躍的に伸びるのは、夜間の電力を充電に使うと想定しているからだ。現在の発電方式では、電気は需要のピークを想定した量だけつくられている。この想定ピークは非常時を考えて実際の需要より多く見積もられるから、通常は余剰電力が発生し、その分は使われないまま消えていく。つまり、一種の“垂れ流し”方式だ。それでも、夜間の電力需要は昼間の需要より相当少ないため、安価である。次世代ハイブリッド車が登場すれば、ほとんどのユーザーは電力の安い夜間に車を充電するだろうから、「全国の車がすべて充電する」ときが夜間の需要の想定ピークとなる。その需要に応えられるだけの電力設備がすでに存在しているかどうかを、今回の研究では検証したのである。

 その結果、中西部と東部の州では、すべての車の充電が可能な発電能力と送電設備がすでに存在するが、西部の、特に太平洋北東部に面した州(オレゴン、ワシントン州など)では、水力発電所の容量が限界に近く、雨や雪は人工的に降らせることができないため、供給能力に不安が残るという結果が出た。しかし、それでも現有の設備で84%の車の充電が可能という試算が出たのである。このことは、輸入された石油の73%をガソリンとして使っているアメリカでは、大きな意味をもっている。なぜなら、現在の自動車が次世代ハイブリッド車にすべて入れ替わった暁には、アメリカ経済は中東からの石油の輸入なしに、国内の石炭火力発電所と天然ガス発電所などでやっていけることになるからだ。この場合、大気汚染が短期的には進んでも、長期的には自動車はほとんど電気で走ることになり、旧式発電所は効率のよい新型に入れ替わっていくので、温室効果ガスの排出量も減少する、と報告書は結論している。

 環境運動家のレスター・ブラウン氏(Lester R. Brown)は、今年初めに出した『Plan B 2.0: Rescuing a Planet Under Stress and a Civilization in Trouble』(New York: Earth Policy Institute, 2006)の中で、すでにこのことを訴えているが、今回、アメリカ政府自身の研究が、ブラウン氏の主張の正しさを確認したことになる。
 
 ところで、わが国ではなぜこのような前向きの取り組みや研究が話題にならないのだろう? アメリカでこのように話題になり、改造車まで作られ、今回のような政府の研究対象になっているハイブリッド車の技術は、日本の技術である。最近のトヨタ自動車は、ハイブリッド車を含めた新型車を真っ先にアメリカで発表する。環境技術はアメリカで成功させてから日本へ持ってくるつもりなのか、と疑いたくなる。海外の化石燃料に依存する経済が、環境面だけでなく安全保障面からも望ましくないことは、日本もアメリカも同じである。この方面での日本政府や大企業の取り組みが消極的な理由が、私にはよく理解できない。

谷口 雅宣

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2006年12月17日

環境意識は向上している

 岡山市で行われた生長の家講習会では、1万人近くの受講者が集まってくださり、静かな雰囲気の中で講話ができたことは大変ありがたかった。これだけ多くの人が一堂に集まる講習会では、とかく場内のざわつきが気になることがあるが、そういうことがなかったのは受講者の方々の意識の高さを示していると思う。午後の講話の最後で、私は現代人の肉食の習慣が貧しい国々の飢餓の問題を深刻化させていることを述べ、宗教的にも問題の多いこの習慣を、生長の家では「廃止しろ」とは言わないまでも、「減らすことを勧めている」と述べた。時間の関係で、肉食が環境を破壊しつつあることに言及することができなかったのは、多少心残りだった。しかしその問題は、今では世界的にも広く認知されつつあることを知った。

 イギリスの科学誌『New Scientist』のニュースサービスが12月12日に伝えたところによると、国連の食糧農業機関(Food and Agricultural Organization)が最近出した報告書には、畜産業が土壌を悪化させ、地球温暖化を促進し、水資源を汚染し、生物多様性を破壊しつつあることが書かれ、この産業が「どんな意味に於いても最も深刻な環境問題を生み出している上位2~3番目の原因」だと書かれている。この報告書の中の驚くべき事実は、畜産部門が生み出す温室効果ガスは、運輸部門が排出する割合(全体の13.5%)を上回る「18%」に達するということである。
 
 この報告書は『Livestock's Long Shadow(家畜の長い影)』と題するもので、ヘニング・スタインフェルド氏(Henning Steinfeld)らの執筆によるもの。「18%」という上記の数字はFAOによる前回の報告書よりも増えているが、その理由は、家畜の生産過程から出るすべての温室効果ガスを計算したからという。その中には、化学肥料や餌の製造過程からの排出分、牧養地開拓のための森林伐採、糞の処理過程、家畜自体が出すメタンガス、家畜とその飼料の運搬過程からの排出量などが含まれるという。家畜の生産には広大な土地が必要で、現在、地球上の凍らない土地全体の26%を占める。また、アマゾン河流域の森林伐採地のうち70%は放牧地であり、家畜の飼料は、世界の農地の3分の1で生産されている。したがって、地上に生きる家畜全体の量は生物全体の20%を占めると考えられ、生物多様性を破壊する主要な原因になっているという。

 これらの数字を以下のように並べてみると、我々人間の「肉食」に対する執着の大きさが歴然としてくる:
 
  8%----人間が使う水のうち家畜生産に使われる割合
  18%----家畜産業から排出される温室効果ガスの割合
  20%----地上の生物全体量に対する家畜の割合
  20%----家畜によって汚染される農地や放牧地の割合
  26%----地上の凍らない土地のうち家畜生産に使われる土地の割合
  30%----野生生物の生息地のうち家畜に奪われた土地の割合
  33%----家畜の飼料生産に使われる農地の割合
  37%----人間が排出するメタンのうち家畜産業から出る割合
  37%----人間が使う殺虫剤のうち家畜生産で使われる割合
  50%----人間が使う抗生物質のうち家畜生産で使われる割合
  65%----人間の活動で排出される窒素酸化物のうち畜産業から出る割合
  70%----世界の農地のうち家畜生産に使われる割合
  70%----世界の森林伐採地のうち家畜生産に使われている割合

 家畜の肉に対する需要は、中国やインドなどの経済発展にともなって増大しつつあり、FAOの予測では2050年までに倍増するという。我々はまさに今、食生活を「環境」の観点から見直さねばならないし、さらに進んで「殺生」の問題として再考すべき時期に来ているのである。

谷口 雅宣

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2006年12月16日

ガンをつくる幹細胞

 本欄では、これまでES(胚性幹)細胞や成人(体性)幹細胞を治療目的に研究する問題を取り上げ、宗教や倫理面などから前者よりも後者の研究を推奨してきた。このことは、2002年に上梓した『今こそ自然から学ぼう』(生長の家刊)から一貫して述べてきたことだが、これら幹細胞の中には「ガン幹細胞(cancer stem cells)」というのがあることを、最近知った。ガン幹細胞とは、ガン細胞を生み出す元の細胞のことである。

