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2006年10月21日

『小説の一行目』

 最近、この表題のようなタイトルの本を買った。書店の棚に並んだ数々の背表紙の中に、この不思議なタイトルを見つけて、思わずその本を抜き出した。小説家や文芸評論家をめざす人を対象にした一種の“文章読本”か、あるいは小説ファン向けに「1行の味わい方」を解説した本かと思った。しかし、中を開いてみて驚いた。タイトルそのものの内容なのである。つまり、数々の小説の最初の1行目だけを、それぞれ1ページに収めて羅列しただけの本なのである。総ページ数は328ページの分厚い本だが、中身は他人の作品の切れ端を寄せ集めたもの。しかも、昭和10年から今年までの芥川賞、直木賞受賞作品300点から選んでいる。「それはないだろう……」と思って本を置こうとしたが、「せっかくだから」と少し読んでみた。

 真っ白なページの真ん中に1行、次のページにも真ん中に1行……と続いていく。ここで言う1行とは、句点(。)で区切られる1行であって、改行があるかどうかを問わない。有名な川端康成の『雪国』を例に引けば、
 
 国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。
 
 の部分である。
 見開きの2ページでは、広い空白が1行と次の1行を引き離しているから、文章としてつなげて読むことはない。また、それぞれの1行には、誰の、何という作品の1行目かなどという解説や補足はいっさいない。ちょうど句集の1ページのように、1行の黒い文字を白地の中に浮き上がらせて「読ます」のである。その1行は、恐らく作家がそのときの全精神を傾けて吐き出した1行だから、読む者の心を捕らえ、想像力をかきたてて離さない。次のページへ目を移すことが憚られるのである。数ページ読んだ私は、編集者の斬新な発想に喝采しながら、本を閉じてしまった。
 
 それは、いろいろな人の顔写真を見る感覚とも似ている。そのどれもが魅力的な男性であり、女性であるとき、視線のやり場に困る……というような気分。あるいはインターネット上の写真だったら、どこかに「拡大」ボタンか、「詳細情報」のボタンがないか探し回る気分である。しかし、そんなものはないのだから、本を閉じ、空を見上げ、動き始めた自分の想像力を、空へ解放するしかない。そんな抑圧されたような、じれったいような、それでいて妙に自由な気分になれる不思議な本である。

 巻末に、この本の“使用法”なるものがいくつか載っている。「自分の状況の置き換えてみる」とか「英語に訳してみる」とか「続きを書いてみる」などあるが、私の場合は3番目をしたい気分になる。日本文学の伝統の中には「本歌取り」というのがあるが、それを小説でやるというのはどうだろうか。また、「狂歌」「替え歌」「パロディー」などもある。機会があったら挑戦してみたい。
 
谷口 雅宣

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