« 2006年7月 | トップページ | 2006年9月 »

2006年8月31日

五輪の東京開催に反対する

 今朝の新聞各紙は、2016年の夏季オリンピック開催を目指す日本が、開催地を東京都として立候補することが決まったと伝えた。対立候補の福岡市を33対22で破り、1964年以来2度目の開催を目指すことになるのだそうだ。しかし、いったい誰が「開催を目指す」のだろうか? 東京都民の誰が、五輪開催の意思の有無を問われたのだろうか? 東京生まれで東京育ちの私にして、そんな話を誰からも聞いたことがない。記事を読むと、これを決めたのは日本オリンピック委員会(JOC)選定委員会の委員55人だと書いてある。また、『朝日新聞』には、これを伝える記事のすぐ脇に「都知事選 石原氏出馬明言」という見出しが並び、石原慎太郎氏(73)が同日に来春の都知事選に3選を目指して立候補する考えを明らかにしたと書いてあるから結局、石原都知事が「東京開催を目指す」ということか。
 
 上記の記事によると、選定委員会では「25人のJOC理事と、夏季五輪で実施される29競技団体の代表者、日本障害者スポーツ協会の代表者の計55人が票を投じた」とある。ということは、諸施設の整備のために税金を大量に拠出する東京都民の代表者は、誰も票を投じていない。いったい何故だろう? 東京都知事が都民の意思を代表していると考えてのことならば、東京五輪に反対の私は、石原氏3選に反対しなければならない。

 4月27日の本欄でも書いたが、私が東京五輪に反対の理由は、この人口超過密の世界最大のヒートアイランドに、さらに建設資材と機材とエネルギーを投入して温暖化を促進し、そこへエアコン装備の巨大施設を造り、世界中から大勢の人を招び寄せて、さらに大量のCO2を排出することを、京都議定書を生んだ国の政治・経済政策にしてはならないと思うからである。私は、東京五輪が実現することになれば、日本が京都議定書の国際公約を反故にすることは確実化すると思う。『「ノー」と言える日本』の著者は結局、“ウソの言える日本”を造ることになるだけだ。

 都の五輪開催計画は“世界一コンパクト”などというキャッチフレーズを付けているが、その意味は「28競技36会場のうち29会場を半径10キロ圏内に納める」ということだから、その圏内の混雑は相当のものとなる。また、圏内だけを集中的に開発することで、東京の「一極集中」をさらに加速させることになる。また、この“コンパクト”圏の中心は「臨海副都心」として開発途上の広大な埋立地であることに注意しよう。『朝日』は、31日の都内版の記事で都が五輪開催を「臨海部再開発の起爆剤にする考えだ」と書いているし、同日の『日経』によると、石原知事自身がここのことを「負の遺産としてユーティリティー(有用性)をもつ」と発言したそうだ。つまり、臨海部は五輪を招致しなければもはや「有用性のない場所」となったとし、そこを無理に開発した自分の失敗を一気に帳消しにしようというのだろうか? とにかく、2度目の「東京五輪」は問題が多すぎる。
 
 都の開催概要計画書によると、五輪の中心となるメーンスタジアムは10万人を収容する全天候型巨大施設で、1107億円をかけて2015年に完成させる。これと併行して、スポーツビジネス、文化・商業施設をスタジアムと周辺に誘致して「スタジアム門前町」などと呼ぶつもりらしい。作家の知事としては、政治に忙しすぎて日本語の使い方を忘れてしまったのか。それとも知事は、21世紀の日本では、巨大スポーツ施設を信仰の対象にすべきと考えているのだろうか。「日本を愛する」と言うにしては、日本の歴史を無視したネーミングである。とにかく、「巨大な箱物施設を集中して建設することで経済発展をめざし、都を活性化させる」という前世紀的発想が、2016年の東京五輪である。
 
 東京の大きな問題の1つは、ヒートアイランドに加えて、やはり交通渋滞だろう。これについては、環状高速道の開通を急いで、都心に入る自動車の数を減らす考えのようだ。『日経』にそう書いてあるから、本当にそのつもりなのだろう。しかし、このことと五輪開催とどう関係しているのかよく分からない。都心で“コンパクト五輪”を開くからには、都心に人が集まる以外に仕方がないし、経済活性化も人が集まることによって達成するはずだ。それならば自動車の数を都心から減らすのではなく、増やすのがいい。が、東京都心はすでに車で満杯である。ということは、自動車の都心乗り入れを規制して五輪開催に臨むつもりだろうか。では、交通規制をするために道路を建設するというのか? 分からないことがいっぱいである。

 故郷・東京には、こんな“開発礼賛”の古い考え方から早く脱皮してもらいたい、と私は思う。世界の主要都市の人口当たり公園面積が『日経』に出ていたが、パリは11.8㎡、ロンドン26.9㎡、ニューヨーク29.3㎡に対して、東京はわずか6.3㎡である。温室効果ガスの排出と緑の減少を、これ以上進めないでほしいのである。

谷口 雅宣

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2006年8月29日

自然界の循環と温暖化

 今朝のNHKのニュースを見ていたら、深海にある液状の二酸化炭素(CO2)を日本で初めて採取に成功したとして、機械仕掛けの“スコップ”のようなもので海底から粘液状のものをすくう様子が映し出された。私は「ヘェー」と思いながら感心して見ていた。何に感心したかというと、まず、水深1400メートルまで潜って何かをするという技術に。それから、CO2が深海では液体になるという事実に。さらには、CO2が海底に固定されるという自然界のメカニズムにである。この後、新聞記事で改めてこのニュースを読んで、さらに感心したことがあるが、それを書く前に、まず事実関係をしっかり押さえておこう。
 
 これは、海洋研究開発機構などの研究チームが、有人潜水調査船「しんかい6500」を使って沖縄県与那国島沖の水深1380メートルの海底で、液体CO2がプール状に閉じ込められている場所を発見し、そこの堆積物を採取して遺伝子解析したところ、液化CO2、微量の液化メタン、硫黄化合物などが含まれ、それらを栄養素として活動する微生物18種が生息していることを確認した、という話だ。(8月29日付『日経』『朝日』)
 
 7月2日の本欄で、海底に“人工山脈”を造ることで生物を利用したCO2の海底固定ができるという話を書いたが、上記のニュースで、自然界にはもともとそういう機能があることを知った。ただし、今回の液化CO2の由来は「地下のマグマに含まれるCO2とメタンが熱水とともにわきだし、冷やされて液化したらしい」と専門家は言っている。が、そういう中にメタンやCO2を分解する微生物が生息しているのだから、“彼ら”微生物も、地球温暖化防止に一役も二役もかっていることになる。昨年5月15日の本欄に「二酸化炭素の地下固定」を天然ガス田などで行っている話を書いたが、こちらは気体での固定だろうから、地殻変動などの影響で再び噴き出してくる可能性があるのに対し、生物が体内に取り込む固定は文字通り「固体」にするのだから半永久的で、きわめて安定している。今回の発見で、液体でのCO2固定の選択肢もできたことになるだろう。
 
 ところで、世界中の海の底には液化CO2もさることながら、CO2の20倍もの温室効果をもつメタンが液化メタンとして横たわっていることをご存じだろうか。メタンは、地中のマグマからも出るが、生物の排泄物や生物の死骸からも出る。化学式は「CH4」だから炭素(C)を含む。その量たるや、炭素量に換算して、世界中の石炭の量に匹敵するとの推定もある。気象学者が地球上に残る過去の記録を調べると、急速な温暖化と大気中のメタン濃度の急上昇とが併行していて、そのメタンがどこから来たかが問題になっていた。有力な説明は、海底に眠る液化メタンが水温の上昇によって気化し、大気中に放出されたというものだ。このことから、メタンと同じ炭素を含むCO2を液化して海底に埋めることにより、温暖化問題を解決する方法が提案されている。

