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2006年9月27日

電子文書を読む

 読者が今、本欄を読まれているように、電子化された文書を読むことはすでに日常化し、当たり前の出来事になっている。しかし時々、その可能性に驚かされることがある。インターネットの発達で、「時間と空間の制約をほとんど受けずに情報が伝わる」とはよく言われる。私も、海外の出来事をほとんどリアルタイムで、衛星放送やニュース・サイトを介して見たり読んだり聞いたりしてきた。情報の電子化とインターネット技術によって、今や「空間」の問題は克服されつつある。しかし、「時間」がなくなる体験をすることは少ない。

 それを可能にしてくれるのが文書や映像の電子化なのだ。たぶん読者の中には、図書館や博物館のサイトを愛用している人もおられるだろう。その場合、古い文書や遺跡からの出土品の映像なども、手元で見ることができるに違いない。恥ずかしながら、私はそういう経験を今日までしたことがなかった。が、9月16日号の『New Scientist』誌をパラパラと見ていたら、「オンラインの伝説」(Legends online)という題の小さな記事の横に、曇天下に凧を揚げている紳士の絵が並んでいて、「電気から電子へ」(from electric to electronic)というキャプションがついているのが目に留まった。この絵は、ベンジャミン・フランクリン氏(Benjamin Franklin)が雷は電気であることを証明した、あの有名な実験を描いたものだとすぐ分かった。
 
 この絵そのものが、ニューヨーク市立博物館所蔵と書いてあったから、恐らく電子化されたものを同誌の版元がイギリスへ送信してもらったものだ。そのこと自体は驚くことはないが、私が興味をもったのは、記事の内容だった。それによると、ロンドンにある英国王立協会(the Royal Society)は所蔵文書の電子化に取り組んできたが、このほどその一部を期間限定でインターネット上に無料公開したという。その中には、“世界最初の科学雑誌”ともいえる『Philosophical Transactions』(哲学的往来、1665年創刊)誌も含まれていて、同協会のサイトへ訪れるとフランクリンの凧の実験(1752年)を初め、エドムンド・ハレー(Edmund Halley)のハレー彗星の発見(1705年)、ニュートンの反射望遠鏡の発明、スティーブン・ホーキング博士(Stephen Hawking)の最初の論文、DNAの構造を解明したワトソン(James Watson)とクリック(Francis Crick)の1954年の論文などが読める、と書いてあった。

「へぇー」と思った私は、さっそく同サイトへ行ってフランクリンの論文を探したが、見つけたのは当該論文ではなく、同協会に提出されたその論文をめぐるコメントや、フランクリンによる実験の補足説明などを含む4つの文書だった。当時の雑誌のページをスキャナーで読み込んだものを「PDF」の方式でファイル化してある。古いもので「1751年6月」という日付があったから、それを読むと、今から255年前にイギリスの科学者が電気についてどういう考えをもっていたかが伺い知れて、面白い。フランクリンは当時、電気が生体にどのような影響を与えるかを実験していて、ハトやニワトリに電気ショックを与えるとどうなり、同じ電気を七面鳥に与えた場合はどうなり、肉を食べると柔らかくておいしいとか、人間はどの程度の電気ショックに耐えられるかなどの推測をしている。

 こういう実験の過程で、フランクリン自身が誤って電気ショックを受けた話も出てくる。それによると、彼の手から伝わった電気は、直ちに頭から足の先まで全身をかけめぐり、その後数秒間、胴体全体が激しく震え続けたという。彼の意識が正常にもどり、何があったかに思い当たるまでには数分間(some minutes)かかった。感電時には閃光など見えず、音も聞こえず、感電した手にも痛みは感じなかったという。しかし、実験に立ち会った人は、その時大きな音がしたといい、フランクリンの電気を受けた手は事後に腫れあがったという。また、彼の両腕と背中は数時間しびれた状態になり、胸は打撲傷を受けたように1週間後も痛んでいたらしい。
 
 1752年10月1日付のフランクリンの手紙には、実験に使った凧を、どうやって作るかも書いてある。それによると、スギ材で十字形を組み、その上に絹のハンカチを張って凧を作るそうだ。これに尻尾と紐と糸をつける。凧の十字形の縦骨には先の尖った針金をつけ、凧の先から30センチほど上方に出るように固定する。手元側の凧糸には絹のリボンを結び、糸と絹の接点に鍵を結びつける。この手紙には、この凧をどう揚げて、電気をどう取り出すかも書いてあるが、それをここに書くと実験したくなる人が出てくると困る。私は、そういう人の生命を危険に晒したくないので、雷雲が出ている時は、凧揚げは絶対にしないようにお願いして、本稿を終ることにする。
 
谷口 雅宣
 
 

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