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2006年9月18日

ローマ法王の失言 (2)

 前回(9月16日)の本欄で書いたローマ法王、ベネディクト16世の問題発言について、法王自身が“遺憾の意”を表明したことは幸いだった。ヴァチカンは14日に「法王は宗教的な動機による暴力を明確に、完全に否定することが最も大切だと考えている。ジハードやイスラム教の教義に関する踏み込んだ議論を意図した発言ではない」(16日『朝日』夕刊)という声明を発表したそうだが、これでは不十分だった。18日付の『朝日』の報道によると、法王は日曜日の17日、ローマ郊外の夏季離宮で恒例の「正午の祈り」を行った際、ドイツ訪問中の発言について、「一部の国々であった反応を非常に残念に思う」と述べ、預言者モハンマドに対するビザンチン皇帝の言葉を引用したのは、「古い文献からの引用であり、決して私の個人的な考えを表現したものではない」と釈明したという。同紙は、法王本人による後日の釈明は「極めて異例」としている。
 
 18日付の『ヘラルド・トリビューン』は、法王の弁明の言葉から3箇所を括弧でくくって次のように書いている。
 
「私がレーゲンスブルク大学で行った講義の一部について、いくつかの国で起こった反応に対して非常に申し訳なく思う。それはイスラーム信者の感情を傷つけると見なされたからだ」「これらは実際は中世の文献からの引用であり、いかなる意味でも私の個人的考えを表明したものではない」「これによって人々の心が和らぎ、私の発言の本当の意味が明らかになることを希望する。それは、全体を捉えれば、相互の尊敬を通して率直で真剣な対話を呼びかけるものである」

 さて前回、私はこのような不注意な発言がどうして起こったか分からないと書いたが、パリ発の『産経』の記事(18日付)に1つの答えらしいものがあった。それによると、「法王は1人で演説原稿を起草し、他の枢機卿などが目を通すこともないという」のだ。この情報の出所は明示されていないが、法王の立場と仕事量を考えると、私にはにわかに信じられないことである。が、世界宗教のトップの指導者で、信者から“神”のように慕われている人が、自分の発言に対して「非常に申し訳ない(I am deeply sorry)」と述べることは、とても勇気がいることであり、称賛に値すると思う。だから、イスラーム圏の人々も怒りを静めて、キリスト教との「率直で真剣な対話」を進めてもらいたい。

 ところで、本件に関する17日付の解説文が「カトリック中央協議会」のウェッブサイトに掲げられているが、それは新聞記事とは多少違うニュアンスをもっている。翻訳調の日本語が気になるが、「信者向け」の解説文なのかもしれない。以下にその一部を引用しよう:

「教皇は、自分の講演の中のある表現が、イスラーム教徒の感情を害する意味でとられる可能性があったこと、また、それが自分の意図とまったく違ったしかたで解釈される恐れがあったことについて、心から遺憾に思っています。実に、教皇は、イスラームの人びとの熱心な宗教性を前にして、『神をないがしろにする態度、また、聖なるものを馬鹿にすることを自由の行使とみなすような冷酷な思想』をもつことを避けるよう、世俗化した西洋世界に警告したのです」

「聖なるものを馬鹿にすることを自由の行使とみなす」という件を読むと、かつて大問題を起こしたモハンマドの風刺画事件のことを思い出す。そういう西側メディアの風潮については、カトリック教会もイスラーム世界も同じ考えであるということだろうか。

谷口 雅宣

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