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2006年8月 8日

“地球英語”は成立するか?

 先日、昼食のために渋谷駅近くのソバ屋に妻と入ったら、ワイシャツ姿の4人のビジネスマンの席と隣り合わせになった。すると、彼らの会話が英語であることに気がついた。だが、どうもネイティブの英語ではなく、タイかシンガポールあたりの男性に対して、日本人が英語で応対しているように聞こえる。私はタイ人の英語だと思ったが、妻は中国人の英語ではないかと言う。他人の会話に割り込むわけにいかないので、もちろん真相は不明である。やがてその店に、見るからに西洋人の顔と格好をした男性が1人入ってきて、4人のビジネスマンの席から1つ置いたテーブルに席をとった。そして、彼も先客の英語に興味をもったらしく、チラチラとそちらの方を見た。私は私で、「昼に西洋人が1人でソバを食べる時代になったのか……」などと、現代の国際化の現場を別の角度から見た気になったものだ。

 互いに言葉が理解できなくても、英語を媒介にすると意思疎通がはかれるという状態は、長い間続いている。それは、英語が歴史的に主として貿易関係の国際語として使われてきたからだ。かつて日本が冷害に遭い、深刻なコメ不足に陥ったことがあるが、物好きな私はタイ産の香り米などを輸入した。この際、タイ人の貿易商とも英語のやりとりで事足りた。今日ではそれに加え、インターネットの爆発的普及で、英語の世界的普及に拍車がかかっている。学問の世界でも、英語の雑誌に科学論文を提出して認められることが、どこの国の科学者にとっても1つの成功の目安である。本欄にも書いたが、昨年3月下旬に東京で行われた国際宗教学宗教史会議世界大会でも多くの発表が英語でなされたから、人文系の学問においても同じ傾向は認められるのだろう。

 しかし、英語はむずかしい。そこそこのことを表現するのに大きな不都合がなくても、複雑な概念や考え方を正確に、簡潔に表現するには、非英語圏の人間の手に余ることが多い。英語は、国際語として確立する過程で、世界の多くの言語を吸収してきた経緯があるから、ギリシャ語、ラテン語、スペイン語、フランス語、ドイツ語などから作られた語彙もあるし、最近では日本語から sushi、 tofu、 manga、 sudoku なども採用されている。この高度な言語を世界中が使うという矛盾を解消するため、「英語を簡略化したものを国際語として新たに作る」という構想がもち上がっているらしい。それを「地球的に使われる英語」(global English)という意味で、“地球英語”(Globalish)と呼ぶ人もいる。8月7日付の『ヘラルド・トリビューン』紙が伝えている。

 それによると、現在の英語人口は5億人とも10億人とも考えられる。この数字は、イギリス政府の英語政策を担当するブリティッシュ・カウンシルに出した報告書の中で、言語学者のデビッド・グラッドール氏(David Graddol)が使っているもので、世界で英語を第1言語、または第2言語として使っている人の合計数である。しかし、グラッドール氏が「世界英語計画」(World English Project)と呼ぶものによると、今世界では英語の早期教育の流れができていて、それがこのまま10年も続くと、新たに20億人が英語を話すようになるらしい。しかし、ここで生じる新たな問題がある。それは、非英語圏の人々が使う英語によって、オリジナルの英語が圧倒されてしまう可能性だ。簡単に言えば、“正統な英語”が歪められるということだろう。
 
 そこで提案されているのが“地球英語”の制定である。提案者は、IBMの副会長だったフランス人のジャン=ポール・ヌリエール氏(Jean-Paul Nerriere)で、英語から簡単なもの千五百語を選んで語彙を限定し、それらの組み合わせによって表現する方法だという。例えば、nephew (甥)の代わりに son of my brother/sister (私の兄弟/姉妹の息子)と言い、kitchen (台所)は room in which you cook food (食事を用意する部屋)という表現で足りると考えるのだそうだ。

 わが国でも「正しい日本語表現」が議論されることがあるが、ここに出てくるような「簡易日本語」という考え方は聞いたことがない。NHKの衛星放送などで時々、外国語のニュースを日本語に訳して読んでいる人が、妙な日本語を使うことがある。それを簡易日本語として容認しようと言えば、恐らく多くの日本人は反対するだろう。しかし、英語の普及率は日本語の比ではない。“地球英語”の考え方は、そういう特殊事情から生まれているようだ。世界が狭くなりつつある証拠だ。

谷口 雅宣

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