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2006年10月16日

代理母をどう考えるか? (2)

 10月3日の本欄で、タレントの向井亜紀さんと高田延彦さん夫妻がアメリカでの代理出産で得た子どもの件を書いた。品川区が出生届を受理しなかったのを、東京高裁が受理を命じ、それに対して同区が抗告の申し立てをしている最中だが、今度は、日本では実質的に禁じられている代理出産を国内で敢えて実行したと、長野県の産婦人科医が発表した。それも、30代の女性の卵子を使い、その母親の50代後半の女性が妊娠・出産したというのだ。『読売新聞』が特ダネとして15日の紙面で報道し、翌日の朝刊で各紙が一斉に伝えている。『読売』の記事によると、これを行った医師は、「代理母が産んだ子を手放すのを拒むなどのトラブルを回避でき、代理出産のモデルケースになりうる」と言ったそうだが、「祖母が孫を産む」という前代未聞の技術を、そんな簡単に誉めるべきではないだろう。
 
 各紙の報道によると、この代理出産を実施したのは、長野県下諏訪町の諏訪マタニティークリニックの根津八紘院長である。同院長は、日本産科婦人科学会が禁じる代理出産を過去にも行っているので有名な人だ。同院長は、結婚後に子宮摘出手術を受けた30代の妻と、その実母の申し出を受けて、2004年に妻の卵子と夫の精子を体外受精させ、それによって得られた受精卵を妻の実母の子宮に移植した結果、昨年春に体重2400グラムの子が無事生まれたという。そして妻の実母は、生まれた子を戸籍上実子として届け出た後に、養子縁組によって遺伝上の夫婦の子とした。

 根津医師は、2001年5月、子宮を切除した女性の卵子を使い、その女性の実姉を代理母として国内で初めての代理出産を行ったが、そのケースと比べて今回のケースの方がいい、と次のように『読売新聞』に語っている--「女性の姉妹を代理母とすると、年若い姉妹の家庭が10カ月間も不自由を強いられるし、最悪の場合、お産で亡くなるかもしれない。一般論だが、もし姉妹と母親がともに代理母になると申し出た場合、私は母親を選ぶ」。また、この時期に過去の例を公表する理由については、向井さんらの子どもの出生届の受理命令に対して、「品川区が不服として抗告したことに憤りを感じた。国民にこの問題を議論してほしいと考えた」(『読売』)と述べている。
 
 議論という点では、私の立場は10月3日の本欄で確認した通りである。それは「親の立場」を最優先するのではなく、「子を親の幸福追求の手段とするべきでない」ということである。特に代理出産は、「生まれてくる子」に加えて、「代理母となる人間」を自分の手段として利用するのだから、「倫理性はさらに疑わしい」とも書いた。根津医師は、新聞のインタビューに対して、「母が娘のために危険性を認識していながら産む意思を、誰が止められるのか」(『読売』)と言っている。しかし、代理母が遺伝上の母の実母であるという今回のようなケースでは、高齢出産が原則であるから、妊娠にともなう母体へのリスクは飛躍的に高まる。それを「実母だからこそ危険負担を申し出たのだ」と言わんばかりに美談化するのは、患者の健康と生命を第一に考えるべき医師の発言としては疑問が残る。

 根津医師は、50代は普通でも脳血管などに問題が出てくるのに、妊娠・出産というストレスがこれに加わること、閉経後だから女性ホルモンの投与が必要なこと、出産後に更年期障害が起こり得ること、海外を含めて10数例しかないことなどを知っていた。また、今回の代理出産では、多胎妊娠の可能性があったことを忘れてはいけない。『朝日』の記事には、50代後半の母親の子宮に移植された受精卵の数は「2~3個」と書いてある。仮に多胎妊娠が起こって、すべての子を出産できない事情があれば“子の選別”が行われるのである。また、高齢出産から障害のある子が生まれる可能性があることは、周知の事実である。こういう様々な危険を知りながら、同医師は「それでも危険を冒す」方を選んだ。その選択の根拠とはいったい何だろう? それを考えると、私は、同医師が「子をほしい」という女性の立場に余りにも寄りすぎてしまい、医師として、科学者としての中立性を見失っているように感じられるのである。

