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2006年10月25日

映画『記憶の棘』(Birth)

 水曜日の今日は、私にとって週末である。そこで夜、妻と2人で映画を見に日比谷まで行った。ニッコール・キッドマン主演でこのタイトルとなれば、内容は恐らくサイコ・サスペンスということになるが、英語の原題はなぜか“Birth”(誕生)である。そして、「輪廻転生を描いている」というのが巷の評判だった。私はだから、霊界の話でも出てくるかと思い、少し期待していた。

 ご存じの読者もいると思うが、私は最近、生長の家講習会で生まれ変わりの話をすることがある。その際、ジム・B・タッカー著/笠原敏雄訳の『転生した子どもたち』(日本教文社刊)という本の内容を紹介する。この本は、真面目な学問的研究を一般向けにまとめたもので、秋季慰霊祭の挨拶の中でも触れた(9月23日の本欄参照)。原著には「子どもの前世の記憶についての科学的研究」(A Scientific Investigation of Children's Memories of Previous Lives)という副題がついている。著者のタッカー氏(Jim B. Tucker, MD.)は、ヴァージニア大学の心理学者、イアン・スティーブンソン(Ian Stevenson)博士の弟子に当たる人で、児童精神科医である。このことから分かるように、「前世の記憶」を科学的に扱う人たちは、心理学や精神病理学の専門家なのである。だから、この映画もサイコ・サスペンスと宗教性の両面を兼ね備えていたのだった。

 私はこの本や、スティーブンソン博士の『前世を記憶する子どもたち』(日本教文社刊)を読んでいたので、映画のストーリーを追いながら「あれっ?」と思うことが2~3回あった。しかし、キッドマンの迫真の演技は、その不自然さを凌駕して覆い隠し、私の目を最後まで画面に釘付けにした。私は彼女が出演する映画では『アイズ・ワイド・シャット』(1999年)『ザ・インタープリーター』(2005年)などを見ているが、この作品での演技は文句なく最高だと思った。言葉を多くしゃべらずに、表情だけで、内心の心の揺れや、迷い、憎しみ、哀れみ、絶望などを見事に表現している。ジョナサン・グレイザー監督(Jonathan Glazer)の特徴的な長回しのカメラワークも見ごたえがある。特に、再婚する許婚の男とオペラハウスで演奏を聴きながら、10歳の男の子が前夫の生れ変わりであると信じるにいたる主人公の心の変化が、大写しされた表情の中で展開するシーンは、圧巻である。背後に流れる音楽も表情豊かである。

 ストーリーをまだ紹介していないが、詳しい話は避けよう。簡単にいえば、最愛の夫を失って10年後、ようやく再婚を決意した主人公の前に10歳の男の子が現れて「あなたはぼくの妻だ」と主張し、再婚を妨害しようとする話だ。始まってまもなくのシーンの中に、最後のどんでん返しを説明する重要な伏線が描かれているから、見逃さないように。

 グレイザー監督は、この男の子が主人公の前夫の生れ変わりであるのかないのかを聞かれて、インタビューアーにこう答えている。
 
「どちらもあり得るように、どちらの側においても理論が通るように作ったんだよ。僕の頭の中では作ろうとしているものははっきりしているけど、映画の最後を定義づけてくれと言われても、それはできない。この映画にはひとつ以上の真実があるということだ。それは何なのか。映画を見た人たちの気持にゆだねたいと思っているんだ」(森山京子氏訳)

「ひとつ以上の真実がある」という言葉は、味わい深いと思う。科学者から見たら精神病理学の対象のように見えるものが、別の人から見れば立派な心霊現象であることがある。前者にとって「偶然」としか考えられないことが、後者にとっては絶対的な「必然」となる。どれが真実であるかは明らかにされない方が、人にとっては幸福であることもある。あるいは、どちらも真実であることもあり得るだろう。ただ、この映画を見て言えることは、「前世の記憶」をもつことが幸福の原因にはならないということ。幸福は「今」の中にあるのである。