 イギリスの科学誌『New Scientist』は11月25日号で「The traitors within (内なる裏切り者)」と題する4ページの記事を掲載し、このガン幹細胞のことを詳しく伝えている。幹細胞は、古い細胞を入れ替え、様々な種類の新しい細胞になって体を補修する点が注目され、長い間“いい者”として取り扱われてきた。ところが、この幹細胞にも“悪者”がいることが分かってきたというのだ。それは、乳ガンを含むいくつかのガン細胞を生み出す幹細胞のことだ。放射線治療などで周囲にある多くのガン細胞が死んでも、その幹細胞は生きていて新しいガン細胞を次々に生み出すらしい。ガン幹細胞は、DNAのダメージを自ら修復する能力があり、しかも、他の幹細胞との違いはまだよく分っていないという。
 
 ガン幹細胞の存在が証明されたのは1994年、カナダのトロント大学のジョン・ディック博士(John Dick)らのチームが急性白血病の患者を治療していたときで、ガン細胞表面の蛋白質をもとにしてガン細胞を2種類に分離した。それらを、免疫機能を抑えたマウス2匹に別々に移植したところ、同じガン細胞でありながら一方はガンとなり、他方はガンにならなかった。だから、ガンを生み出した方の細胞がガン幹細胞ということになる。この幹細胞の数はきわめて少なく、血液中の細胞では数百万個に1つほどだという。当初、ガン幹細胞は白血病に特有の細胞だと考えられていたが、その後、乳ガンと脳腫瘍の細胞からも発見され、さらに卵巣ガン、肺ガン、皮膚ガンの細胞からも発見されている。
 
 ガンにも幹細胞があると分かったことで、これまでのガン治療は根本的な見直しを迫られているという。なぜなら、これまでのガン治療では、「ガン細胞がガンの拡大や再発につながる」と考え、ガン細胞自体を対象にして切除したり、放射線や化学療法で殺したりしてきたからだ。しかし、ガン細胞はガン幹細胞から生まれるのであれば、このガン幹細胞を取り除かなければガンはなくならないことになる。ガンの研究者は今、その方法の開発に取り組んでいるというのだ。

 語呂合わせではないが、「ガン細胞」と「幹細胞」は性格が似ているということを覚えておいた方がいいようだ。7月18日の本欄で、京大再生医科学研究所の山中伸弥教授の開発した「人工幹細胞」のことに触れた際、同研究所の研究目標をウェッブサイトから引用した。そこには「患者自身の細胞からES細胞に類似した多能性と増殖能を有し、腫瘍形成能は持たない幹細胞を樹立することを目標に研究を行って」いると書いてあった。「腫瘍形成能」とは「ガン化する」という意味だから、幹細胞にはガン化の可能性があることは、専門家には以前からよく知られていたことなのだろう。
 
 ところで、話はアメリカへ飛ぶが、今同国の中年女性の間で騒がれているガンの話がある。それは、更年期障害の症状を和らげるために服用されてきたホルモン剤が、乳ガンの発症と強い相関関係があることを示す研究結果が発表されたことだ。もっと正確に言うと、アメリカでは2002年の7月、乳ガンとエストロゲンを含むホルモン剤との“弱い関係”が指摘されたのだが、これに驚いた医師や女性がこの薬の使用を控えたため、半年後には薬の売り上げが半減したそうだ。今回の研究は、その年の8月から翌年の12月までの乳ガンの発症率を調べたものだが、それは「15%」も減ったというのである。
 
 更年期に達した女性が、分泌の減ったエストロゲンを薬として外から服用することで、若さの維持や骨粗しょう症の予防ができると考えられてきたのだが、見えないところに“伏兵”が潜んでいたようだ。幹細胞は、自らを次々に複製するとともに他の細胞を生み出すから、「若さ」の象徴とも言える。しかし、“永遠の若さ”を求めることは、同時にガン細胞の発生を助けることにもつながる。ガン幹細胞の存在は、我々にそんな警告を発しているような気がする。
 
谷口 雅宣

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2006年12月15日

日本の犯罪は減っている (2)

 毎年、年の瀬が近づいてくると、その年の犯罪統計が発表されるようになる。とはいっても、最終的な数字は年が明けなければ分からないから、“速報値”として1~11月までの統計が発表されるのである。昨年、本欄では11月10日に2005年版の「犯罪白書」(2004年の統計)の報道について書き、新聞各社の不ぞろいの報道がなぜ起こるかを推測した。それは、現代のメディアには「悪いニュースを探す」というクセがあるから、犯罪が減っている年には、「各社は膨大な犯罪統計の中から、それぞれの視点で“悪い現象”を探して書く」ために、まちまちな報道になりやすい、という推測だった。

 今年も、12月15日の紙面で似たような現象が起こった。私はすべての新聞を読んだわけではないが、『産経』『日経』『毎日』『朝日』『読売』の間に顕著な違いが現れたのである。

 3紙の見出しを並べよう--
 『産経』……①ピッキング盗3割増 今年の都内の空き巣被害
        中国人窃盗団再び暗躍傾向 手口模倣も拡大
       ②「キレやすい30代」くっきり? 1~11月の刑法犯
        警察庁まとめ 街頭暴行1万7271件、16.2%増
 『日経』……刑法犯 4年連続減へ 今年検挙率、凶悪犯など低く
 『毎日』……刑法犯4年連続減少 検挙率、7年ぶり30%台
 『朝日』……
 『読売』……
 
 『朝日』『読売』のところに何も書かなかったのは、犯罪統計の記事がまったくなかったからである。『産経』に①と②があるのは、犯罪統計の記事が2本あったという意味である。『産経』と『朝日』は政治問題に関しては“犬猿の仲”ではあるが、『産経』は犯罪の大きな傾向は見出しに取らず、一部の「増加」している犯罪のことだけを2つ選んで伝え、『朝日』『読売』は何も書かない。つまり「よいニュースはニュースでない」という姿勢では、3紙は見事に一致している。これに対し、『日経』『毎日』は実にまっとうである。全国紙らしく、大きな傾向をズバリと見出しで表現している。そうなのだ、刑法犯の認知件数は4年連続で減少しているのだ。日本は、先進国の中ではピカ1の凶悪犯罪の少ない国である。その国でさらに犯罪は減っているのだから、私は大声で読者にそれを伝えたい。
 
 もっとも『日経』の記事は共同通信の配信かもしれない。だとすると、他の地方紙にも同じ記事は掲載されている可能性があるから、読者はこのニュースをすでにご存じかもしれない。しかし、一応事実関係だけをはっきりさせておこう。この記事(と『毎日』)によると、今年1~11月の刑法犯認知件数は189万4677件で、前年同期より9.9%も減っている。そして、2002年以来「4年連続の減少が確実」というのである。検挙率も7年ぶりに30%台を回復し、前年比2.6ポイント上昇の31.5%に達した。犯罪別の認知件数では、「振り込め詐欺やネットオークション詐欺の多発で4年連続で増えていた詐欺が減少に転じ、同13.5%減の6万8201件に。街頭犯罪も、路上強盗、自動車盗、車上狙いなどが軒並み減少した」というのだ。

