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2006年11月12日

日本の政策はオカシクないか?

 今朝、横浜市で行なわれる生長の家講習会の会場へ向う車中、『朝日新聞』の第1面に載っていた記事を読んで、私は驚いた。1993年以来、最低輸入義務にもとづいて輸入してきた外国産米が貯まる一方なので、農水省はそれをバイオエタノールに転換して活用する方針を固めたというのである。売れ残って処分できない外国産米の保管費用が毎年200億円かかるから、それを燃料化して売れば費用削減になるという考えのようだが、記事には「売却価格は買い入れ価格を下回り、損失が出るのは確実とみられる」と書いてある。私がオカシイと感じるのは、余剰米をバイオエタノールに転換することに加え、この余剰米の量の多さだ。
 
『朝日』の記事によると、最低輸入義務にもとづき海外から輸入された米の在庫は、今年3月末の時点で203万トン(玄米換算)に上るという。この量たるや、日本人が主食として消費する国産米の量の4分の1にも達するそうだ。輸入先はアメリカ、オーストラリア、中国、タイなどで、年間約77万トンが義務として輸入されている。これがそのまま市場に出れば、我々消費者は米をもっと安価に味わうことができるのだが、それでは国産米を作っている農家に打撃を与えるというので、主食用は約10万トンしか市場に出さず、加工用と途上国の援助用にそれぞれ約20万トンを出し、残りの約27万トンが毎年、倉庫に貯まっていく計算になる。今回は、この余剰分を燃料に回す方針を固めたというわけだ。

 11月6日の本欄で、私はバイオエタノールの生産が抱える基本的な問題について述べたが、この農水省の計画では、まさにこの問題--農地を人間と自動車が奪い合う--を地で行くようなものではないか。『朝日』によると、政府が買い入れる輸入義務米の値段は、毎年300億円余になるという。1キロ当りの購入価格は30~60円となる計算だ。一方、バイオエタノールの値段をガソリン並みに抑えるためには、原料米の価格を15~20円にとどめる必要があるらしい。ということは、米1キロ当り15~40円の損失を出しながらバイオエタノールを作り、この損失分を税金で補うことになる。農水省は5年後までに、国内でのバイオエタノールの生産量を年間5万キロリットルにする方針で、このために工場建設にも補助金を出す考えという。ということは、これまた税金を注ぎ込んで外国産米を--人にではなく自動車に--消費させるということだ。

 上に書いたことを言い直してみよう。日本という国は、国内で農地を遊ばせ、海外から不要の米を輸入し、それを倉庫で眠らせて米の価格統制を行い、今後はあまった米を補助金を使って自動車に消費させようとしている。この過程で行われる「休耕田対策」「外国産米の輸入」「外国産米の保管」「エタノール工場の建設補助」「エタノール化の際の価格補助」のすべてが税金で賄われる。しかし、何のためにそうまでするのか? 農家を守るための税金の大量投入か? しかし、私はそれによって農家が発展するとはとても思えない。国産米の価格を人工的に高く維持することによって、現に農地は荒れている。また、外国産米を燃料に転換することは、世界の食糧の絶対量を減らすことになる。だからこれは、世界の米の値段を高く支える政策でもある。貧しい国の人々は、さらに厳しい環境におかれるだろう。つまり、この政策では、「日本は海外の貧しい人々から米を奪い、豊かな国民の税金を注ぎ込んで自動車に与える」ということにならないのか。
 
 バイオエタノールの生産と利用は、もちろん地球温暖化防止のためのものだ。しかし、「余剰外国産米の燃料化」はその目的に対する正しい手段とは思わない。外国産米の維持費が負担だというならば、もっと多くを海外への食糧援助に回し、あるいは国内市場に放出して消費者の便に供し、さらに税金のムダ遣いを減らすべきだ。バイオエタノールは、穀物から作らなくてもできることは、本欄でも度々書いてきた(今年5月13日6月13日同26日)。「車と人」あるいは「貧しい人と豊かな人」とを対立させる行政は、悪政としか言いようがないと思う。
 
谷口 雅宣
 

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コメント

谷口雅宣先生

 日曜日は講習会のご指導有り難うございました。私は運営でしたので余り、拝聴する事は出来ませんでした。でも偶然拝聴する事が出来た「先進国のエゴによる地球温暖化が発展途上国の反感を買い、テロを生む事がある。」というお話はなるほどと思いました。
 
 私は今回、運営の国際部で外国の方のお世話係をさせて頂きましたが、今回はブラジルの方の他、アメリカ軍の方も十名程来られたのでポルトガル語の他、英語でも同時通訳を本部の先生にして頂きました。

 私も一応英語は毎日、勉強させて頂いているので同時通訳のイヤホンで英語で先生のお話を時間が空いた時は拝聴させて頂きました。

 ところで当日、偶然、通りすがりのアメリカ人らしい老夫婦が入口で中をのぞき込んでいたので私はこれは日頃の英語の勉強を活かす機会と思って、会場内にお誘いしましたが、相手が「これは何のお話か?」と聞くので「religion(宗教)」と答えたら、敬遠されてしまいました。 後で同じ運営の方でご主人がアメリカ軍人である奥さんにその事を話したら、「religion」と言うと警戒されてしまうので「positive thinking」と言うといいとアドバイスされました。

堀 浩二拝

投稿: 堀 浩二 | 2006年11月14日 13:05

堀さん、

 講習会のお世話係、ご苦労さまでした。

 私の話を同時通訳するのは、スゴク大変だと思います。前もって原稿など書かないからです。通訳の方々にはとても感謝しています。

 religion は positive thinking ですか……。生長の家の場合はまったくその通りですが、多くの religion が negative thinking であるのは、残念なことです。

投稿: 谷口 | 2006年11月14日 17:51

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