 8月8日付の『NewScientist』のニュースによると、ハーバード大学の地球科学者、カート・ハウス博士(Kurt House)は、その方法を使えば、わずか80平方キロメートルの海底にアメリカ合衆国で排出される全CO2の何千年分もが収納できると考えている。ただし、問題がいくつかある。その1つは、海底にある液化メタンや液化CO2などの液化ガスは、低い海水温と水圧によって液化しているのだが、海底の水温が5℃くらい上昇すると、本来の気体にもどって大気中に放出されることが危惧されているのだ。が、ハウス博士は「それは起こりにくい」と考えている。
 
 さて、最初に書いた私の「感心」にもどろう。世の中の常識的考え方では、自然界のことを「弱肉強食の残酷な世界」と捉えることが多い。しかし、ここに書いた、大気中から深海にいたるまでの「炭素の循環」(生物の物質的主成分は炭素)を考えると、自然界の生物はそれぞれの置かれた物理化学的条件下で、炭素を与え合いながら、地球を棲みよいように、棲みよいように--言い換えれば、温暖化しないように、温暖化しないように--と生きてきたと見ることができる。多分、彼らは個々に意識的にそうして生きているのではない。しかし、生物界全体を見渡すと、「他を生かす」あるいは「生かし合う」という方向に動いていることは確かだ。私はそう感じて、感心したのである。

谷口 雅宣
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年8月28日

GM作物とセイタカアワダチソウ

 北海道滝川市と空港のある千歳との往復を自動車で走ったが、広い直線道路の両脇の土手や、その先に広がる広大な農地の端、そして山林脇のあちこちに黄色い花が帯状をなして咲き誇っていた。セイタカアワダチソウである。この植物は、本州では秋の花ということになっているが、北海道では早く開花するようだ。北アメリカ原産のキク科の多年生草本の帰化植物で、日本各地には第二次大戦後、急速に広がった。その理由の1つは、地下部から他の植物の成長を抑える物質を分泌するからだ。その一方、ミツバチなどの昆虫が集まる蜜源植物でもあり、新芽は天婦羅にして食べられるという。私は、この植物の旺盛な繁殖力を見ていると、どうしても生物多様性の問題を考えてしまう。

 8月21日の本欄で、アメリカで除草剤耐性をもった遺伝子組み換え芝が、栽培認可の下りる前にオレゴンの片田舎で発見されて、当局をあわてさせている話を書いた。また翌22日には、イネの品種に対する人間の価値観が変遷することを書き、特定の品種の善し悪しよりも、品種が多様であることが重要だと述べた。遺伝子組み換え(GM)作物のもつ問題の1つは、この自然界の「生物多様性」を犠牲にする可能性があることで、もう1つは、組み換え遺伝子が近種との交雑によって自然界に広がっていくことである。このことが自然界のバランスを乱し、予測できない悪影響をもたらす可能性が指摘されている。

 アメリカはしかし、基本的に科学技術は自然界を征服し、調教するために利用すべきだと考える人が多いようだ。だから、GM作物はほとんど問題にされず、大々的に栽培されている。28日付の『産経新聞』には、国際アグリバイオ事業団(ISAAA)の調べた2005年のGM作物に関するデータが掲載されているが、それによると、GM作物は世界の21ヵ国で栽培され、栽培総面積は9000万haで、前年より11%増えたという。このうち4980万ha(55.3%)がアメリカ、1710万ha(19%)がアルゼンチン、940万ha(10.4%)がブラジル、580万ha(6.4%)がカナダ、330万ha(3.7%)が中国だ。このほかパラグアイ、インド、南アフリカ、ウルグアイ、オーストラリアの順で多い。作物別では、5440万ha(60.4%)はダイズ、2120万ha(23.6%)はトウモロコシ、980万ha(10.9%)はワタ、460万ha(5.1%)がナタネだという。

 同じ記事には、アメリカで未承認のGMコメが流通予定の長粒米に混入していたため、輸入国のEUが、アメリカ産のコメに対してGM種の混入がないとの証明を課すことを決めたとの話が書いてある。このコメは、ドイツのバイエルクロップサイエンス社の除草剤に対する耐性を組み込んだ「LLライス601」という長粒種で、1999~2001年にアメリカで試験栽培されたが、商品化の予定がなく承認申請されていなかったという。それなのにアーカンソー州とミズリー州で流通予定のコメの中に微量が混入していたらしい。そこでEUは8月25日、アメリカ産長粒種を輸入する際には「601」の混入がないという証明書を課すことに決めたという。ドイツがこの件でどういう態度なのか気になるが、上記のデータなどを見るとヨーロッパは概してGM作物に否定的なのに対し、北アメリカ、中南米、英連邦諸国が肯定的であることが興味深い。

 ところで読者は、除草剤耐性GM作物とセイタカアワダチソウとの共通点に気づかれただろうか? それは、前者を除草剤と併用することにより、他の植物を駆逐して自分だけが伸びる--つまり、セイタカアワダチソウと同じ効果を発揮することだ。それではいっそのこと、セイタカアワダチソウの遺伝子を組み込んだGM作物を作ってしまうのはどうだろうか。除草剤購入のコストと散布の手間が大いに省けるから、農家の人々から喜ばれるのではないだろうか。しかし恐らく、そういう遺伝子組み換えは行われない。理由は簡単だ。除草剤が売れなくなってしまうからだ。こういうところが、遺伝子組み換え技術の最もウサン臭い点である。

谷口 雅宣

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2006年8月27日

滝川市の発電パネル

 生長の家の講習会で北海道の滝川市へ行ったが、8月26日の『北海道新聞』の夕刊に「週刊フムフム」という子供向けのカラー別刷り紙面がついていて、そこで風力発電を特集していた。子供向けの記事とはいえ、私の知らないことがいろいろ書いてあり勉強になった。例えば、足利工業大学の牛山泉副学長の文章によると、現在世界中で回っている風力発電の合計出力は6000万kwhで、原子力発電所の60基分に相当するという。そのうち導入が進んでいる国はドイツ、スペイン、アメリカ、デンマークの順で、日本は9位なのだそうだ。それでも日本全国の風力発電の出力は110万kwhだから、原発1基分になるらしい。日本の大型風車は計1千基を超え、そのうち北海道は22.4%を擁し、都道府県別では全国一になるという。ちなみに、2位以降は青森県(16.6%)、秋田県(9.0%)、鹿児島県(7.9%)、岩手県(6.3%)の順だ。

 北海道の風力発電施設は、北は稚内から南は松前町まで続く日本海側の海岸線を主体に設置されている。中でも大規模なのは稚内市の宗谷岬ウインドファームで、1千kw級の風車を57基も並べ、同市の全消費電力の約7割を供給しているという。ユニークなのは、同じく宗谷管内浜頓別町にある「はまかぜ」という愛称の風車(990kwh)で、これは市民が出資した国内初の市民風車だという。総事業費2億円の約8割の市民が拠出し、NPO法人が設立した株式会社が運営する。大型風車のメカのことも知らないことが多かった。最近の風車は、ブレード(回転翼)とは別に小さい風向・風速計が載っていて、そこからの情報に基づいて自動的に風車全体の向きやブレードの傾きを制御するらしい。そして、台風が来たときなどは、ブレードの傾きを風の流れに平行にすることで、回転を止めるという。私は、台風時には、風車のブレードがぶんぶん回ってどうなってしまうのか不思議に思っていた。
 
