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2006年9月25日

イスラームの理性主義

 前回の本欄で、ベネディクト16世のレーゲンスブルク大学での講義の内容に触れ、そこで言われている「イスラームの神は理性を超えている」という理解は、概括的すぎて正しくないという意味のことを書いた。そして、イギリスのイスラーム研究者、タリク・ラマダン氏(Tariq Ramadan)の同様のコメントを紹介した。ラマダン氏が、その文章の中で理性主義イスラーム思想家として例示しているのは、アル・ファーラービー(al-Farabi, 950年没)、アヴィセンナ(Avicenna, =イブン・スィーナー、1037年没)、アヴェロエス(Averroes, =イブン・ルシュド、1198年没)、アル・ガザーリー(al-Ghazali, 1111年没)など6人である。

 イスラームは単なる狂信的な宗教ではなく、永い歴史の中でキリスト教に勝るとも劣らないような、理性にもとづく神学(カラーム)や哲学(ファルサファ)を生み出してきた。しかし、イスラーム研究家の中村廣治郎氏によると、イスラーム神学がイスラームの中に定着するまでには永い時間がかかったという。その理由は、イスラームの中では特にコーランとスンナ(預言者の言動)を重視する伝統が強く、それを超えた神学的思弁を“異端的革新”として排斥する傾向が根強かったからという。中村氏は、イスラームの伝統とは「テクストを文字通りに受け取り、それをそのまま実践すること」であり、「理性に対して啓示を絶対的に優位におく態度」が根深かったと言っている。つまり、イスラームの伝統の主流は「原理主義的」だったと言えるのだろう。そういう意味では、ベネディクト16世の講義の内容が全く見当外れだったわけではない。ただ、相当程度以上の「例外」があり、それが重要であることを付言すべきだったと思う。
 
 例えば、中村氏は上記のファーラービーとアヴィセンナについて、次のように描いている。
 
「彼(ファーラービー)はトルコ系の学者でダマスカスで没している。アリストテレスに続く『第二の師』といわれるように、プラトン、アリストテレスの著作の注釈者として、また論理学、倫理学、政治学、知識論についての研究者として多くの著作を残し、のちの学者に大きな影響を与えた。(中略)このファーラービーに導かれ、アリストテレスの哲学を完全にマスターして壮大な哲学体系を構築し、晩年にはさらにそれをこえて神秘主義への接近を試みる『東方哲学』を構想したのがアヴィセンナことイブン=スィーナ(1037年没)である」(p. 92)

『コーラン』の翻訳で有名な井筒俊彦氏は『イスラーム思想史』の中で、イブン=スィーナ(以下、ラテン名「アヴィセンナ」を使う)に関して1章を設けて彼の壮大な哲学の一端を紹介しているが、同氏の彼の理性への評価は最大級のものである。例えば、「イスラームのスコラ哲学は彼(アヴィセンナ)をまって、体系化された」(p.264)「アヴィセンナはファーラービーとラーズィーの両方の学風を一身に代表し、抽象的思想の側面と、具体的実験的研究の側面とのいずれにおいても優秀な才能を示した」(p.272)とある。また、彼の代表的著作の1つである『医学典範』については、「この大著は東洋諸国はもとより、西欧においてすら近世に至るまで全医学界を実際に支配したのである」(p.273)。さらに、彼のもう1つの代表作『治癒』については、「イスラームにおける最も完璧な古典哲学の経典」だと評価し、「回教徒の間では今なおその権威を保ち、また12世紀にラテン語訳されて中世のキリスト教スコラ哲学の発展に重大な影響を及ぼした」(同)と書いている。

 ラマダン氏が、ベネディクト16世のレーゲンスブルク大学での講義について「イスラームの理性主義の役割を消し去ったヨーロッパ思想史の読み方」だと批判したことを思い出してほしい。この批判には、アヴィセンナが中世ヨーロッパのキリスト教スコラ哲学に“重大な影響”を及ぼしたことを含めているに違いない。とにかく、イスラームの伝統を「反理性的」と捉えることは決してできないのである。

谷口 雅宣

【参考文献】
○中村廣治郎著『イスラム教入門』(岩波新書、1998年)
○井筒俊彦著『イスラーム思想史』(中公文庫、1991年)
 

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