 ところで、上の『産経』の①の記事の見出しは5段抜きの大きさである。これを読んだ読者は、「悪いニュース」ばかりがこの記事にあると予測しがちだろうが、本文には必ずしもそうでないことが書いてある。それは、都内の空き巣や事務所荒らしなどの「侵入盗」の被害は、ピークの2000年(3万9502件)以来減りつづけており、昨年は1万9278件となったため、6年間で半分になった計算になること。その後に、ピッキング盗のことが出てくるのである。「看板に偽りあり」と言わねばならない。

 さらに②の見出しを見ても、そこには「悪いことずくめ」の記事があるような印象を生む。これは2段組みの記事で、しかし本文ではちゃんと認知件数の「9.9%減」のことも「4年連続の減少」であることも、「検挙率が7年ぶりに3割台に回復」したことも書いてあるのである。さらに、いわゆる“凶悪犯”の数字(認知件数)を見ても、殺人(1203件)が前年同期比で6.6%減、強盗(4699件)が同14.6%減、略取・誘拐(182件)が26.3%減っている。私だったら、見出しは「日本、ますます住みよい社会に」とするのだが……。
 
谷口 雅宣

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2006年12月13日

バードストライク

 12月10日の本欄で、熊本県の「阿蘇にしはらウインドファーム」を見学したことを書いたが、その際、鳥が風車にぶつかる話に触れ、「鳥は大変運動能力に優れているから、この程度の速度で回転翼に衝突すことはないと思うのだが、実際はそういうケースもあるらしい」と書いた。それに答えたわけではあるまいが、『朝日新聞』は12日の夕刊の1面に、その事情を伝える記事を載せた。それによると、この現象を「バードストライク」と呼ぶそうだが、これまでオジロワシやミサゴなどの希少種の鳥の死亡例が観察されているため、発電会社は予防策に頭を悩ませているという。

 考えられている方法は、①鳥の飛来時に遠隔操作で風車を止める、②飛来をレーダーで感知して風車を自動停止する、③風車を目立つように赤く塗る、④風車を夜間ライトアップする、などだ。しかし①②のように風車を止めることになれば、ただでさえ電力供給の不安定が問題視されている風力発電の実用価値が下がるだろう。また、色塗りやライトアップの効果については、専門家の間でも意見が分かれるという。風力発電側には、バードストライクの確率は風車1基に対して年間1~2羽とも言われるから、許容度がどの程度かを定めるべきとの意見もあるらしい。恐らく、「年間1~2羽」ぐらいは許容範囲内と考える人もいるだろう。

 日本野鳥の会に報告されているバードストライクの例は、これまで20件という。私が山梨県の山荘にいた際、野鳥がガラス窓に衝突して脳震盪を起こした例は、過去に2回ある。2回ともしばらくして立ち直ったが、死ぬこともあるに違いない。だから、風車でなくとも、自然界では人間の構築物に野鳥がぶつかることはそれほど珍しくないはずだ。問題は、絶滅危惧種に指定されている鳥が、特にぶつかりやすい場合である。これについて記事は、絶滅危惧種のオジロワシの風車への衝突死が2004年以降北海道で6件、準絶滅危惧種のミサゴの衝突死が同年に長崎県五島市で1件、と伝えている。この数を「多い」と見るか「少ない」と見るかは、難しい判断だ。
 
 今後、風力発電所が各地に建設されるようになれば、それに比例してバードストライクの数は増えるだろう。だから、現在の数をたとえ「少ない」と判断しても、将来にわたってこの問題を無視するということはできない。人間の側でいろいろ工夫をする必要があるし、私はきっとそれができると思う。風車を立てる間隔、風車の設置場所などの工夫や、技術的にはレーダーによる感知とともに、(素人考えながら)音波による警告をするのはどうだろうか。鳥は、人間が聞いても明らかに分かる警戒音を発するから、そういう音を飛来する鳥に向けて発することで、鳥の進路を変えることができないだろうか。人間の知恵と工夫に、私は期待したいのである。
 
谷口 雅宣

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2006年12月12日

サハリン2をめぐる資源外交

 昨日の本欄で、日本が化石燃料を中心とした「資源外交」を進めていく危うさを心配したが、今日(12日)の新聞各紙は、ロシア極東の天然ガス開発プロジェクト「サハリン2」の権益を、ロシア国営企業、ガスプロムが求めてきたことを一斉に報道した。このプロジェクトの問題について私は9月19日の本欄で触れているが、ロシアが外資導入を目的として計画、エリツィン時代の1994年に契約が締結され、事業主がロシア政府に利益の6%を支払えば、投資回収まで石油・天然ガスの所有権がすべて事業主に帰属するという“資本有利”の契約だった。資本比率はロイヤルダッチ・シェルが55%、三井物産25%、三菱商事20%という外資のみの出資だったものを、資源外交を展開するプーチン政権は「環境対策が不十分」という理由で事業停止に追い込み、今度は、ロシア側に事業の主導権を譲るように言ってきたのである。

 昨年7月には、ガスプロムがシェルの保有分から25%の権益を獲得する替りに、ガスプロムが持つシベリアの開発権益をシェルが得ることで合意していたのだが、今回は「最大株主である英蘭ロイヤル・ダッチ・シェルに事業の主導権を譲るように求めてきた」(『日経』)という。シェルはすでに自己保有分の25%(全体の13.8%)の権益譲渡に合意しているから、残りは全体の41.2%であり、すでに過半数割れしている。ガスプロムが「主導権」を得るためには、日本の2企業の持ち分からも譲渡を要求される可能性が大きく、『朝日』は「シェルは出資比率を25%まで、パートナーである三井物産と三菱商事も10%ずつ権益を減らす可能性がある」というロイター通信の「関係筋の話」を伝えている。また、『日経』も「日本側2社もシェルに準じる形で株式譲渡が避けられないとみられる」と書いている。

 ロシアでは今、一定規模以上のガス・石油開発では外資に5割以上の権益を持たせないための法案を審議中というから、こういうロシア側の方針に沿って、一度結ばれた契約の変更を余儀なくされる事態が起こっているのである。
 
 日本政府が「資源外交」を表明しようとしている矢先に、ロシア側がまさに先手を打ってきたという感じだ。昨日触れた「エネルギー基本計画」の改定案は、来年2月をめどに閣議決定される見通しだが、甘利明・経産相は今日の『産経新聞』紙上で、この案を代弁するかのような発言を行っている--
 
「資源国が資源の囲い込みや自己管理化を進めている中、民間任せではうまくいかない。資源国にとっては事業(の遂行)を日本政府が保証してくれるのかどうかが関心事であり、国がしっかりと関与する方針を示すことがメジャー(国際石油資本)に対抗する唯一の道だ」