 ところで滝川市では、夕食前のひと時を妻と2人で散歩することにした。宿舎から滝川駅まで徒歩10分ぐらいの距離を歩いたが、土曜日の夕方にしては人通りが少ない。店は閉まっているものが多く、開いていても客は少ない。地方都市へ行くとよく見かける現象だ。人口減少に加えて、郊外型の大型店に客を奪われて町の中心部がさびれているのだ。そんな中で、駅近くに太陽光発電パネルをズラリと並べた近代的な施設が見えた。「町が衰退している中で、なかなか前向きの姿勢の企業があるなぁ~」と思いながら、そちらの方へ歩を進めて行った。写真を2~3枚撮ってから、太陽光パネルの反対側を見たら「生長の家」と書いた表札がある。「エッ?」と思って上方を見ると、背の高いポールの上の大看板に「生長の家空知教化部」と書いてある。「ああ、ここはわれらの運動の拠点だったのだ!」と心が熱くなった。

Snisorachi  生長の家の空知教化部は昨年、環境マネージメント・システムの国際規格である ISO-14001 を取得したと同時に、建物の屋上ではなく、駐車場に10kwhの太陽光発電パネルを設置した。この設置場所もよく研究されていて、この時すでに西日が傾いていたが、太陽光は横長のパネルの全面に当っていて、陰の部分はどこにもなかった。空知管内では初めての大型パネル設置ということで、地元メディアからも注目されたそうだ。同教区の幹部の方々は、今回の講習会に際しても大いに推進活動を展開され、前回を上回る受講者数で会場を満たしてくださった。感謝、合掌である。
 
谷口 雅宣

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年8月25日

子殺しは避妊手術と同等?

 作家の坂東眞砂子さんが「飼い猫に避妊手術をするのと、生まれてきた子猫を殺すのは同等」という趣旨のエッセーを『日本経済新聞』に書いたことから、それへの抗議や反論が同紙に殺到している、と『産経新聞』が25日付の紙面で報道した。不祥事でもないのに他紙の内部の問題を掘り起こして記事にするのは異例だが、作家個人の考えを新聞社が名指しで批判するのも異例だ。私は「子猫殺し」が正しいとは思わないが、「言論の自由」を存在基盤とするジャーナリズムが、他紙誌に掲載された人の意見を批判し合うこと、さらには他紙誌の編集方針を批判し合うことが、社会の建設的な力になるかどうか……と考え込んでいる。結論はまだ出ていない。
 
 問題のエッセーは、坂東眞砂子さんが8月18日の『日経』夕刊に「子猫殺し」という題で書いたもので、1400字弱の5段組の記事。坂東さんが言わんとすることを本当に知るためには、全文を読んでいただくのが一番だが、サワリの部分だけ引用すると--
 
「子猫が野良猫となると、人間の生活環境を害する。だから社会的責任として、育てられない子猫は、最初から産まないように手術する。私は、これに異を唱えるものではない。
 ただ、この問題に関しては、生まれてすぐの子猫を殺しても同じことだ。子種を殺すか、できた子を殺すかの差だ。避妊手術のほうが、殺しという厭(いや)なことに手を染めずにすむ。
 そして、この差の間には、親猫にとっての『生』の経験の有無、子猫にとっては、殺されるという悲劇が横たわっている。どっちがいいとか悪いとか、いえるものではない。」

 こういう理由から、坂東さんは3匹いる雌猫が子を産むと「家の隣の崖の下がちょうど空地になっているので、生れ落ちるや、そこに放り投げるのである」と書いている。猫は1回に3~5匹の子を産むから、3匹の猫が子を産めば、1シーズンに最大で15匹の子猫を殺すことになる。坂東さんは仏領タヒチ島に住んで8年になるそうだが、『産経』は「日本の動物愛護管理法は、猫などをみだりに殺した場合『1年以下の懲役または100万円以下の罰金』を科すと規定しており、フランスの刑法でも違法だ」と指摘する。坂東さんもそれを承知で、エッセーの冒頭に「動物愛護管理法に反するといわれるかもしれない」と書いている。
 
 私が思うに、坂東さんが自分の飼い猫に避妊手術をしないと決めた理由は、次の文章の中にある--「獣の雌にとっての『生』とは、盛りのついた時にセックスして、子供を産むことではないか。その本質的な生を、人間の都合で奪いとっていいものだろうか」。それはいけないと考えたから、坂東さんは「産まれた子を殺す」方を選んだ。「私は自分の育ててきた猫の『生』の充実を選び、社会に対する責任として子殺しを選択した」というのである。彼女はその選択を「正しい」とは言っておらず、避妊手術と同等に正しくないと言っているのだ。この論の立て方が多くの人の納得を得ることができなかったようだ。
 
 単純に考えれば、避妊手術は猫を1匹も殺さないから、毎年10数匹の子猫を殺すよりよほど罪が少ない、という結論になるだろう。これに対し坂東さんは、1匹の猫が子をもたずに肉体的に長生きをするよりも、セックスし、妊娠し、子を産むという過程を経験することの方が「生の充実」を味わうことになる。だから、子猫には犠牲になってもらおう、と決めたのだろう。私は猫を飼っていないのでよく分からないところがあるが、この選択肢の作り方には何か不自然な偏りがあると思う。もし猫が人間のように「生の充実」を味わうことに人生ならぬ“猫生”の価値を置いているならば(これには疑問の余地がある)、「子育て」も生の充実に多大な貢献をするはずである。その機会を奪う「子殺し」が猫の生の充実だという論法は、いかにも無理がある。また、「セックス」が生の充実であっても、避妊手術をした猫はセックスをしないのだろうか。私はこの点をよく知らない。もし人間と同様ならば、避妊手術はセックスをしない原因ではない。すると、坂東さんの言う「生の充実」とは「妊娠」「出産」の2項目だけに限定されてしまう。そのために子をすべて殺さなければならないという論理は、いかにも飛躍している。
 
 ところで、わが家の野良猫のことだが、私は彼らの「生の充実」などに悩んだことはないし、彼らの子を殺そうと思ったこともない。もし彼らを自分の所に「取っておこう」と思ったならば、多分、情が移って坂東さんのように悩むことになるだろう。子猫は実に可愛らしい。しかし彼らは皆、親猫になる。そして、飼い主を悩ませるのである。人間が動物を「飼う」という行為の背後に、問題の本質が隠されているような気がする。

谷口 雅宣

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年8月24日

受精卵を壊さないES細胞の道 (2)

 24日の新聞各紙は「受精卵壊さずES細胞」という見出しで、人間の初期胚の一細胞からES細胞を育てる技術を、アメリカのバイオ企業が開発したことを伝えている。前回の本欄の最後で、「科学技術の研究からは、本当に何が飛び出すか分からない」と書いたばかりなのに、またまた新しい展開である。この研究は、昨年10月17日の本欄で「受精卵を壊さないES細胞の道」と題して書いたマウスの実験を、人間で成功させたものだ。マウスで開発した技術を、10ヵ月後に人間で成功させたことは特筆に値する。
 
 この技術を開発したのは、アドバンスド・セル・テクノロジー社の研究者たちで、人間の受精卵を数回分裂させ、ちょうど8個の細胞塊になった時点で1個を分離して採取、これを既存の人間のES細胞やマウスの繊維芽細胞などと一緒に培養することで、ES細胞株を作り出した。使用した受精卵は、不妊治療のために凍結保存されていたものという。この凍結受精卵16個を使い、そこから合計91個の細胞を取り出して培養処理したのちに、2つのES細胞株を樹立したという。

『ヘラルド・トリビューン』(25日付)紙は、第1面で大きな図解と写真入りでこれを“大成果”(breakthrough)として報じているところが、『朝日』や『産経』(いずれも中面3段見出し)と少し違う。“大成果”という言葉を使ったのは、受精卵を壊さないでES細胞が樹立できれば、「他人のために人の命を犠牲にする」というこの技術が抱えていた基本的倫理問題が解消するか、少なくとも相当緩和すると考えたからだろう。これによって、ブッシュ大統領が拒否したこの分野への連邦政府の資金援助が、実現する可能性を見ているのかもしれない。その一方で、同紙の記事はホワイトハウスのエミリー・ローリモア報道官(Emily Lawrimore)が「人間の受精卵を研究目的に使うことは、どんな方法であっても深刻な倫理問題を生み出す。この技術もそういう心配を解消していない」と言ったと書いている。大統領の心中はなかなか穏やかでないのだろう。
 
