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2006年9月28日

聖者の生首

 本欄では、イスラームの開祖モハンマドの悪口を引用して国際問題を起こした「ローマ法王の失言」について、過去3回にわたって触れた。その影響がまだ収まり切らないうちに、今度はベルリンで上演を予定していたモーツァルトのオペラ『イドメネオ(Idomeneo)』の一部に、モハンマドの生首が展示されるシーンがあることが分かり、警察当局から警告を受けたオペラハウスが公演を取りやめる決定をした。28日の『ヘラルド・トリビューン』紙が伝えている。ところが、それを知った西側の芸術家たちが「イスラームに遠慮しすぎだ」と反発し、ドイツの内務相も「上演中止はクレージーで容認できない」と批判するなど、論争が巻き起こっているという。

 本欄では何回(2006年2月4日2月6日2月25日)も触れたが、かつてモハンマドの風刺画がデンマークの新聞に掲載されて騒動を起こした際、ヨーロッパの多くの新聞がその種の諷刺画を掲載しないとの決定をした。これに対し、西洋社会はイスラームに妥協しすぎて自由を規制しているとの批判が出た。また、ベネディクト16世が最近の“失言”について謝罪したことも、ドイツでは「やりすぎだ」との声が上がっているらしい。そこへ来て“自主検閲”にも似た今回の公演中止である。ドイツではオペラの公演中止など過去に例がないため、不満の声が大きいという。例えば、同紙によると、前文化相のマイケル・ノーマン氏(Michael Naumann)は、「これは、芸術家自身が芸術表現の自由を取り下げるような、恥ずべき決定だ」と非難しただけでなく、「法王が、異常と思えるほど謝罪したことで、悪い前例を作ってしまった」と手厳しい。

 ドイツ・オペラの館長であるキルステン・ハルムス氏(Kirsten Harms)の説明では、『イドメネオ』が最初に上演されたのは1781年で、ドイツ・オペラでの最初の公演は2003年という。海の神、ポセイドンを描いた神秘的物語で、この神は人間の命をもてあそんで意地悪く犠牲を求めるという。問題のシーンはモーツァルトの原作にはなく、最終部に挿入されたものらしい。そこでは、クレテ王・イドメネオがモハンマド、イエス、釈迦、そしてポセイドンの首を舞台上へ引き出して、それぞれをスツールの上に置くのだという。原作のオペラの終幕では、イドメネオ王はポセイドンの機嫌をとるために王位を棄て、息子のイダマンテとギリシャの王女・イリアの結婚を祝福する。しかし、ここに血なまぐさいシーンを挿入することで、監督は「すべての宗教の創始者は世界に平和を持ち来たさなかった」ことを訴えようとしているらしい。

 このオペラは、最初の公演のときすでにイスラーム信者やクリスチャンの間に論争を巻き起こしたが、組織的な抗議運動は起こらなかった。だから、ドイツ・オペラでは11月に4回の公演を計画していたという。ところが、今年夏になって、ベルリンの警察に「あのオペラは宗教的感情を傷つけるものだ」という匿名の電話があったため、警察が調査を始めた。そして、何らかの騒ぎが起こる可能性を否定できない、との結論に達したという。

 宗教の聖者の血だらけの生首をオペラや演劇に登場させるというのは、正直言って「よい趣味」ではない。そんな方法を使わなくても、同じことを訴えることはできるはずだ。が、その一方で、イエスの磔刑をめぐっては、これまで何回も血なまぐさい表現が使われてきたことは事実だ。私は、メル・ギブソンの映画『パッション』(The Passion of Christ)を見て、なぜあれほどまでに残虐なシーンを次から次へと重ねるのか理解できなかった。今回のドイツ・オペラの件でも、聖者の“生首陳列”の価値はよく分からない。しかし、自由社会というものは、ある人が無価値、残虐、低俗、有害と思うものをも容認する“度量”(あるいは無関心)がなければ成立しないという難しさがある。

 願わくは、ドイツの人々の良識が、残忍さやドギツサを克服して、ドイツ・オペラを高い水準に維持し続けてほしい。

谷口 雅宣

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