 上の発言は、資源国が日本企業の開発参加を望んでいる場合のことだろうが、今回のように日本企業の参加比率を下げてくれという場合には、どうすることが「国の関与」を示すことなのだろうか? 「当初の約束を守れ」とロシアに迫ることか、それとも外交問題を起こさないように、日本企業側に別の権益を保証する方向に動くことか……。また、この場合、日本の“国益”を守るというのは、日本の2企業の権益を守ることなのか、それとも「外交問題を起こさない」ことなのか……等々、いろいろ考えさせられる。

 企業の立場で考えれば、利益を生まない投資には価値がない。ガス田開発には巨額の投資が必要だが、その資金を回収した上で利益を得るためには、一定の権益(株式の保有比率)が必要である。出資額が減らずに権益が縮小されることは利益減であり、さらには損失となるかもしれない。損失が見込まれるプロジェクトからは、撤退も十分考えられる。しかし撤退すれば、日本への天然ガスの供給が減り、中東への依存度は減らないことになる。この場合、「国の関与」とはいったい何をすることか?……その答えが、まもなく出されるだろう。

谷口 雅宣

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2006年12月11日

「自然エネルギー立国」を目指せ

 昨日の本欄では、自然エネルギーのもっと積極的な導入を求めたが、12月8日の『産経新聞』は、経済産業大臣の諮問機関である総合資源エネルギー調査会の総合部会が、今後10年の日本の資源エネルギー政策の指針となる「エネルギー基本計画」の改定案を決定したことを伝えている。それによると、「エネルギー安全保障を重視し、資源確保に向けた資源外交や原子力発電推進などで国が積極的に関与する必要性を打ち出した」という。原文を見ていないので全貌は分からないが、記事を読んだ限りでは「自然エネルギーの利用」のことは何も書かれていない。その代り、「化石燃料の安定調達」や「原子力発電の推進」といった新味のない従来通りの政策が目立つのが気になる。イギリス政府が最近出した『スターン報告書』(10月31日11月25日の本欄参照)が、「今後10年間で低炭素の地球経済(low-carbon global economy)へ転換しなければ重大な経済損失を招く」と警告したのとは、大変な違いを感じさせる。
 
 同紙は「新計画が示した資源戦略」と題して、7項目を挙げている:①原子力発電推進のため米国などと協調、②ウラン資源確保に向けた資源外交の展開、③石炭産出国との関係強化と供給地の拡大、④経済連携協定などを活用した資源外交、⑤公的資金を通じて民間の資源取引を支援、⑥石油やLPガス備蓄での緊急対応を充実、⑦アジア諸国との省エネ・環境技術協力。同部会委員の鳥居泰彦・慶応義塾学事顧問の言によると、この新計画案は「原子力立国を明確に打ち出している」のだそうだ。温暖化ガス削減の問題は、原子力発電への重点シフトと、発展を続けるアジア諸国への環境技術協力で対応しようというのだろうが、自然エネルギーを重視しない政策には問題が多い。
 
「原子力立国」という考え方に対しては、私はすでに6月24日の本欄で反対の理由を明らかにしている。しかし、今回の新計画案では、原発の立地地域の住民との交渉等を従来のように電力会社にやらせるのではなく、「国が前面に出て説明責任を果たす」と明記するなど、“国家プロジェクト”並に原発の増設と更新を進めていくべきことを提言している。独占企業である電力会社と国との結びつきは、今後ますます強くなっていくだろう。

 もう一つの問題は、化石燃料の調達のために海外との結びつきを強めていく姿勢を明らかにしている点だ。中東地域の石油に依存しすぎている現状から、調達先を増やすことは「リスク分散」という意味では状況の改善ではある。しかし、「ロシアやカスピ海周辺地域、アフリカ、中南米などとの関係強化も打ち出しエネルギー供給地の多様化を進める方針」とあるから、紛争の火種を抱えた国々への関与も考えているのだろう。本当の意味で「リスク分散」になるのか、それとも「リスクの多様化」になるのかは判断が難しい。また、日本の投資先で紛争が起こった場合、“国益”を守るために国がどこまで関与するか(例えば、軍隊を送るのか?)という問題も考えねばならない。中東への依存度が高かった従来は、その問題は米軍1国への依存ですんでいた。しかし、今後は、アメリカの影響力の少ない地域(例えばロシアや中南米)への関与を(新計画においては)“国策”として強めていくのである。

 私は、日本が歴史的に資源外交の経験が少ないことと、かつては大失敗していることを憂慮している。戦後の中東への依存は、アメリカの保護なくしてありえなかったから「資源外交」と呼べるほどのものではない。戦前はご存じの通り、満洲で失敗し、インドシナで世界大戦へと突き進んだ。その大失敗から学習して賢くなっていればいいのだが、自民党の政治家の中には学習が足りない人もいるようである。今後、憲法改正をして軍備を増強し、「資源外交を展開するぞ!」と言っても、海外諸国がはたして「歓迎します」と言うだろうか? 私は、そういう“リスク拡大”の道を突き進むよりは、他からできるだけ奪わない「自然エネルギー立国」の道を選択すべきだと信じている。日本にはその技術も、資本もある。足りないのは、政治的意思だけなのだ。

谷口 雅宣

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2006年12月10日

風力発電所を訪ねて

Windfarm_aso  熊本県で行われた生長の家講習会の帰途、阿蘇山まで足を延ばして「阿蘇にしはらウインドファーム」を見学した。阿蘇郡西原村俵山地区の山の上に3枚羽根の風力発電機が10基並んで立っている風景は、なかなか壮観である。一直線に並んでいるわけではなく、高低の差がある丘の上にそれぞれがしっかりと立ち、直径66メートルの翼をゆっくりと回している。支柱の高さは60メートルというから、近くから見上げると“巨人”の一団が山々の上に足を踏んばりながら、腕をブンブン回している姿を連想してしまう。地上の私は風の動きをほとんど感じないのに、翼は低い音を発しながらゆっくりと回り続けていて、その音が巨人の鼻歌のようにも聞こえる。デンマークのヴェスタス社製の風車で、1基の出力は1,750kW。10基で年間2,510万kWhを発電し、7,100世帯分の電力を生み出すという。
 
 風力発電機の環境に及ぼす影響として、鳥の飛行路に設置された場合、風車と接触して衝突死するという話を聞いたことがある。が、私の見ている目の前で、ハトより一回り小さな鳥の群れがさえずりながら、回転翼の間をくぐりぬけるのを見た。回転速度が遅いので、見ている側も「危ない」という気はしなかった。この風車のデータによると、回転数は毎分10.5~24.4回転の範囲だ。これだと1秒に1~2回、回転翼が空を切る計算になる。鳥は大変運動能力に優れているから、この程度の速度で回転翼に衝突すことはないと思うのだが、実際はそういうケースもあるらしい。