 ところで、受精卵が8分割した状態の時に細胞1個を取り出す技術は、ダウン症の有無などを妊娠前に調べる着床前遺伝子診断(PGD, preimplantation genetic diagnosis)によってすでに確立している。ただし、まったくリスクがないわけではない。採取時の技術的リスクと、残りの7個の細胞が胎児に成長し、生まれて大人になっても、まったく異常がないとは断言できない。PGDは過去10年ほど前から使われているが、それを経て生まれた子供たちに今のところ異常は出ていないという。しかし、肉体の発病は中年以降が多いのである。

『朝日』の記事には、京都大学再生医科学研究所の中辻憲夫所長の談話が付いていて興味深い。曰く--「今回の成果はこうした宗教的問題を解消できる可能性があるが、逆に、受精卵に余計なリスクとストレスを負わせることになる。ES細胞株を子供の誕生時に作っておく、ビジネスにつなげたい考えもあるのではないか」。昨年10月の本欄でも触れたことだが、これは人工授精で受精卵を作った後、8分割時に細胞1個を取り出して、これから子と全く同じ遺伝子情報をもつES細胞株をつくることができることに言及しているのだ。なぜこれがビジネスになるかは、ES細胞の性質を考えれば分かる。この子が成長してから肉体的な故障が出ても、自分のES細胞から組織や臓器を作り出して拒絶反応のない、安全な治療が理論的には可能になるからである。
 
 さて、今回の技術への私の感想だが、溜息……ばかりである。昨年10月にも述べたが、こんな高度技術を利用できるのは高額所得者に決まっている。そういう人々が“優良な子”をもつためにPGDを行ない、さらにES細胞まで作っておく時代を、私は「素敵だ」とか「美しい」とは感じない。感覚的な表現で申し訳ないが、そういう自己本位の社会実現のために科学は進歩すべきなのか、と疑問に思う。私には、どうしても成人(体性)幹細胞の研究の方が価値ありと思えるのである。
 
谷口 雅宣

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年8月23日

脳細胞はどんどん再生する?

 今年に入って再生医療の分野での新しい研究成果が相次いで発表されている。本欄でも、それらを発表のつど報告するようにしているが、きっと漏れているものもあるだろう。以下、本欄で扱ったものを古いものから順に列挙すると……

①ドイツの研究グループが、マウスの精原細胞からES細胞に似た多分化能のある幹細胞を作成することに成功--4月6日。
②ヒトES細胞から効率よく神経細胞を得る方法を理化学研究所と京都府立医科大学の研究グループが開発。人間の羊膜上で培養することで、9割以上の確率で神経幹細胞を育てることに成功。--6月6日。
③日本政府は従来、“クローン人間”作成につながるとして人のクローン胚研究を禁じていたが、厳しい条件を付けたうえで、不要となった卵子を使うES細胞作成に道を開こうとしている--6月20日。
④京都大学の山中伸弥教授が、マウスの皮膚細胞の遺伝子を操作することで、ES細胞に酷似した状態(人工幹細胞)を実現--7月17日。
⑤体細胞の遺伝情報を初期化・再プログラム化して作成する人工幹細胞と毛包細胞は、再生医療に有望--7月18日。
⑥ブッシュ大統領、ES細胞研究の財政支援拡充法案に初めての拒否権を行使--7月20日。
⑦再生医療に使える幹細胞は脳、骨髄、髪、皮膚、脂肪、歯胚、臍帯血,生殖器……など相当の種類に及ぶ--7月27日。

 この流れを見ると、受精卵や卵子を使ったES細胞の研究と併行して、体中にある幹細胞を利用した再生医療、さらに最近では普通の体細胞(この場合は皮膚)の遺伝子操作で人工的に幹細胞をつくる方法も開発されつつあることが分かる。ただし、最後の例はネズミでの成功例で、人間への応用はまだこれからだ。また、再生医療の目指す方向の1つに「神経細胞の再生」があることは強調されていい。というのは、神経細胞の欠損による半身不随や痴呆などの障害は永く「治らない」とされてきたからだ。これが再生可能になれば、多くの人々に光明を与える。アメリカのレーガン元大統領、俳優のクリストファー・リーブやマイケル・J・フォックスがES細胞の研究推進派の“広告塔”のようになってきたのも、彼らが「神経系」の障害をもっていたことが大きな理由である。
 
 とすると、「神経細胞を再生させる」方法が見つかれば、卵子や受精卵を使うES細胞研究の意味の大半は失われてしまうのではないか。特に卵子や受精卵を使う場合、患者の遺伝子に適合性させるためのクローン胚作成の過程は、非常に効率が悪い。ここから様々な倫理的問題も過去には生まれている。そう考えると、患者の神経細胞を直接操作して再生を促す方法に活路を見出そうとする人がいても、おかしくない。8月16日付の Newswise と同18日付の『New Scientist』のニュースは、まさにそんな研究で驚くべき成果が出ていることを報じている。

 しかし……この方法は「人間の脳細胞をマウスの脳の中に入れる」というのだから、私は考え込んでしまう。またこの方法は、卵子や受精卵などの生殖細胞を一切使わず、大人の患者の脳をそのまま使うのだから、拒絶反応の問題も生じないようだ。上記の報道によると、フロリダ大学のマックナイト脳研究所(McKnight Brain Institute)のデニス・スタインドラー博士(Dennis Steindler)らの研究グループは、人間の大人の脳細胞をマウスの脳に入れると、人間の脳は新しい神経細胞を生み出し、ネズミの脳の様々な部分に適合するように分化したという。また、この研究グループは、1個の人間の大人の神経細胞を培養操作することで、何百万もの新しい神経細胞が生成されることも確認した。このことから、同博士らは、普通の人間の脳細胞には幹細胞と同等の自己再生力と分化能力がある、と結論している。これは、神経細胞についてのこれまでの医学の常識を覆す研究と言えるかもしれない。
 
 この方法によって、体外で脳細胞を大量に増殖できることになれば、アルツハイマー病やパーキンソン病で欠損した脳の治療に、患者自身の脳が利用できる可能性がある。そうなれば、前述したES細胞研究に与える影響も少なくないだろう。科学技術の研究からは、本当に何が飛び出すか分からないとつくづく思うのである。
 
谷口 雅宣

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年8月22日

生物多様性の価値とは?

 前回は、遺伝子組み換え種の芝がアメリカで“野生化”する兆しを見せていることを書いたが、「除草剤耐性」という遺伝子は自然界で有利に働くことはないから“野生化”は起こらない、とする楽観論もある。これについては、私は『今こそ自然から学ぼう』の中で反論しているので参考にしてほしい。自然界はきわめて複雑にできているから、アメリカでこのGM芝の商業栽培が行われるとどうなるかは、実際のところ「やってみなければ分からない」という面が確かにある。しかし、「やってみたら悪い予想通りになった」というのでは、いかにも愚かな話だ。だからこんな場合は、「人間の欲望に従う」のではなく「自然の知恵に従う」方を選ぶのが賢明な判断だと思う。つまり、生物多様性をできるだけ損なわない選択をすべきなのである。
 
 この「生物多様性」の価値については、すぐには理解できない面がある。それは「多様」というだけでは「善い」ものも「悪い」ものも両方あるという意味に捉えられがちだからだ。「善悪ともにそろっている」ことが「多様」の意味だと単純に考えると、「悪を除いて善のみにした方がいい」という結論に陥りやすく、「多様は善に劣る」というニュアンスが生まれてしまう。昆虫を例にとれば、美しいチョウ、よい鳴き声のスズムシ、子供が大好きなカブトムシ……というように、人間が好きなものだけがいるのは「自然」ではない。そうではなく、ゴキブリも毒虫もムカデもスズメバチも含んでいるのが自然界だ。人間は自分勝手の視点から“益虫”(善い虫)と“害虫”(悪い虫)を区別しているが、自然界には本来そんなものはなく、すべての昆虫が複雑な関係の中でそれぞれの場と役割をもって共存している。この状態が「多様性」である。

