五輪の東京開催に反対する
今朝の新聞各紙は、2016年の夏季オリンピック開催を目指す日本が、開催地を東京都として立候補することが決まったと伝えた。対立候補の福岡市を33対22で破り、1964年以来2度目の開催を目指すことになるのだそうだ。しかし、いったい誰が「開催を目指す」のだろうか? 東京都民の誰が、五輪開催の意思の有無を問われたのだろうか? 東京生まれで東京育ちの私にして、そんな話を誰からも聞いたことがない。記事を読むと、これを決めたのは日本オリンピック委員会(JOC)選定委員会の委員55人だと書いてある。また、『朝日新聞』には、これを伝える記事のすぐ脇に「都知事選 石原氏出馬明言」という見出しが並び、石原慎太郎氏(73)が同日に来春の都知事選に3選を目指して立候補する考えを明らかにしたと書いてあるから結局、石原都知事が「東京開催を目指す」ということか。
上記の記事によると、選定委員会では「25人のJOC理事と、夏季五輪で実施される29競技団体の代表者、日本障害者スポーツ協会の代表者の計55人が票を投じた」とある。ということは、諸施設の整備のために税金を大量に拠出する東京都民の代表者は、誰も票を投じていない。いったい何故だろう? 東京都知事が都民の意思を代表していると考えてのことならば、東京五輪に反対の私は、石原氏3選に反対しなければならない。
4月27日の本欄でも書いたが、私が東京五輪に反対の理由は、この人口超過密の世界最大のヒートアイランドに、さらに建設資材と機材とエネルギーを投入して温暖化を促進し、そこへエアコン装備の巨大施設を造り、世界中から大勢の人を招び寄せて、さらに大量のCO2を排出することを、京都議定書を生んだ国の政治・経済政策にしてはならないと思うからである。私は、東京五輪が実現することになれば、日本が京都議定書の国際公約を反故にすることは確実化すると思う。『「ノー」と言える日本』の著者は結局、“ウソの言える日本”を造ることになるだけだ。
都の五輪開催計画は“世界一コンパクト”などというキャッチフレーズを付けているが、その意味は「28競技36会場のうち29会場を半径10キロ圏内に納める」ということだから、その圏内の混雑は相当のものとなる。また、圏内だけを集中的に開発することで、東京の「一極集中」をさらに加速させることになる。また、この“コンパクト”圏の中心は「臨海副都心」として開発途上の広大な埋立地であることに注意しよう。『朝日』は、31日の都内版の記事で都が五輪開催を「臨海部再開発の起爆剤にする考えだ」と書いているし、同日の『日経』によると、石原知事自身がここのことを「負の遺産としてユーティリティー(有用性)をもつ」と発言したそうだ。つまり、臨海部は五輪を招致しなければもはや「有用性のない場所」となったとし、そこを無理に開発した自分の失敗を一気に帳消しにしようというのだろうか? とにかく、2度目の「東京五輪」は問題が多すぎる。
都の開催概要計画書によると、五輪の中心となるメーンスタジアムは10万人を収容する全天候型巨大施設で、1107億円をかけて2015年に完成させる。これと併行して、スポーツビジネス、文化・商業施設をスタジアムと周辺に誘致して「スタジアム門前町」などと呼ぶつもりらしい。作家の知事としては、政治に忙しすぎて日本語の使い方を忘れてしまったのか。それとも知事は、21世紀の日本では、巨大スポーツ施設を信仰の対象にすべきと考えているのだろうか。「日本を愛する」と言うにしては、日本の歴史を無視したネーミングである。とにかく、「巨大な箱物施設を集中して建設することで経済発展をめざし、都を活性化させる」という前世紀的発想が、2016年の東京五輪である。
東京の大きな問題の1つは、ヒートアイランドに加えて、やはり交通渋滞だろう。これについては、環状高速道の開通を急いで、都心に入る自動車の数を減らす考えのようだ。『日経』にそう書いてあるから、本当にそのつもりなのだろう。しかし、このことと五輪開催とどう関係しているのかよく分からない。都心で“コンパクト五輪”を開くからには、都心に人が集まる以外に仕方がないし、経済活性化も人が集まることによって達成するはずだ。それならば自動車の数を都心から減らすのではなく、増やすのがいい。が、東京都心はすでに車で満杯である。ということは、自動車の都心乗り入れを規制して五輪開催に臨むつもりだろうか。では、交通規制をするために道路を建設するというのか? 分からないことがいっぱいである。
故郷・東京には、こんな“開発礼賛”の古い考え方から早く脱皮してもらいたい、と私は思う。世界の主要都市の人口当たり公園面積が『日経』に出ていたが、パリは11.8㎡、ロンドン26.9㎡、ニューヨーク29.3㎡に対して、東京はわずか6.3㎡である。温室効果ガスの排出と緑の減少を、これ以上進めないでほしいのである。
谷口 雅宣
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