 ところで、風力発電や太陽光発電などの自然エネルギーの導入方式には、構造的な問題がある。それは、独占企業である電力会社に対して自然エネルギーの供給会社から一定量を導入させることを法律で義務づける方式をとっている点だ。この法律が2003年に施行された「新エネルギー等電気利用法(RPS法)」で、これによって現在、電力会社は2010年度までに日本全体の年間電力供給量の1.35%に当る122億kWhを、自然エネルギーを使って供給する義務をもつ。これに対して、2003~2005年度の実際の供給実績は義務量を大きく上回り、2005年度の自然エネルギー由来の電力量は前年度比14%増の約56億kWhに達した。経産省は、この分でいけば2010年度目標は達成できると見ており、それ以降の2014年度までの目標を1.5~2%へ引き上げる考えで電力会社との調整を進めている。(10月27日『日経』)
 
 これに対して電力会社側は、コスト増を理由に自然エネルギー由来の電力の割合を引き上げることに反対している。11月18日付の『産経新聞』によると、電気事業連合会では、目標達成までのコスト負担を930億円と試算して、同連合会の勝俣恒久会長(東京電力社長)は、2010年度までの目標も「相当努力しないと実現できない」と主張し、目標値の引き上げには「反対だ」と明言した。自然エネルギーは、既存のエネルギーに比べて出力の安定性や効率、コストなどの面で劣るという考え方にもとづいている。しかし、海外の例を見ると、1国の全電力量に占める風力と太陽光発電の割合は、ドイツが2003年度で3.2%、デンマークも同年度で12%に達している。日本が2010年度に「1.35%」というのは、いかにも消極的である。これは、日本の自然エネルギー導入が、「利害関係のある業界との合意」という初めから矛盾した方式で行われているからと言わねばならない。
 
 もう一つの構造的な矛盾は、電力生産に際しての「コスト」が地球環境へのコストを含んでいないという事実だ。電力業界が自然エネルギーの利用を「コスト増になる」という時、そこには火力発電所が大量の温暖化ガスを排出したり、原子力発電所が放射性廃棄物を生み出したり、水力発電所が自然環境を破壊することの「コスト」は含まれていないのである。また、政治的に不安定な地域から原油や天然ガスを輸入する際の「コスト」もすべて含まれているとは思えない。これらのコストを既存のエネルギーによる発電に含ませるためには、最低限「炭素税」や「環境税」が必要なのである。逆に言えば、現在の電力会社による自然エネルギー利用義務は、「炭素税」や「環境税」に代わるものと見ることができる。それをある程度負担してもらうことは、この業界の社会的責任として受け入れてほしいものだ。

谷口 雅宣

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2006年12月 9日

グリーン購入の成果

 私は本欄で、植物を原料とする生分解性プラスチックを温暖化防止策として大いに推奨してきた。生長の家の講習会では1会場で何千個もの弁当が消費されるが、その弁当の容器にこの“腐るプラスチック”を採用することで、ゴミ処理にともなうCO2の排出を減らすとともに、この新しい環境技術を育てる効果があるからだ。こういう考え方は、多くの企業でも受け入れられつつあるようだ。12月1日の本欄でも触れたが、『日本経済新聞』の調査に回答した大手企業229社のうち3割以上が、植物性プラスチックの製品への利用を対応可能としているし、ソニーのように、すでにそれを使った非接触ICカードを実用化している会社もある。今日(9日)の『日経』には、このほかの例がいくつか紹介されていた。

 それによると、リコーは複写機で使われるトナーの原料に植物を使う技術を世界で初めて開発した。また、富士フイルムは、液晶パネル用の保護フィルムに100%植物性の原料を使う研究を開始したほか、電機・精密機械や自動車メーカーも植物を原料とする素材を製品の部材として採用を検討している。例えば、NECは携帯電話の外装やパソコンの外付け部品に植物性プラスチックの採用を考えており、富士通はノートパソコンの外装や静脈認証装置の部品に、三菱自動車は車のフロアマットに植物原料素材の採用を検討しているという。
 
 植物性素材の問題点は「生分解性」である点だろう。つまり、植物は枯れれば土に還るように初めからできている。弁当箱やゴミ袋ならば、その性質が環境によい。しかし、自動車部品が半年で土に還ってしまっては困る。また、耐熱性、耐衝撃性、強度の面でも石油原料のプラスチックに比べるとまだ問題がある。そこで各企業は化学メーカーと協力して性能を改善し、原料となる植物の種類や応用範囲をひろげているという。記事によると、富士通などは、トウゴマの種から抽出したひまし油から、柔軟性の高い樹脂を開発し、これをノートパソコンや携帯電話機の開閉部や屈曲の多い部品に採用する予定だという。

 この記事の中で注目すべきは、次のような箇所である--

「植物原料素材の採用は、当初は環境に優しい企業イメージづくりが狙いだった。最近では採用した製品が市場で優先的に購入されるケースが増えており、企業経営者は商品競争力に直結する課題と認識し始めている」

 これはつまり、消費者が製品の「環境性能」を重視して購入を進めているということで、それによって企業の技術開発の方向性が決められつつあるということだ。私たちの毎日の購買行動が、企業を動かしているのである。だから、環境性能のいいものを優先的に買う「グリーン購入」を進めることの意味は大きい。この冬のボーナスの時期には、読者はそういう角度から「何を買うか」を決めてみてはいかがだろうか。

谷口 雅宣

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2006年12月 8日

紅葉を愛でる

 12月ももう1週間を過ぎてしまった。今年は全国で紅葉が遅れているため、東京では今がちょうど見ごろである。今年は特に、街路樹のイチョウが美しく見える。原宿から新宿にいたる明治通りの両脇のイチョウは、黄金色の木と、まだ黄緑色の木と、その中間色にある木の組み合わせが、何とも快い調和を見せている。もう葉が散り始めている木も多いから、歩道には金色の絨毯が敷かれているようだ。名所で知られる明治神宮外苑のイチョウ並木の下には、今日も人混みができていた。そこは私のジョギング・コースでもあるが、1週間ほど前から昼間には人が多く集まっていて、ぶつからずに走ることができない。そこで今日もコースを変えて走った。
 
 前日の7日は休日だったので、妻と連れ立って調布市の深大寺まで足を延ばした。この日も寒い曇り空だった。深大寺はソバで有名だから、昼食は当然ながらソバ屋へ入った。ここでの食事はもう何年ぶりだろうか。子供がまだ小さい頃は、祖父母の墓がある多磨霊園からの帰途、よくここへ寄った。妻は温かい汁ソバを注文したが、私は山菜せいろの大盛りを頼んだ。店の女主人が「冷たくていいんですか?」と念を押した。私は大きく頷いた。きちんとした手打ちソバは、冷たいままで食べる方が腰があって好きだからだ。食後、寺の境内を散歩した。本堂前のカエデが何本も真っ赤に染まっていた。太いレンズを付けたカメラを構えて、そういう1本を写真に収めている60代の男性がいた。空が青ければもっと赤が引き立つとは思ったが、私もデジカメを構えて2~3枚撮影した。