 この多様な状態の方が“益虫”だけがいる状態よりも優れている理由は、人間の善悪の判断は、その人の立場や状況や時代によってたやすく変わるものだからだ。チョウは好きだが、ガは気味が悪いと感じる人は多いだろうが、だからと言ってガをすべて絶滅させれば、夜間に受粉する植物の多くも絶滅に向うだろう。そういう意味で、私は感覚的にゴキブリは確かに嫌いだが、家中のゴキブリを絶滅させるべきだとは思わない。自然界の複雑多様なシステムの中では、彼らも何か重要な役割を担っているのだと想像する。しかし、その一方で、ゴキブリホイホイを家の隅々に置く妻の行動を、何ら問題にしたことはない。

 さて、話が少し脱線したが、多様な種があることで結局、人間にも恩恵が回ってくる例を挙げよう。これも、前回引用した『New Scientist』誌の8月12日号に掲載されていた例である。イネなどの穀物は、1つの株に、できるだけ多くの実をつける方が人間にとって「善い種」であると思われる。だから、好条件の気候時に最も多く実をつける種が、長年にわたり世界各地で開発されてきた。しかし私が最近、日本の各地でイネを見て気がついたのは、茎が短い種が増えてきたということである。その理由をどこかで聞いたら、台風などの強い風が吹いても倒れない品種が好まれるようになってきた、という説明だった。こうして、「最高の気候条件で最多の実をつける」という考え方から、人間の価値観が多少変化してきていることが分かる。
 
 そしてご存じのように、最近は予期しない異常気象が続く。すると未来を見る研究者にとっては、旱魃や洪水にも強い品種や、塩分を含む土壌でも育つ品種を開発することが重要になる。人口爆発と農地の不足が、そういう悪条件下でも育つ品種を要求するのである。言い換えれば、同じイネでも、かつては「不要」だった性質が今日では「必要」に変化してきている。そこで彼らが考えたのが、かつて自然界に自生してしたイネの原種の中から、例えば水に浸かっても腐らない品種を探し出し、その遺伝子を現代の多収型の品種に導入する、という方法だった。

 上記の記事によると、フィリピンにある国際イネ研究所(International Rice Research Institute)のデビッド・マッキル氏(David Mackill)のグループは、同研究所に保存してあったイネの中から、「FR13A」という、もう相手にされなくなったインド原産の古い品種の「水の中でも生きる」性質の遺伝子を同定し、それを現在アメリカで広く栽培されている「M202」という品種に導入した。これによって生まれた新しいイネは、水に完全に浸かった状態でも最長で2週間もつようになったという。この遺伝子は、現在までに6種のイネに導入されているそうだ。
 
 こんなことが可能なのは、イネの中の「善い」品種だけが残っていたからではなく、「多様な」品種が今日まで保存されていたからである。かつては人間が「善い」と思わなかった性質が、今日では「善い」とされていることに気づいてほしい。人間の価値判断とは、そんなものである。だから、自然界の生物多様性は、人間の下す善悪の判断より重要だと言えるのである。

谷口 雅宣

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2006年8月21日

GM植物は拡散するか?

 日本では遺伝子組み換え作物(GM作物)が不人気なことはご存じの通りだが、これを野外で栽培することを国とは別に自治体が規制する動きが広がっているらしい。8月19日の『朝日新聞』が1面と2面を使って詳しく伝えている。

 それによると、GM作物の野外栽培は、既成の作物との交雑や混入を防ぐことが主な目的として現在、10の都道府県が条例やガイドラインを設けている。野外栽培では、花粉の飛散や虫による伝播でGM種が在来種と交雑する可能性があるため、交雑が起こった場合、作物のブランド・イメージが打撃を受けるとの判断があるようだ。また、GM反対派の農家や消費者とのトラブルを恐れているという。規制の内容は、GM種と在来種の栽培地間の距離を定めたり、住民への説明会を義務づけたり、交雑が起きたときの対応を求めるもの。こういう規制もあって、国内でのGM作物の商業栽培はまだ行われていないという。
 
 GM作物は、アメリカ、中国、インドなどで大々的に栽培されているが、日本やヨーロッパではきわめて評判がよくない。私自身、『今こそ自然から学ぼう』(2002年、生長の家刊)などで懐疑論を展開しているし、本欄でも何回か(例えば8月1日4月13日)問題点を指摘してきた。問題の基盤には、「生物は人間が好きなように改変してよい」という人間至上主義の考え方がある。また、人間に都合のいい種だけを大量に栽培することによる生物多様性の破壊も、大きな問題だ。8月12日付のイギリスの科学誌『New Scientist』は、GM種の植物に関して示唆的な事実を伝えている。

 それは、悪名高い「ラウンドアップ」という除草剤への耐性をもった芝が、オレゴン州の片田舎で発見され、合衆国農務省(USDA)を慌てさせているという話だ。これは、アメリカ国内でGM種の植物の“野生化”が発見された最初の例で、しかも農務省が野外での栽培認可をする前にそれが起こったという点が、衝撃的だった。問題の芝はクリーピング・ベントグラス(creeping bentgrass)と呼ばれていて、学名は Agrostis stolonifera である。日本語の呼称はよく分からないが、辞書を引くと「コヌカグサ」「ヌカボ」などとあり、イネ科のコヌカグサ属かカヤツリ科の雑草という。想像するに、いわゆる「野芝」や「西洋芝」の一種だろう。この芝の遺伝子を組み換えて、グリフォサートという除草剤への耐性をもたせたのがGM芝だ。だから、これをゴルフコースに植えれば、あとはグリフォサートを散布することで、均一で、見た目の美しいゴルフ場の造成とメンテナンスが容易にできる--というのが開発側の意図である。「ラウンドアップ」とはグリフォサートを主成分とする除草剤の商品名だ。

 このほどアメリカの環境保護局が、このGM芝が栽培されている場所から半径4.8kmの植物を調べたところ、2万400種のうち9種が、GM種と同一の除草剤耐性をもっていた。そして、このGM種の伝播は、最長で3.8kmの地点でも確認されたという。伝播の方法は、花粉によって在来種と交雑したものと、種の拡散によるものとの双方が確認されたという。

 GM芝の“野生化”は、2つの点で問題を抱えている。それは、①多年草植物であることと、②農作物でないこと、だ。従来から栽培されていたGM作物のほとんどは、ダイズ、トウモロコシ、アブラナなどの1年草である。つまり、従来のGM種の多くは収獲が終れば枯れてしまうから、次世代を残しにくく、したがって野生化の可能性は小さい。これに対し多年草は、冬を越して翌年再び成長するから、交雑と種による伝播の可能性が大きい。さらに問題なのは、農作物は人間が手をかけねば自然界では生き残るのが難しいのに対し、芝は自然界に数多くの近種をもつほとんど“雑草”と言っていい植物である。だから、GM種のもっている除草剤耐性が近種間の交雑によって自然界に広がっていく可能性があるのである。
 
 それにしても、日本とアメリカのGM植物に対する態度は対照的である。日本では「食品」と「遺伝子組み換え」の2語をつなげることに拒否感を示す人が多いのに対し、アメリカではGM作物は普通に栽培されている。そのことに対して、アメリカ人のほとんどは拒否感を示さない。私は、それでいいのだと思う。「自然は人間のために改変すべきだ」と考えて西部開拓をした人々と、「人間は自然の一部だ」との価値観で生きてきた人々の双方があっていい。地球温暖化時代にどちらの生き方が有効であるかは(あるいは双方の知恵が合わさる必要があるのかは)、今世紀の人類の経験によって証明されるに違いない。

