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2006年8月22日

生物多様性の価値とは?

 前回は、遺伝子組み換え種の芝がアメリカで“野生化”する兆しを見せていることを書いたが、「除草剤耐性」という遺伝子は自然界で有利に働くことはないから“野生化”は起こらない、とする楽観論もある。これについては、私は『今こそ自然から学ぼう』の中で反論しているので参考にしてほしい。自然界はきわめて複雑にできているから、アメリカでこのGM芝の商業栽培が行われるとどうなるかは、実際のところ「やってみなければ分からない」という面が確かにある。しかし、「やってみたら悪い予想通りになった」というのでは、いかにも愚かな話だ。だからこんな場合は、「人間の欲望に従う」のではなく「自然の知恵に従う」方を選ぶのが賢明な判断だと思う。つまり、生物多様性をできるだけ損なわない選択をすべきなのである。
 
 この「生物多様性」の価値については、すぐには理解できない面がある。それは「多様」というだけでは「善い」ものも「悪い」ものも両方あるという意味に捉えられがちだからだ。「善悪ともにそろっている」ことが「多様」の意味だと単純に考えると、「悪を除いて善のみにした方がいい」という結論に陥りやすく、「多様は善に劣る」というニュアンスが生まれてしまう。昆虫を例にとれば、美しいチョウ、よい鳴き声のスズムシ、子供が大好きなカブトムシ……というように、人間が好きなものだけがいるのは「自然」ではない。そうではなく、ゴキブリも毒虫もムカデもスズメバチも含んでいるのが自然界だ。人間は自分勝手の視点から“益虫”(善い虫)と“害虫”(悪い虫)を区別しているが、自然界には本来そんなものはなく、すべての昆虫が複雑な関係の中でそれぞれの場と役割をもって共存している。この状態が「多様性」である。

 この多様な状態の方が“益虫”だけがいる状態よりも優れている理由は、人間の善悪の判断は、その人の立場や状況や時代によってたやすく変わるものだからだ。チョウは好きだが、ガは気味が悪いと感じる人は多いだろうが、だからと言ってガをすべて絶滅させれば、夜間に受粉する植物の多くも絶滅に向うだろう。そういう意味で、私は感覚的にゴキブリは確かに嫌いだが、家中のゴキブリを絶滅させるべきだとは思わない。自然界の複雑多様なシステムの中では、彼らも何か重要な役割を担っているのだと想像する。しかし、その一方で、ゴキブリホイホイを家の隅々に置く妻の行動を、何ら問題にしたことはない。

 さて、話が少し脱線したが、多様な種があることで結局、人間にも恩恵が回ってくる例を挙げよう。これも、前回引用した『New Scientist』誌の8月12日号に掲載されていた例である。イネなどの穀物は、1つの株に、できるだけ多くの実をつける方が人間にとって「善い種」であると思われる。だから、好条件の気候時に最も多く実をつける種が、長年にわたり世界各地で開発されてきた。しかし私が最近、日本の各地でイネを見て気がついたのは、茎が短い種が増えてきたということである。その理由をどこかで聞いたら、台風などの強い風が吹いても倒れない品種が好まれるようになってきた、という説明だった。こうして、「最高の気候条件で最多の実をつける」という考え方から、人間の価値観が多少変化してきていることが分かる。
 
 そしてご存じのように、最近は予期しない異常気象が続く。すると未来を見る研究者にとっては、旱魃や洪水にも強い品種や、塩分を含む土壌でも育つ品種を開発することが重要になる。人口爆発と農地の不足が、そういう悪条件下でも育つ品種を要求するのである。言い換えれば、同じイネでも、かつては「不要」だった性質が今日では「必要」に変化してきている。そこで彼らが考えたのが、かつて自然界に自生してしたイネの原種の中から、例えば水に浸かっても腐らない品種を探し出し、その遺伝子を現代の多収型の品種に導入する、という方法だった。

 上記の記事によると、フィリピンにある国際イネ研究所(International Rice Research Institute)のデビッド・マッキル氏(David Mackill)のグループは、同研究所に保存してあったイネの中から、「FR13A」という、もう相手にされなくなったインド原産の古い品種の「水の中でも生きる」性質の遺伝子を同定し、それを現在アメリカで広く栽培されている「M202」という品種に導入した。これによって生まれた新しいイネは、水に完全に浸かった状態でも最長で2週間もつようになったという。この遺伝子は、現在までに6種のイネに導入されているそうだ。
 
 こんなことが可能なのは、イネの中の「善い」品種だけが残っていたからではなく、「多様な」品種が今日まで保存されていたからである。かつては人間が「善い」と思わなかった性質が、今日では「善い」とされていることに気づいてほしい。人間の価値判断とは、そんなものである。だから、自然界の生物多様性は、人間の下す善悪の判断より重要だと言えるのである。

谷口 雅宣

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コメント

谷口 雅宣 先生:

先日、勉強会でマタイ伝20:1-16の葡萄園の主人が人を雇う話を勉強しました。そこでもやはり善と悪の問題が取り上げられており、先生の今回の話を読んで、人間の善悪の意識とは昔から自分の都合の良いように解釈されているのだなあと感じました。

ところで、私の家では蜘蛛がたくさんいて、子供が蜘蛛を見るたび、金切り声で叫び私を呼ぶので、ちょっとウンザリしていたのですが、先生のお宅にもゴキブリがいらっしゃるのを読んでなんだか安心したというか嬉しくなりました。

川上 真理雄 拝

投稿: Mario | 2006年8月23日 02:09

川上さん、

 コメントありがとう。

 家にはハエトリグモも出て来ますが、私は「蜘蛛は益虫だよ」と言って、ティッシュを握って跳んでくる妻を止めたことがあります。

>>先生のお宅にもゴキブリがいらっしゃるのを読んでなんだか安心したというか嬉しくなりました<<

 ふふふ……。川上さん、日本語忘れてはいけませんヨ。
それとも、ゴキブリを尊敬申し上げておられるのですか?
(笑)

投稿: 谷口 | 2006年8月23日 09:02

谷口 雅宣 先生:

> ふふふ……。川上さん、日本語忘れてはいけませんヨ。
>それとも、ゴキブリを尊敬申し上げておられるのですか?

このメッセージを読んだ人で大笑いをした人の顔が20人浮かびます。そのうち10人は「昔から川上はそうだった」と思っている人がいます。ゴキブリ様嫌いです。ハイ!

> 家にはハエトリグモも出て来ますが、私は「蜘蛛は益虫だ
>よ」と言って、ティッシュを握って跳んでくる妻を止めたこ
>とがあります。

わが家でも蜘蛛はどうしてもという時だけ、ティッシュを握って外に妻が放り出しますが、普通はそのままにしておきます。理由は先生のお宅とは雲泥の違いがありますが・・・(子供や妻に頼まれても私は虫は苦手ですので)。

川上 拝

投稿: Mario | 2006年8月24日 10:18

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