 深大寺からの帰りは、ケヤキ並木の美しい甲州街道を通った。ケヤキは1本の同じ木に赤も黄色も、赤銅色の葉もある。それが風に乗ってはらはらと散るさまを、ハンドルを握る人は視界の隅でとらえるだけだ。見とれていると、追突の危険があるからだ。京王線の「つつじが丘」駅付近へ来ると、我々夫婦は少し感傷的になった。かつて二男と長女が甲州街道沿いのアパートに2人で住んでいて、我々は近くの寿司屋や中華料理店に彼らを誘い出し、一緒に食事をしたものだ。つい数年前のことだが、季節がなぜか懐かしさを盛り上げる。妻は、カーオーディオを操作し、やがてスピーカーからはイブ・モンタンが『枯葉』を歌うもの憂いフランス語が聞こえてきた。

Mtimg0611013  以前に本欄でも書いたが、紅葉を語るならばサクラに触れなければいけない。日本人はサクラ好きだから、サクラの木は都会にも数多くある。我々の家の庭にもヤマザクラが1本あるが、職場の敷地にも数本、「渋谷区保存樹木」という札を下げたサクラがある。隣の東郷神社にも、通勤路途上のラ・フォンテーヌ通りにも、産土様のある穏田神社にもある。その下を歩けば、秋が深まるにつれて落ち葉の数が増え、色もしだいに美しくなる。サクラの葉は、黄葉もあれば紅葉もある。1枚の葉に緑色から黄色、山吹色、朱色、深紅にいたる無限のグラデーションを表しているものもある。裏返っている葉を拾い上げて、ハッと息を呑むこともある。アスファルトの道端に無造作に落ちたそれらの1枚1枚が、第一級の芸術作品だ。

 だから、この季節の私の夢の1つは、そういうサクラの葉を毎日1枚だけ拾い、それを1枚の絵に描き、次の日の1枚との出会いを待つこと……そんな贅沢な時間を、秋は我々に提供してくれるのだ。
 
谷口 雅宣

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2006年12月 7日

豪が人クローン胚研究へ

 人クローン胚の作成や研究に関して、私は人間の命を宿す受精卵を道具として使うという倫理問題があるため、『今こそ自然から学ぼう』(2002年、生長の家刊)や本欄(最近では9月11日)などを通して何度も反対してきた。宗教法人「生長の家」もこの9月に、文部科学省に対して「反対」の見解を提出した。幸いアメリカのブッシュ大統領も、宗教的見地からこれに明確に反対の意思を表明してきていたので、私はブッシュ氏とはイラク戦争では見解が異なるものの、心強く感じてきたのだった。ところがこのほど、イラク戦争でアメリカに賛成したオーストラリアが、人クローン胚の研究と利用にゴーサインを出す決定をした。12月7日付の『ヘラルド・トリビューン』が伝えている。
 
 それによると、オーストラリア下院は6日、ハワード首相ら指導者の反対にもかかわらず、人クローン胚を幹細胞の研究に利用する法律を82対62で可決した。上院はすでに11月7日に、同法を34対32で可決している。下院の採決では、すべての政党が党議拘束を外し、各自の“良心にしたがって”投票することになったという。ハワード首相は議会で、「私はこの法案に反対する。その理由は、我々はこの社会で最終的に、ある絶対的価値を守らなければならないからだ」と発言。「ここで問題なのは、道徳的な絶対価値だ。それが、この法案を支持することができない理由だ」と述べたという。
 
 オーストラリアは2002年に、不妊治療のために作られた余剰胚(受精卵)からES細胞をつくることを認めたが、人クローン胚の作成は認めなかった。今後は、皮膚などの体細胞と卵子の細胞を接合させてつくる人クローン胚が、治療目的であれば許されることになる。しかし、人クローン胚の輸出入や、人間や動物への移植は禁じられている。同国国民の意識は治療目的の人クローン胚にはきわめて好意的で、この6月に公表された世論調査では80%が賛成しているという。
 
 ところで私は、人クローン胚やES細胞のように、人間の生殖細胞を材料にする再生医療よりも、患者の体にもともとある各種の成人(体性)幹細胞の研究を促進すべきだと訴えてきた。成人幹細胞は、これまで脳、骨髄、髪、皮膚、脂肪、歯胚、臍帯血,生殖器……など、ほとんど全身に存在することがわかっている。(詳しくは、7月27日の本欄参照)こちらの研究は、造血幹細胞などで人を対象にした治療が実際に進められているのに対し、人クローン胚やES細胞を使った具体的な治療例はまだないのである。効果が実際の臨床例で確認されていない治療法の方が、脚光を浴びているのは奇妙な現象である。

谷口 雅宣

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2006年12月 5日

「燃費2割改善策」は官民合作?

 12月1日の本欄で、私は「国家が(短期的な)国益を追求していくだけの現状では、人類は結局、地球環境問題で自分自身の首を絞めることになる」という意味の悲観的な予測をしたが、今日の『日本経済新聞』の第1面を見て、「待てよ……」と思った。国家にもまだ“良心”のようなものがあるかもしれない、と感じたのである。その記事には、経産省と国交省が2015年までに、自動車の燃費を今より約2割改善する新基準をメーカーに義務づける方針だと書いてあった。「8年間で2割」はさほど大幅とは言えないが、関連業界の技術開発の方向性を決定させる効果はあると思う。また、この新しい燃費規制が施行されれば、世界で最も厳しいものになるという。

 この記事によると、現行の燃費規制はガソリン車の平均でリットル当たり約15kmだが、2015年度にはそれを18km強にまで強める方針。ただし、この規制案を両省が今月内にも開かれる合同審議会で「まとめる」と書いてあるから、まだ“正式決定”ではないようだ。現行の基準は全車種を9段階に分けているが、新規制ではそれを15~20段階に細分化するそうだから、役所側の裁量の幅は以前より広がることになるのだろう。これらの規制は、京都議定書の目標に対して、運輸部門の温暖化ガス削減が特に遅れており、2005年度のCO2排出量が基準年(1990年)より18%も増えていることと関係があるかもしれない。「政府が危機感をもって規制に乗り出した」という感じがする。
 
 しかし、自動車業界の準備はある程度できているようだ。というのは、同じ日の『日経』には、いすず自動車が、提携先のトヨタと共同でディーゼル・エンジンの新工場を建設する構想を発表していたし、ホンダもガソリン車並の清浄度のディーゼル車を3年以内にアメリカへ投入することを、すでに今年5月に発表している。ディーゼル車は、同じ排気量でガソリン車よりも2~3割燃費がよく、したがってCO2排出量も少ない。日本では窒素酸化物(NOx)の排出が多いという悪いイメージがあったが、その除去技術も進んでいる。だから、単純に考えれば、現在のガソリン車をディーゼル車に替えるだけで2015年の燃費規制をクリアすることができる。さらに、これにハイブリッド技術を加えれば、燃費はさらに改善できる。ということは、政府は、業界の態勢が整ったのを見計らって今回、燃費の2割改善策に踏み切ったと見ることもできる。