谷口 雅宣

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年8月20日

災いを転じて福となす

 18~19日にかけて、京都府宇治市で行われた生長の家の盂蘭盆供養大祭に参加した。この時期の京都は例年酷暑であることを覚悟していたが、今年は台風10号の影響で風が吹き、雲が多く、案外過ごしやすかった。ただし、降雨量が例年より少ないのか、宇治川の水位は低く、私が泊まった智泉荘の庭の苔は枯れそうに乾燥していた。数年前、同じ場所にキノコが生えていたのを憶えているから、今年は若干水不足なのだろう。全国的には、猛暑は依然として勢いを弱めない。今日の『産経新聞』によると、19日は特に東日本が暑かったようで、長野県信濃町で33.5℃、新潟県小出が37.3℃、石川県小松市が37℃、山形県酒田でも35.8℃、東京都心では33.9℃で午前中の湿度は80%を越えたという。

 地球温暖化にともなう異常気象を体験して、良識ある人類の多くが温暖化防止に本気になって取り組んでくれるならば、多少の不都合には感謝すべきなのだろうか、などと最近では考えてしまう。私は4年前に出させていただいた『今こそ自然から学ぼう』(生長の家刊)の「はしがき」中で、人間が肉体的自己の快楽追求から、他の生物や宇宙一切を神の自己実現と観ずる自覚に転換するまでは、「自然はその自覚を促す“警鐘”を我々の内外に鳴らし続けるだろう」と書き、「我々はその意味を正しく理解し、間違いを正していかねばならない」と述べた。そういう重要な学習に必要な“教材”として、昨今の異常気象や政治対立を見直し、敵をこしらえて攻めるのではなく、自己の心の反映として捉え、我々自身の態度や生活を改めることが必要である。
 
 そのことは、何も特定の宗教を信じていなくてもできることではないか。極論すれば、無神論者にもそれはできる。原因があり結果が生じることが分かれば、悪い結果を生んでいる原因(生活)を改めれば、より良い結果が出ることは自明だからだ。問題は、「生活の改善」と「自己の利益」とを天秤にかけてしまい、後者を優先し、前者を後延ばしにする人が多いことだろう。しかし、産業や経済界でも“最先端”を行く人の中には、前者と後者を対立するとは考えず、前者が後者を生むとして、地球温暖化を前向きに捉えている人もいるのである。
 
 19日付の『日本経済新聞』には、「原油高とシリコンバレー」という題で、史上最高レベルが続いている原油価格を積極的に評価し、新時代を生きるための技術開発に取り組んでいる人々が紹介されている。例えば、米カリフォルニア州のサンカルロス市には、テスラ・モーターズという電気自動車の会社がある。2003年に設立された新しい企業だが、来年には充電池のみで走る2人乗りスポーツカーを発売する予定だ。加速がフェラーリ並みで価格は8万9千ドル(約1千万円)。3時間半の充電で400キロを走り、地元のガソリン価格と比較するとトヨタの「プリウス」の3分の1の値段ですむのだそうだ。アメリカは風力発電の面では日本を大きく上回っているから、その電力を使えば、化石燃料から得た水素を使う燃料電池車よりも、電気自動車の方が自然志向ということになる。これに中東地域の地政学的リスクを考えれば、そこから輸入する石油で自動車を走らせるよりは、電気自動車という選択肢はより現実的でり、国益にも合致する。

 また、太陽光発電は日本の得意とする技術だが、上述の記事には、この分野でもシリコンバレーには先進的な技術開発をしている企業があるという。それは、パルアルト市のナノソーラー社で、印刷技術を応用してフィルム基板に回路を組み込むことで、太陽電池を安価に製造する技術を開発したそうだ。すでに初の量産工場を立ち上げているという。この記事が訴えているのは、世界の最先端を行くシリコンバレーの起業家たちは、「難問であればあるほど、解決できた時に巨大なビジネスチャンスがあるととらえる」という点だ。今夏、北半球のどこもが猛暑に襲われているが、その温暖化を進行させずに経済を豊かにする技術が開発できる、という彼らの信念は見習うべきだろう。
 
 最後に日本の例を1つ。20日の『産経』によると、石油元売り会社などで組織する石油連盟は、バイオエタノールとガソリンとの混合燃料を来夏から試験的に販売する方針を固めたそうだ。首都圏を中心に全国約50ヵ所のスタンドでの販売らしいが、残念なことに、ハイオクガソリンにのみ混合するという。理由はよく分からないが、これで問題がなければ2010年から本格販売をする計画だ。

 日本のガソリン需要は年間約6千万キロリットルだが、石油連盟の計画では、2010年にこのうち2割を、バイオエタノールを3%含んだE3ガソリンに切り換えるという。すると、年間36万キロリットルのバイオエタノールが必要となるため、農水省では沖縄産のサトウキビに加えて、規格外小麦や生産過剰となったテンサイなど多様な農業副産物を活用して対応する計画らしい。来年度予算の概算要求には、農業団体などによる大規模エタノール工場の建設を支援するため、100億円を計上するというから、この分野もゆっくりと動き出している。ぜひ「災いを転じて福」としてほしい。

谷口 雅宣

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年8月18日

初の大規模環境難民

 温暖化による気候変動などで住環境が悪化し、他の地へ脱出する人々のことを「環境難民」と呼ぶことがある。よく取り上げられるのは、ツバルなどの島嶼国の人々のことだが、このほど「世界で最初の大規模環境難民はアメリカ南部・メキシコ湾岸の人々である」との結論をアメリカの研究機関が出した。その研究機関とは、地球環境問題への取り組みで有名なレスター・ブラウン氏(Lester R. Brown)が率いるアースポリシー研究所で、8月16日付のニュースレターの中で述べている。

 それによると、これまでアメリカが経験したハリケーンの被害では、住民らは被災地から一時避難しても、現場での復旧作業が進んで当局が安全宣言を出した後は、ほとんどの人が被災地にもどって生活を継続できた。しかし、カトリーナやリタなどの昨年夏の巨大ハリケーンの被害では、そのパターンが破られたという。すなわち、被害に遭ったニューオーリンズ市を初めとしたミシシッピ、ルイジアナ両州の被災者100万人は、河べりや海岸地帯から離れて内陸部へ移動したか、あるいはテキサスやアーカンソーなど隣接する州に逃れた。そして、そのうちの約25万人は戻りたくても、もどれないのだという。
 
 その理由は、8.5メートルも増水したミシシッピ河によって水没した町の中には、すべての建築物が破壊された町もあり、そういう場合、避難民が被災地にもどる目的になるものが何もないのだという。例えば、ニューオーリンズ市の南東へ64キロ伸びるセント・バーナード郡は、ほとんどが人の住めない状態となり、同市の大半の地域も人が住めなくなった。1年後の現在でも、同市は広域にわたって、電気、上下水道、廃棄物処理、電信電話施設が復旧していないという。こうして、地球温暖化に主たる責任のある国が、最も深刻なハリケーン被害に遭うという事態が起こっている。

 人口の減少が“難民”の多さを物語っている。カトリーナに襲われる前のニューオーリンズ市の人口は46万3千人だったが、カトリーナ後の人口は9万3千人に減り、その南に隣接するジェファーソン郡の人口は、45万3千人から4万2千人も減って、41万1千人になっているという。また、ミシシッピ河が流れる海岸沿いの3つの郡は、いずれも人口が減少した。今年7月の時点ではハンコック郡は8千人、ハリソン郡は1万2千人、ジャクソン郡は4千人の減少である。同じく7月のデータでは、ニューオーリンズ市、ルイジアナの3つの郡、そしてミシシッピ州の3つの郡の人口は、合計で37万5千人減少した。まだ帰還途中の人々もいるにはいるが、その数は次第に減少しており、同研究所の概算では、少なくとも25万人の元住民は、別の地に生活の場を移しているため、この地域にはもう戻らないと思われる。だから、これらの人々は「環境難民」と呼べるだろう。