谷口 雅宣

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コメント

 確かに前世の記憶を持っていなければ、前世の記憶に惑わされることなくそれだけ負担が少ないと言えますし、前世へ関心を向けないよう導くことは、興味本位で関心を持ち、今をないがしろにする人への警告ともなりましょう。
 しかし、もし前世のことをまるで昨日のことのように記憶して持ってしまっていて、前世の記憶が本人にとって昨日の記憶のように何ら特別なことではなく、しかも他の人のようにごく普通に生活しており、前世の記憶を忘れることが、昨日のことを忘れなさいというほど困難なことである人がいたとしたら、その人にとって“前世を気にするな”と言われることは酷なことではないでしょうか。
 マスメディアでは、前世の記憶を持っているものをもてはやすように放映していますが、実際にはそのようなことは稀であり、前世の記憶を話すなどしたら、理解の少ない人々から精神病扱いされるか、変わり者扱いされるのが関の山です。精神病扱いされずにすんでるとしたら、よほど理解ある家族に囲まれて育った幸運な人ということになるでしょう。
 前世を記憶していない大半の人に向かって、前世の記憶がないほうが幸せだという告げることも簡単なことでしょう。しかし、それは前世を記憶していて、宗教的に逸脱した心境をまだ得ていないために、相談相手もなく、一般の人々と自分との違いに苦しんでいるマイノリティにとっては解決の糸口になりにくいのではないのでしょうか?
 ガン等の肉体的な病気等に関しては論ずることは問題ではないが、前世の記憶については関心をもつことも控えるように導くことは、確かに必要なことであり、また、幸福は前世の記憶があるか無いかに全く関わりませんけれども、前世の記憶がある者を切って捨てるような言い回しは、信徒の中にも前世の記憶が現にあってしまって日常的に他の人との疎外感を感じている者もいることを考慮して、少しはご配慮いただけたらと願います。また、前世を記憶しているがために普通の子と変わったことを話してしまう子を育てる親の気持ちも少しは配慮した言い回しをしていただけたらと願います。
 なお、大半の人々が前世の記憶がなく、世間的にもまだまだ前世の記憶を持つものへの理解がなく、変わり者扱いされる状況ですので、大変悩みましたが、ブログという形態も考慮し、本名は控えさせていただきました。

投稿: memory | 2006年10月27日 11:36

memory さん、

>>前世の記憶がある者を切って捨てるような言い回しは、信徒の中にも前世の記憶が現にあってしまって日常的に他の人との疎外感を感じている者もいることを考慮して、少しはご配慮いただけたらと願います。<<

 どなたか存じ上げませんが、私のどの記述が、「前世の記憶がある者を切って捨てるような言い回し」なのでしょうか? ご指摘いただけないでしょうか?

投稿: 谷口 | 2006年10月27日 14:51

谷口雅宣先生、こんにちは!

少し前にコメントをさせて頂いた時には、『にゃんこ先生』と名乗っていました。

『にゃんこ先生』とは、某アニメの、主人公の柔道の先生をやっていた貫禄のある猫の名称です。
私は、そのにゃんこ先生そっくりのトラ猫と共存しています。

前世と言えば、、私は生長の家に入る前に自分の前世を数個知っていました。
『越智啓子さん』という女医さんをご存知ですか?
彼女は前世療法というものをやっていらっしゃって、自分の前世を知る事で現世の心の闇を解放するという人生の治療をやっていらっしゃいます。

彼女は、それにまつわる本と自分で前世の記憶を呼び起こすCDを出しています。
彼女のCDと、霊的に興味のある仲間の協力で、私は自分の前世を何種類か知ったのですが、去年、生長の家を知ってから、もうあまり自分の前世に興味がなくなりました。

面白いし、それなりに勉強にはなるのだけど、何百個、何千個あるのか分からないからくたびれました。

ただ、生長の家の人間になっておぼろげながらに感じた事は、「今」自分が出会っている人々が、前世の自分であり来世の自分なんじゃないかな?ということです。
「人は自分の鏡」って言葉もありますものね。
以前はこの言葉を軽く考えていたけど、自分なりに実感したのは生長の家に入ってからです!!

それで、現在意識の「今」、過去や未来の自分に出会って色々摩擦を繰り返して「気付き」を得て、人って生長していくのかな?とか思いました。

とにかく前世も来世も今の世も全てが一体(自分の念の世界)なのかな?と思ったら、生長の家の「分かち難くすべての生命が一体」という言葉の理解に少し近づけました。

『甘露の法雨』の蚕の繭が人間の体だとしたら、人間の魂を覆う細胞のヒトツヒトツが『念』?

ということは、神様って何千何億もある全ての人間・生命体の良い念(細胞)の集まりなのかしらとか、色々考えていたら、途方もなくて想像つかなくて、、でも、大安心の境地に入っていけました。

途方もなく大きな大きな優しい愛の光に永久に包まれているのなら、前世も来世も気にしないで、「今」を精一杯楽しく喜びを表現して生きていったほうが楽だなあと思いました!

でも、先生がごらんになった映画を観たいです!
親しい人の「生まれ変わり」に、もし出会えたら、すごく楽しいし「人間の魂は永遠」っていう証拠と向き合えるから、大きな喜びになりますよね!