 同医師は、16日付の『産経新聞』のインタビュー記事の中で、「子供を産みたい娘の気持ちを親の協力で解決できる。むしろ今後、実の母親による代理出産が定着し『親が子供の子を産まないのは愛がないこと』というような話にならないか心配だ」と言っている。これは無責任な発言だ。だいたい閉経後の親の代理出産は「親の協力」などという簡単なものではなく、「親の決死の覚悟」と言うべきだ。臓器提供や卵子提供でも問題になるのは、患者の近親者や利害関係者に対して心理的な圧力が加わることだ。自分の行為によって、親に「決死の覚悟」をさせる状況が生まれることを知りながら、それを「心配だ」というのはおかしい。心配ならば、そんな行為を初めからしなければいいのである。
 
 今回の事例でも、「子の立場」があまり考えられていないように思う。子の実母は、戸籍上は祖母である。その子を遺伝上の両親が“養子”としてもらっている。この事実を、成長した子が知る日が来るが、そのことの説明をどうするのかを聞かれて、根津医師はこう言っている--「(30代の)女性には『おばあちゃんのおかげで生まれた』と、子供にその意味がわからない段階でも説明するように言っているし、両親も了解している。最後は親子の関係で決まる」(『産経』)。あまりにも簡単な答えだと思う。これに対し、養親による「つぎき家族の会」の野口佳矢子氏は、「子どもが大きくなって真実を知ったとき、どう受け止めるだろうか。段階を追って告知するにしても、将来の子どもの気持を考えたら、祖母が代理母になる選択はできないと思う」(『朝日』)と言っている。
 
 以上のことを総合して言えば、私は今回の根津医師の行為に対して賛成することはできないのである。
 
谷口 雅宣

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コメント

谷口雅宣 先生
 昨日、読売新聞の一面でこのニュースを知ってから、副総裁先生がご見解が出されるのを心待ちにしておりました!(笑)
 早速、読売の一面と35面、聖使命新聞の1面「人クローン胚に反対を表明」(10/1号)、ブログ『小閑雑感』10/3付のご文章をコピーし、昨日行われた講師の勉強会や青年会員勉強会等で配布して、生長の家の立場を確認し合いました。参加者は、日常の生活からかけ離れた世界の出来事と思っていた最新の科学技術を使った諸問題が、意外と身近に迫りつつあることへの驚きと共に、日頃、副総裁先生より最先端の科学知識を織り交ぜながら、生命倫理のあり方についてご教授いただいていることの有難さを痛感しておりました。「副総裁先生より教えて頂いていなかったら、果たして正しい判断ができていたかどうか…」
 因みに聖使命のクローン胚の図は「分かり易い」と大好評でした!

投稿: 竹村 正広 | 2006年10月16日 19:03

竹村さん、

 私のブログでの発言を早速ご利用くださり、ありがとうございます。
「代理出産」にはいろいろなケースがあるため、今後、様々な議論が起こると思いますが、基本的な点をしっかり見定めておくことが必要と思います。「子の視点」を考えることから、世代間倫理が生まれると思います。

投稿: 谷口 | 2006年10月17日 18:05

副総裁先生
「祖母が孫を産む…」「妹が姉の子を産む…」これからどのようなケースが出てくるのか、心配でなりません。「子の視点」で考える「世代間倫理」ですね。わかりました!「世代間倫理」の考え方が「外なる自然」ばかりでなく「内なる自然」に対してもあてはまるとは気づきませんでした。とても勉強になります。今回の事件を機に、改めて『今こそ自然から学ぼう』『神を演前に』『神を演じる人々』を読み直してみましたが、これらのご著書は、科学技術の暴走がみられる現代において、明快な価値基準を示す名著だと改めて思いました。
 私の青年会時代に、『今こそ自然から学ぼう』を読んだのがきっかけで、青年会に入会した青年が何人かいたことを思い出しました。先生の
ご著書をもっともっと多くの人々に勧めてまいります!

投稿: 竹村 正広 | 2006年10月17日 21:23

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