 ところで、アメリカに次いで温室効果ガスを排出している中国でも、このところ気候変動による被災者の数が増えつつある。18日の『産経新聞』は、今夏の中国での旱魃や台風の被害をまとめて伝えているが、それによると、内陸部の四川、甘粛省などでは35度を越す猛暑続きで1千万人が飲料水不足に陥っており、逆に南東部の諸省では、4回の台風の襲来で死者・行方不明者が約1,400人に上っているという。甘粛省や重慶市などでは7月に入ってほとんど雨が降らず、25日間が35℃以上の高温となり、最近では40℃前後に気温が上がり、15日にはついに最高気温44.5℃となり、1953年以来の記録を塗り替えた。新華社電によると農業などへの直接被害は、26億4千万元(約396億円)に達するという。

 7月25日の本欄では、アメリカ西部が40℃前後の猛暑に襲われていることに触れた。7月30日には、ヨーロッパの猛暑と南米最大の「イグアスの滝」が渇水に見舞われていることを書いた。地球全体が温暖化していることは明らかであり、その被害も深刻化しているのに、人間同士が憎み合い、殺し合いをしているのでは事態は何も改善されない。かと言って経済発展だけでは温暖化は進行するばかりである。日本人も、ナショナリズムで頭に血を上らせているだけではダメだ。諸外国と一致協力し、冷静な判断によって、温暖化防止に向かって経済も政治も転換していかねばならないのである。

谷口 雅宣

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年8月17日

イスラームはどうなっている? (6)

 本シリーズの第3~4回目で、私はワッハーブ派の原理主義的考え方がオサマ・ビンラディンの思想の基盤にあることを説明した。が、実際にオサマが自分に影響を与えた人物として名前を挙げているのは、ワッハーブ思想を現代に適用した人々である。先に挙げた保坂修司氏と中東研究家の藤原和彦氏によると、それらはムハンマド・クトゥブとアブドゥッラ・アッザーム、それからイブン・タイミーヤである。今回は、この中の最初の人物について重要だと思う点を述べてみる。以下、藤原氏の言葉の引用は、『イスラム過激原理主義--なぜテロに走るのか』(2001年、中公新書)からである。

 ムハンマド・クプトフについて重要なのは、彼自身というよりは彼の兄、サイイド・クトゥブ(1906-1966, Sayyid Qutb)という有名なエジプト思想家のことである。サイイド・クトゥブはムスリム同胞団の理論家で、1954年のエジプトのナセル大統領暗殺未遂事件をきっかけに捕らえられ、1966年に処刑された。オサマは、サウジアラビアのアブドゥルアジーズ国王大学でサイイドの弟のムハンマドから教えられたか、あるいは著書を読んだらしい。そのサイイドの思想で有名なのが「ジャーヒリーヤ論」である。これはサイイドが長期の獄中生活の中で煮詰めた思想で、藤原氏によると「今や過激原理主義運動全体の中核思想となった」(p.51)という。
 
「ジャーヒリーヤ」とは、「無知」「無明」という意味のアラビア語である。イスラーム社会にあっては、この言葉は開祖ムハンマドが教えを立てる以前のアラビア社会のことを指す。7世紀のアラビアは部族社会で、部族の構成員はそれぞれの部族に忠誠を誓い、その部族の神を崇拝して現世的価値を求めていた。唯一絶対神を掲げるムハンマドにとっては、これは「偶像崇拝」以外の何ものでもない。ムハンマドは、こういう社会を否定し、唯一アッラーのみに帰依し信仰するイスラーム社会を建設したのだった。だから「ジャーヒリーヤ社会」は1200年前に消滅したというのが、イスラームでの常識だった。ところがサイイド・クトゥブは、世俗主義のナセル大統領支配下に投獄される中、自分のようなイスラーム信奉者が弾圧される社会は、神を畏れぬ堕落した「ジャーヒリーヤ」社会だと断じたのである。この宣言により、イスラム教徒は、現代のイスラーム社会を「ジャーヒリーヤ」と認めるか認めないかの選択を迫られることとなり、もし認めれば、預言者に従って社会打倒の実際行動を起こす義務を負うことになるのである。

 クトゥブの思想でもう一つ有名なのは「神の主権」という考え方である。これは、近代以降の西洋型民主主義の「主権在民」の考え方をまっこうから否定するものだ。藤原氏は、エジプトの原理主義思想家、アイマン・ザワヒリを引用して、この考え方を次のように説明している:

「唯一神教(タウヒード)においては神に主権があり、立法は神の専権事項である。一方、民主主義は人民に主権があり、人民が立法者となる。したがって、民主主義とは、全権の神から立法権を簒奪(さんだつ)し、それを人民に与えているものにほかならない。また、民主主義は至高の神の権威に縛られることなく、神の専権である立法権を人民に付与することによって人民を神格化している。まさに偶像崇拝だ。民主主義とは、偶像崇拝の新しい宗教なのだ」(p.56)

 ウーム……と考え込んでしまう読者もいるだろう。一応、理論としては筋が通っているが、何か大切なものが欠けている。それは、神と人間との関係についての考察である。また、原理主義に特徴的な「二者対立」「善悪対立」の考え方が徹底している。「真正なイスラーム社会」は善であるが「ジャーヒリーヤ社会」は悪である。「神の主権」は善であるが、「人民主権」は悪である。善を実現するために悪を破壊せよ、という考え方である。

 藤原氏によれば、クトゥブは信仰の篤い富農の家に生まれ、カイロ大学付属の高等師範学校で西洋型の教育を受けた後、教育省に就職、かたわら詩作や評論で活躍した。ところが43歳の時から2年間、アメリカへ留学したことが転機となって、急速に反西洋志向となり、ムスリム同胞団に加入した。これに加え、10年に及ぶ獄中生活の中で服役囚の虐殺事件などを目撃し、西洋と世俗社会への態度を硬化していったと思われる。彼の心中の二者対立の葛藤が、過激な二者対立の革命思想を生んだと見ることができる。

谷口 雅宣

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2006年8月16日

イスラームはどうなっている? (5)

 本シリーズではこれまで、イスラームのスンニ派中のワッハーブ派の思想と、その信奉者であるオサマ・ビンラディンの考え方を追ってきたが、今回イギリスで摘発された旅客機爆破未遂事件の容疑者については、その動機を考えるにいたっていない。その主たる理由は、容疑者に関する詳細がまだ未発表であることによるが、「推測」のレベルでは何が言えるだろうか?

 私は昨年7月にロンドンで起こった同時多発テロに関して、「ロンドンのテロ」という題で本欄に4回にわたって書いた(7月12日同14日同20日8月3日、『小閑雑感 Part 5』に収録)。その時の結論は、イスラーム原理主義による自爆テロが起こる背景には、その思想中にある「対照化」の考え方と、実行犯の心中の「自己破壊」願望が大きな役割を果たしており、若い彼らはこの2つの力を得て「失われかけたイスラム教徒としてのアイデンティティーを獲得する」ために自爆テロへ走った--というものだった。ただし4回目の文章では、この結論とは必ずしも一致しない分析やグループ心理学に原因を帰する見解も紹介した。そして、メディアがリアルな惨劇の映像を繰り返し報道することが、(その意図とかかわりなく)自爆テロ実行の環境を整えている可能性を指摘した。

 メディアの影響力という点では、前回引用したオサマの対米宣戦布告の文章そのものが、マスメディアを通して世界中の“虐殺”を読者が見聞していることを前提としている。これに加えて、「マス」でないメディア、つまりインターネットの影響力を考えれば、1人の人間がテロ実行に至るまでの過程には、相当複雑な情報の流れが関係していることが伺える。
 