 問題は、こういう“官民一体”になった環境対策と環境技術の開発が、実際の地球温暖化の緩和や防止に役立つかどうかである。

 これに関連して、4日付の『朝日新聞』に興味あるニュースが載っていた。今年の1~10月の国内のガソリン販売量が前年を約1%下回り、残る2カ月間で前年を上回るのが難しい情勢だというのである。ガソリン販売量が前年割れすれば、実に32年ぶりの出来事になるのだそうだ。石油業界にとっては“悪いニュース”かもしれないが、環境保全派にとってはもちろん“よいニュース”だ。それだけCO2排出量が減っているからだ。主な原因は、日本の消費者が燃費のいい軽自動車や小型車を選ぶようになったからで、その背景には昨年来の石油の高騰に続く、ガソリン価格の急騰がある。今後は、欧米や日本などの先進国よりも、中国やインドなどのBRICs諸国で自動車が急増すると予想されるから、そういう国で走る自動車の燃費が向上しなければならない。日本の技術支援が重要な所以である。

 私は、依然として燃費のいいRV車の登場を待っているのだが、どこのメーカーも適当なものを出してくれない。当初はハイブリッドのRV車でリッター20km前後のものを望んでいたのだが、もしかしたらディーゼル車でそれに近い燃費のものが先に出るのかもしれない。あるいは、中国やインド向けのものが優先されるのだろうか。昨今、日本市場は、大手メーカーにとって重要度が薄れつつあるのか……と寂しく思う。

谷口 雅宣

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2006年12月 4日

ID論を学ぶ

 宗教新聞社主催の講演会「進化のイコン--科学か神話か?」というのを聞きに東京・渋谷の国学院大学へ行ってきた。演題を見ただけでは何の講演会かわかりにくいが、これは昨年の本欄で何回も(8月1416日9月29日12月23日)触れてきた「知性による設計」(intelligent design、ID)論についてのもので、講演者は、ID論の“震源地”とも呼ぶべき米ディスカバリー研究所(The Discovery Institute)の上級研究員、ジョナサン・ウェルズ博士(Jonathan Wells)である。私のID論に対する態度は、これまで「付かず離れず」だったが、その1つの理由は、この理論が結構専門的であり、時間をかけてしっかり勉強しないと理解が難しいと感じていたからだ。今回、はからずも提唱者の1人の話が聞けるということで、学生にもどった気分で国学院大学の門をくぐった。
 
 ウェルズ博士は、ダーウィンの進化論では説明のできない点をいくつか指摘し、それらをID論によって説明しようとした。実際、博士の著書ではダーウィニズムの欠陥が「10個」も指摘されているらしいが、講演ではこのうち4つの指摘があった。私の理解しえた範囲で、以下にそれらを簡単にまとめる:

 ダーウィニズムでは、現在地上に存在する生物種は、植物や菌類もすべて含めて、もともとはいくつかの数少ない原始的な“先祖”から派生(descend)してきたと考える。この場合、1つの生物種が何か予め決められた方向に変化するのではなく、突然変異と自然淘汰によって別の種になるとする。このような仕方で多数の生物種が生まれるためには、少しずつの変化と長い時間とが必要になる、と博士は言う。しかし、化石からわかる実際の生物を見ると、長時間にわたって連続的な変化が起こった形跡はなく、逆に短期間に多種が生まれるのである。その最も顕著な例は、カンブリア紀の生物種の“爆発”と呼ばれているもので、この時期には、現在地上に存在するほとんどの生物種の“先祖”にあたる種が一気に出現したと言われている。また、ダーウィニズムによると、「A」という種から「B」という種が派生したのであれば、その中間的形態の「A'」がどこかで発見されるはずだ。しかし、化石による証拠を調べても、中間的形態のものは必ずしも発見されないという。

 ウェルズ博士は、次にダーウィニズムの“証拠”として挙げられる「個体発生は系統発生を繰り返す」(ontogeny recapitulates phylogeny)という原則の図を槍玉に上げた。この図は、ドイツ人の発生学者、アーンスト・ヘッケル氏(Ernst Haeckel)が描いた有名なもので、魚もサンショウウオもニワトリもヒトも、胎生期にはほとんど見分けられないほど類似した姿をしている。ダーウィニズムの信奉者は、この図によって「すべての脊椎動物は共通の先祖をもっており、その進化の過程を胎生期に再現する」と説明してきた。ところがウェルズ博士によると、この図を描いたヘッケル氏は、それぞれの脊椎動物の発生の過程で、最も類似した形になった時を選んで、それらを図上に並べたにすぎないというのである。そして、そのような“類似”が現れる前の段階では、それぞれの種は互いに相当異なる発生の過程をたどるという。このほか、博士はガラパゴス諸島のフィンチの嘴の話を紹介して、ここでもダーウィニズムでは説明できない事実が観察されていることを述べた。が、詳しくは省略する。

 ウェルズ博士が「進化は盲目的でない」証拠を示すのに使った言葉の1つに「還元不可能の複雑さ」(irreducible complexity)というのがあり、印象に残った。具体的には、博士は原生動物のような単細胞生物の「鞭毛」を例に挙げていた。鞭毛は、そういう生物が水中を移動するために使う船のオールのようなものだ。その構造を仔細に観察してみると、精密機械のように複雑で多数の“部品”から成り立っていて、実に合理的に機能するのだが、その部品は互いに関連し合っているから、そのどれ1つを除いても鞭毛は動かなくなるという。つまり、1本の鞭毛は、それ以上単純化できない一体の組織である。そのような複雑さが、盲目的な1回ないし数回の突然変異によって実現するはずがないというのである。もし変異が数多く重なって複雑で、有目的的な組織ができたのならば、そのような連続変異は一定のデザイン(事前の設計)に則って行われたのである。そのことを、ウェルズ博士らは「知性による設計」と呼んでいるようだ。
 
 谷口 雅宣

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2006年12月 3日

人体は医療資源か?

