« 『雷の落ちない村』 | トップページ | 秋季大祭が終る (2) »

2006年11月22日

秋季大祭が終る

 11月20~22日の3日間、生長の家の秋季大祭と記念式典のために長崎県西海市にある生長の家総本山へ行った。20日の午後に長崎へ発ち、夜に教化部長懇談会を行い、翌20日は午前中が龍宮住吉霊宮の秋季大祭、午後は同本宮の秋季大祭と生長の家総本山特別評議員会、そして22日は谷口雅春大聖師御生誕日記念・生長の家総裁法燈継承日記念式典を主宰した。足掛け3日間の“長丁場”であったが、大過なく務めることができたのは、実行委員として見えないところ、(そして見えるところでも)尽力してくださった数多くの方々のおかげである。この場を借りて感謝申し上げます。
 
 今年は日本全国で紅葉が遅れていて、長崎地方でも1週間ほどの遅れと聞いたが、本宮の大鳥居近くのナンキンハゼの並木は赤く色づき、金龍湖の周りの木々も紅葉と黄葉が見事な調和を見せていた。全国から集まった参列者の方々も、きっと秋の美しさを楽しまれたことだろう。

 特別評議員会で発表されたことの中で、総本山で排出される二酸化炭素(CO2)の量と、その森林が吸収する量との関係が興味深かった。発表資料によると、2005年度の総本山でのCO2排出量は869,456kgだったが、境内地の約85%を構成する森林が吸収するCO2の総量を計算すると849,680kgになるのそうだ。この差は19,767kgだから、電気に換算すると、今後年間35,616kWhを節電することにより、“CO2の排出ゼロ”が実現するのだという。これは決して不可能なことではない。というのは、現在本山に設置されている太陽光発電装置は年間でざっと15万kWhを発電しているので、これの4分の1を発電する装置を追加導入すれば(例えば、現在の練成道場の屋根へ設置すれば)いい計算になるからだ。
 
 このようにして、ある場所から排出されるCO2の量を、森林による吸収や自然エネルギーの利用で減らし、実質ゼロにすることを「カーボン・ニュートラル」と呼ぶことがある。生長の家の練成道場のように外部から大勢の人々が集まってくる施設においては、本当の意味でのカーボン・ニュートラルは、それらの人々が利用する交通手段も考慮に入れなければならない。しかし、こうして現在の我々の活動の一部でも、実際にどの程度の努力で「CO2排出ゼロ」になるかを具体的に知ることは、その実現の道筋を示してくれるという点で、大いに参考になるのではないだろうか。

 ところで、この特別評議員会で私はスピーチをしたが、そこでは19日の本欄で触れた三橋節子さんの絵本『雷の落ちない村』を話題にした。この作品に出てくる「雷」は自然の象徴であり、その自然は、時に人間に悪さを働くようであっても、人間が努力し説得すれば、人間に協力してくれる。ここには、人間と自然とは基本的には“同類”であり、対立していても仲良くなれるという考え方が表れている。このことは「桃太郎」や「鶴の恩返し」など多くの昔話や日本の神話にも表れているから、それが我々日本人の自然観である、と指摘した。だから、自然と人間との共生を実現しようとする運動を「左翼が得意とする運動」などと呼ぶ人がいたとすれば、それはかなり見当はずれな見方だと言わなければならない。

 ソ連が崩壊し、ロシアも中国も資本主義の道をまっしぐらに進んでいる今日、我々はもう「サヨク」や「ウヨク」などという旧世紀の分類法に惑わされてはいけないのである。そんなことより、自民党が経済団体の意向を気にしすぎて地球温暖化防止のための有効な政策を打ち出せないでいるのは、彼らの政治資金の力に目を奪われ、日本人の自然観を軽視してきた戦後政治の悪習が未だに続いているからだと気がつかねばならない。そんな政策を「美しい国・日本」などと呼んでも言行不一致の批判は免れないのである。
 
谷口 雅宣

|

« 『雷の落ちない村』 | トップページ | 秋季大祭が終る (2) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 秋季大祭が終る:

« 『雷の落ちない村』 | トップページ | 秋季大祭が終る (2) »