もし、私の父(他界しています)が、仮に私の子供として生まれ変わったとしたら、そりゃあ大切にしますが、私が子供の時父に言われた言葉の多くを父に言い返してみたいです。

子供が文句を言ったら、
「だって、あなたはお母さんが子供の時、同じことを私に言ってたのよ」
と口答え返しをしてみたかったりします。

コメントをさせていただいて、ありがとうございます!

投稿: 原隆子(にゃんこ先生) | 2006年10月28日 19:09

原さん、

 何といいますか、スゴイ話ですねぇ…。

 私だったら混乱して、子どもに何と言って叱ればいいか分からなくなりそうです。独特の平衡感覚のようなものが必要なのでしょうか……。

投稿: 谷口 | 2006年10月28日 22:49

※ どなたか存じ上げませんが、私のどの記述が、「前世の記憶がある者を切って捨てるような言い回し」なのでしょうか? ご指摘いただけないでしょうか?

のどの記述とは、

ただ、この映画を見て言えることは、「前世の記憶」をもつことが幸福の原因にはならないということ。

です。
例えば、状況にもよるでしょうが、ガンで深刻に悩んでいる患者を横目に見ながら、「ガンであることが幸福の原因」であるとかないとか、なかなかストレートに言えないのではないのかと思います。もちろんガンは本来無いものですし、肉体は消えるのでガンがあろうとなかろうと幸福には関係ないんですけど・・・
とっても表現が難しいのですけど、そういう 感じ です。

他の表現で例えると、日本語で考えたり話してたりしているのに「日本語がわかることが幸福とは限らない」と突然言われる感じ。または極めて少数民族が、少数民族の言語がわかることが幸福とは限らないとその他大勢を代表した人に言われる感じでしょうか。

前世の記憶があるとかで悩んでいれば、得意になって披露したいというよりも、理解者がなく、疎外感を感じるほうが多い気がします・・・

タイトルの映画とかが放映される世の中になって、やっと変人扱いされずに普通と思ってもらえるかもしれないな、という感じです。

独特の平行感覚というよりは、生まれつき目の見えない人と目の見えない世界とはちょっと感じている世界が違うかもしれないし、目の見える人が目の見えない人にいろいろ説明しにくい、互いに誤解し合う、という感じでしょうか。
目が見えるのが生まれつきだったりしたら、見えるからといって自分の中では混乱しない感じです。何にも特別なことではありません。そんなことで珍しがられたらとまどいます。
でも見えない人に様子を説明するのが難しくわかってもらえないという感じ。
だから周りのほとんどが見えない人だったら変に思われないように、まず周りが見えないことに気づき、周りが見えない範囲を知るように努力し、わかると思われそうなことの中から選んで話す、という感じでしょうか。

なかなか表現が難しいのでこの辺で・・・
コメントを返していただいてありがとうございます。

投稿: memory | 2006年10月29日 12:46

memory様

前世の記憶があっていいじゃないですか。私にもあります。些細な事だと思います。幼い頃の思い出みたいなものじゃないですか。生長の家は日時計主義の生き方ですもの。前世の記憶は消し忘れたメモリーカードだと思います。以前「理想世界」にも紹介されていた、生きがいの創造の飯田文彦氏の講演会にも行ったことがあります。前世を知って、「この問題は此処から来ていたんだな、なーんだ、これからの人生を前向きに生きよう」とするのがベストですよ。とおっしゃっていたと思います。
何より、雅宣先生の「捨てる事で自由を得る祈り」を拝読させて頂くと前世の記憶の事など何にも引っかかる事はないと判ると思いますが。

                          酒井幸江拝

投稿: 酒井幸江 | 2006年10月31日 03:05

memoryさん、酒井幸江さん、初めまして!

memoryさんはお優しい方ですね。

私、ぶしつけに「前世を知るのは面白い」みたいな事を書いてしまってごめんなさい。

谷口先生の返信が読みたくて、もう一度全てを読み返してみましたら、結局、memoryさんも谷口先生と同じ事をおっしゃっていらっしゃる事が分かりました。
「今」を生きる事こそ一番大切なことなのですね!

谷口先生、ご指導くださってありがとうございます!
memoryさん、大切な事を気付かせてくださって、ありがとうございます!

酒井幸江さんの
>前世の記憶は消し忘れたメモリーカード
とても素敵な表現ですね!

また、とても幸せな気持ちになりました。

谷口先生、memoryさん、酒井幸江さん、ありがとうございます!

投稿: 原隆子 | 2006年11月 1日 06:48

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