 生長の家講習会のために山口県周南市に来ているが、3日付の『中國新聞』に病気腎移植の問題について2人の専門家の意見が載っていたので、興味深く読んだ。この問題は、愛媛県宇和島市の宇和島徳洲会病院や広島県呉市の呉共済病院の「瀬戸内グループ」と呼ばれる医師たちが、病気のある腎臓を移植に使ってきたことが表面化したものだ。私はES細胞の研究等について意見を表明してはきたが、医学の専門家ではない。本件に関しては、渦中にある万波誠医師(66)のインタビューを聞いてみても、背後には素人に分からない事情があるようでもあり、また高度に専門的、臨床的な問題でもあるため、発言を差し控えてきた。今回、医師の側からの意見を知ることができたのはよかったと思う。
 
 本件に関して、メディアは“素人の直感”からオカシイと感じて書いてきたのだろう。その論理はきわめて分かりやすい。すなわち、病気の腎臓は患者本人に有害だから摘出するはずで、その病気腎を他の患者に移植することは“有害物”の移植だから加害行為にならないか?--そういう疑問である。これを裏返しに言えば、他人に有用な腎臓ならば本人にも有用であるはずで、それを摘出する行為は傷害罪に当らないか?--ということになる。こういう論法には、しかし医学的な知識が一切含まれていない。私はその点が気になっていたのである。
 
 記事で発言していたのは、岡山大学大学院教授の粟屋剛氏と、東京女子医大名誉教授の太田和夫氏である。期せずして両名とも病気腎移植自体については、肯定的にとらえていた。粟屋教授は、社会への情報開示と、移植のリスクについていわゆる「インフォームド・コンセント」(十分な説明にもとづく患者の同意)が行われていれば問題ないとし、太田氏は、自身が病気腎を移植に使った経験があると言い、病気腎の患部を完全に切除して行う「部分腎移植」の技術を開発すべきだと述べていた。両氏の意見の背後には、移植に使う腎臓の絶対数が不足しているという事情があるようだ。脳死にともなって摘出される健康な腎臓が得がたいという現状にあっては、多少リスクがある腎臓でも、リスク要因をできるだけ減らし、患者の同意があるならば利用すべしということだろう。
 
 太田氏の意見の中で興味あることは、患者の腎臓を一度摘出したら、それを元の場所にもどすことは容易でないという話だ。「出血や合併症が起きた場合、再手術も難しくなるので、本人に戻す時は安全を考えて別の場所に植える」という形にした方が手術はやりやすいのだそうだ。こういうことは専門家でなければ分からない。素人は臓器を“部品”のように考えて、「外したところへ戻すのは容易だし当然」と考えがちだが、生体はそれほど単純にできていないようだ。またガンのある腎臓についても、「ガンの部分をきちんと切除して、ガン細胞が残存しないようにすれば、まず大丈夫」とし、さらに「免疫抑制剤を使うことで(ガンが)抑えられる可能性も考えられる」と述べている。私のような素人は、免疫系の機能を抑制すればガンの発生率が上がると考えがちだが、そうでないらしいのである。
 
 粟屋氏の発言には、しかし気になることが1つあった。それは、移植医療を「人体を医療資源としてみる発想」から生まれたと捉え、「もはや人体の有効利用・資源化が避けられない時代になっているとしたら、建て前でなく、それを前提にした議論をすべきだろう」と述べている点だ。これは、粟屋氏が「人体の資源化」を是とし、その流れを前に進めるように推奨しているように聞こえる。私は、そのような社会的合意が日本で成立しているとは思えない。アメリカはともかく、この国で脳死段階での臓器移植が進まないのは、その証拠だと思う。一見“物質”と見えるものの背後にも、目に見えない“魂”や“命”のようなものを認めてきた日本人の感性が、「人体の資源化」への動きに抵抗しているように私には思えるのだ。病気腎移植に対するメディアの直感的反発も、そういう感性にもとづいているのかもしれない。

谷口 雅宣

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2006年12月 1日

企業努力と地球環境

 日本経済新聞社が毎年行なっている「環境経営度調査」の第10回の結果が1日の紙面に発表された。1997年から行なっているもので、運営体制、長期目標、汚染対策、資源循環、製品対策、温暖化対策、オフィスの7項目において対象企業を評価し、ランクづける。今回は上場・非上場を含めた製造業1740社と非製造業2369社を対象にして行なったそうだ。製造業、非製造業の各分野で高ランクに位置づけられた企業名が新聞には載っていた。ちなみに、製造業のベスト5は、①トヨタ自動車、②リコー、③東芝、④日立製作所、⑤デンソー。前年のベスト5は、①松下電器産業、②NEC、③富士フィルムホールディングス、④リコー、⑤東芝だったというから、結構順序の入れ替わりがある。
 
 記事には調査の形式が詳しく書かれていないが、恐らくアンケート形式によるものだろう。有効回答の数は967社だから、全体に比べて23.5%の回答率。あまり良いとは言えない。残りの76.5%の企業は、環境対策に特別に熱心ではないと解釈できるかもしれない。11月26日の本欄で、私は「政府がかけ声をかけなくても、民間レベルでの環境意識の向上は(困難であっても)期待できる」と書いたが、括弧書きの内容が正しかったのだろうか。

 しかし、この記事には“明るい面”も書かれている。それは、新エネルギー関連の技術を開発中か利用を進めている製造業の企業の数が、私が考えていたより多いことだ。この分野では229社が回答を寄せており、うち「燃料電池」を開発または利用しているのが126社(55%)、「太陽電池」が105社(45.9%)、「廃棄物発電・燃料」が72社(31.4%)、「風力発電機」が63社(27.5%)、「バイオエタノール」が47社(20.5%)、「バイオディーゼル」が40社(17.5%)、「水素ステーション」が33社(14.4%)、「その他」が81社(35.4%)だった。括弧内の数字を合計すると「250%」近くになるから、日本の200社以上の主要企業が、新エネルギー関連の技術を平均して2つから3つ利用もしくは開発に携わっている、という読み方ができる。
 
 記事によると、特に顕著なのは燃料電池やバイオ燃料の利用・開発で、229社のうち4割以上がこれに取り組んでおり、植物性プラスチックの製品への利用も3割以上が対応可能としている。前者の関連については省略するが、後者の関連では、ソニーが植物性プラスチックを使った非接触ICカードを世界で初めて実用化しているという。

 問題は、このような「民間レベルでの環境経営」が実際に温暖化ガスの排出削減につながるかどうか、である。京都議定書では、2008~2012年度の平均で1990年度に比べて「-6%」が義務づけられているが、回答した360社の平均では「5.6%」の排出増を見込んでいるというから、この程度の努力ではまだまだ足りないことになる。企業はどうしても短期的な収益を追う傾向があるから、“イメージ戦略”として環境を前面に打ち出すことはあっても、それが実質的な温暖化ガス排出削減につながらないことが多い。今回の例など、それをよく表していると思う。

 だから今は、地球環境という「公共の中の公共」を守る立場にあるものが、強力な指導力を発揮する必要があるのだ。ところが、現在の国際社会では、その立場にある国連等の国際機関には実質的な力はなく、「国家」が最大の力をもっている。しかし、その国家は、自国の利益を守ることのみに汲々としており、京都議定書の目標さえ達成することが難しい状況にある。地球環境問題では、国家が(短期的な)国益を追求していくだけでは結局、自分自身の首を絞めることになる。それが分かっていても“正しい”行動がなかなかできない。人類の英知は、地下水脈とともに枯渇しつつあるのだろうか?

谷口 雅宣
 

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