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2006年11月 2日

“私”が世界に現れる

 休日を利用して、妻と2人で群馬県みどり市まで足を延ばした。山の紅葉を見たかったのと、同市東町にある富弘美術館へ行きたかったためだが、紅葉にはまだ早かった。が、富弘美術館の周囲では、早く紅葉するドウダンツツジなどが植えられていて、赤黄に染まった美しい木々を楽しむことができた。ご存じの読者も多いと思うが、ここは詩画家の星野富弘氏の故郷・東町に建てられた美術館で、草木湖畔の深い自然に囲まれている。星野氏は、群馬大学在学中は体操の選手だったが、中学の教師となってクラブ活動を指導中に事故で頚髄を傷め、首から下の全身が麻痺してしまう。が、そのハンディーを克服して、口に筆をくわえて絵や文を描く詩画家になった。美術館は1991年に東村立で建てられて以降、来館者が絶えず、2005年には500万人を達成した。自然の草花や動物を主体とした水彩画と、人生を凝視した詩文の組み合わせが人々を惹きつけている。

 私は、9月下旬に横浜の赤レンガ倉庫であった氏の詩画展を見て以来、口と首だけで絵を描くという驚異的な能力に感動し、氏の人生観にも共感を覚えていた。美術館では、横浜の展覧会の時よりはるかに多くの展示品を見ることができたので、ありがたかった。「絵を描く」という人間特有の行為の背後にある、深い精神性を教えられたように思う。
 
「世界を見ているとき、世界を見ている眼は、見えない。絵を描いているとき、描いているという働きは、絵の中に描かれえない」

 この文章は哲学者、大庭健氏の『善と悪--倫理学への招待』(岩波新書、2006年)からの一節である。私はこの本をJR高崎駅の書店で買って、この時ちょうど読んでいた。しかし、上の一節に至ったとき、先を読み進めなくなっていた。著者の言おうとしていることが分からなくなったからである。上の文章は、即物的に解釈すればまさにその通りである。私たちの見る世界の中には、自分の眼(眼球など視覚を生み出す器官)は見えない。また、絵を描いているときも、その行為自体を絵の中に描くことはできない。ここまではいい。しかし、そのあとに大庭氏が続ける次のような言葉が、私にはとても難解に感じられた。
 
「世界を見ているとき、見ている眼も、見るという働きも、見えている世界の中には現れてこない。しかし、そうだとしたら同様に、世界が私に現れてくるとき、その私もまた世界の中にはいない、のではないだろうか?」

 私は星野氏の水彩画を見ながら、「これは、星野氏でなければ見えない世界だなぁ~」と感じていたのである。「これが星野富弘の世界だ」と言い直してもいいかもしれない。これをさらに言い直せば、「星野氏が描く世界の中には、氏の視点も、そこから迸る氏の思いもよく表れている」ということになる。この私の感想は、大庭氏の上の文章とは真っ向から対立するのだ。もちろん、私の感想の意味は即物的ではない。これに対して、大庭氏の言わんとすることは即物的なことかもしれない。例えば、「人間は自分の本当の顔を見たことがない」というような意味だ。しかし、その程度のことを哲学者が何ページも使って言おうとするはずはない、と私は思った。では、上の文章はいったい何を言おうとしているのか?

 こういう話は、哲学の分野では「認識論」と呼ばれている。本欄では7月22日同24日9月14日などで、これと関係のある話を書いた。生長の家では「(現象)世界は心の反映」と考えるから、大庭氏の言葉の文脈で「世界」と「見ること」との関係を表現すれば、次のように言えるだろう--

「世界を見ているとき、見ている眼(視点)も、見るという働きも、見えている世界の中に十分反映されているのである。そうだとしたら同様に、世界が私に現れてくるとき、その私もまた(肉体が見える見えないにかかわらず)世界の中にいるのである」

 つまり、大げさに表現すれば、「世界が私に現れてくる」のではなく「私が世界に現れてくる」のである。

谷口 雅宣

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コメント

谷口 雅宣先生

昭和60年代位の青森教区教化部長先生が、星野富弘氏のことを良く紹介されておりましたので、私も当時、星野富弘氏の書かれた本を購入して読んだことがあります。その中に“もしもこの手が動くのであれば、母の肩をたたかせてもらいたい”という意味(字句は多少異なるかもしれない)のことが書かれてありました。
そのことがトテモ印象に残っておりましたので一言紹介致しました。

志村 宗春拝

投稿: 志村 宗春 | 2006年11月 5日 22:07

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