 とは言っても、今回の未遂事件の背後にはアルカイーダの影響があることは、どうやら事実のようだ。今日の『朝日新聞』はイスラマバード発の記事の中で、アルカイーダと関係が深い原理主義組織タリバーンの関係者が、1年ほど前からアルカイーダの軍事訓練所にイギリス国籍の若者グループが頻繁に出入りしていたと証言したことを伝えている。ただし、今回逮捕された特定の人物がそこにいたという話ではない。が、軍事訓練所はパキスタンとアフガニスタンの国境付近にあり、今回の事件の主犯格と目されているラシド・ラウフ容疑者(25)の出身地はカシミール地方。その弟のタイブ・ラウフ(22)も容疑者としてイギリスで逮捕されている。パキスタンのアフガンとの国境はカシミールに近いとは言えないが、軍事訓練所ではカシミール地方の過激派メンバーがイギリス人グループに付き添っていたというから、そのグループがカシミールと関係がある可能性はある。

 推測の域を出ないが、私は昨年7月のロンドンのテロが、今回の旅客機爆破未遂事件の背後にあるような気がする。昨年のロンドンでの事件は、アルカイーダなどのテロ組織とは直接関係のない“アマチュア”の犯行だとされている。そうであったとしても、それはイギリス国籍のイスラーム信奉者に多大な衝撃を与えたはずだ。恐らく多くの穏健派は「テロ非難」で一致しただろうが、少数の原理主義的イスラームの影響下にある若者は、この事件を目の当たりにして「先を越された」とか「自分にも何かできるはずだ」と考え、“プロ”を志して軍事訓練を受けに海外へ渡った--そんな経緯が考えられるのである。

 日本の特攻隊の精神を忘れてしまった日本人にとっては考えにくいことかもしれないが、イスラーム原理主義においては、殉教は善であるだけでなく、それによって来世で最高の楽園が約束されている。『コーラン』の「ムハンマド」の章第4~6節には、次のようにある:

「アッラーの道に斃(たお)れた者の働きは決して無になさりはせぬ。きっと御自ら手をとって、その心を正し、前々から知らせておいて下さった楽園にはいらせて下さろう。」
 
谷口 雅宣

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年8月15日

イスラームはどうなっている? (4)

 本シリーズの前回までの考察で、イスラームのスンニ派に属するワッハーブ派の考え方は原理主義にもとづいており、そのためにイスラームの千年以上の伝統を省略して、聖典の選択的利用と字義の文字通りの解釈によって、複雑な現代の問題に解決の道を見出そうとしていることを述べた。しかし、ここに困った問題が1つある。それはアルカイーダの活動の背後にこのワッハーブ主義があるだけでなく、彼らの出身国・サウジアラビアはワッハーブ主義にもとづいて建国された国だということである。「困った」という表現が分かりにくいなら、「事態は簡単に説明できない」と言った方がいいかもしれない。あるいは「矛盾に満ちた」と言うべきだろうか?
 
 簡単に事実だけを挙げれば、こうなる--ワッハーブ主義では西洋の文化・文物はできるだけ排除して純粋なイスラーム国家を建設すべきところだが、サウジアラビアはアメリカの同盟国であり、大量の石油をアメリカ等の西洋諸国に輸出していて、その見返りに莫大な富と強大な軍備(大半がアメリカ製)をもち、あまつさえ米軍基地を抱えている。これらはサウジ政府が、厳しい国際情勢の現実の中で“国益”を優先して採用してきた外交政策の結果であって、必ずしも宗教的信条やワッハーブの教えにもとづいていない。しかし、純粋なイスラームの若者の目から見れば、「国は国教を棄てた」とか「王族は信仰をすてて私腹を肥やしている」「国はアメリカの傀儡政権に乗っ取られた」などと見られる可能性は十分にある。

 イスラーム研究者の保坂修司氏は、『正体--オサマ・ビンラディンの半生と聖戦』(2001年、朝日新聞社刊)という著書の中で、オサマ・ビンラディンが1996年8月に出したアメリカへの“宣戦布告”の文章を紹介しているが、そこには次のような一節がある:
 
「イスラームの民がシオニスト・十字軍連合およびその同盟者によって科された攻撃、不法、不正に苦しめられてきたことは明らかにされねばならない。ついにはムスリムの血は安価になり、彼らの富は敵の手の中の戦利品となるにいたった。彼らの血はパレスチナやイラクで流されている。レバノンのカナでの虐殺の恐ろしい映像は依然としてわれわれの記憶に新しい。タジキスタン、ビルマ、カシミール、アッサム、フィリピン、ファタニ、オガディン、ソマリア、エリトリア、チェチェン、ボスニア・ヘルツェゴビナでも虐殺が起きており、それらは身体や良心を揺さぶるものである。世界はこのすべてを見て、そして聞いていながら、こうした暴虐行為に対し何ら反応を示していない。それどころか、アメリカとその同盟者たちのあいだの明白な陰謀で、不法な国連の傘のもと、これら拠りどころのない人びとはみずからを守るための武器を獲得することすら禁じられたのである。イスラームの民は覚醒し、彼らがシオニスト・十字軍連合の攻撃の主たる対象であることに気づいた」

 上記は全体の一部にすぎないが、ここには航空機を使った前代未聞の自爆テロ事件を指導した人間の世界観がよく表れていると思う。まず全体を流れているのは「世界は二分されている」という認識だ。強大な「シオニスト・十字軍連合とその同盟者」が、不幸な「ムスリム」(イスラームの民)の血と富を奪う戦いを仕掛けている。その他の世界は傍観しているだけだ、というのである。「シオニスト」とはユダヤ教を信仰する人々であり、「十字軍」はもちろんキリスト教徒のことである。「イスラエル」と「アメリカ」という国名を使っていないということは、オサマが国際関係を国と国との関係として見てはおらず、宗教勢力と宗教勢力の関係として捉えている証拠である。そういう色眼鏡で世界を見ると、「ムスリム(イスラム教徒)はユダヤ=キリスト教徒連合軍の攻撃にさらされている」との単純明快な善悪二元論によって、世界情勢は理解・納得できる。だから、世界中のモスリムはあらゆる犠牲を厭わず、イスラーム共同体のために戦え--そういうメッセージだ。

 私は昨年6月2日の本欄で、戦争の前には相手の“悪魔化”が必ず起こると書いた。人間は「感情移入」の能力を備えている点で他の動物と本質的に異なる、と言われてきた。最近、この能力がネズミにもある可能性を示唆した研究が発表されて話題になったが、しかしあったとしてもごく原始的なものらしい。だから、人間は自分の戦う相手を“悪魔化”する過程を経なければ、戦争などできない。イスラーム原理主義者も同じ人間であるから、上記のような“悪魔化”をして初めて大量無差別テロが可能となった。宗教の教義の中に善悪二言論が色濃くある場合、あるいは色濃く出てきた場合、その宗教は戦争に向っていると考えるべきだろう。それはイスラームのみならず、一神教の原理主義が内包する問題である。

谷口 雅宣

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年8月13日

イスラームはどうなっている? (3)

 さて前回、イスラム原理主義組織アルカイーダの思想的基盤であるワッハーブ派の考え方を概観した。イスラームの開祖、モハンマドが誕生したのが西暦570年、40歳で啓示を受けて23年間を預言者として活動し、63歳で没した。それから1400年近く経過した21世紀の現代に於いて、原理主義を唱えることが本当に可能かという問題がある。これと同じことは、仏教にもキリスト教にもユダヤ教にも言えるだろう。千年以上も前に成立した「聖典の無謬性と文字通りの解釈」は、言葉の厳密な意味では不可能である。しかし、自分たちはそれを実行していると「主張する」ことはできる。「では、実行している証拠を見せろ」と言われれば、「ここにこう書いてあるから、我々はこうしている」と指し示すところまではできるだろう。しかし問題は、そこから先である。

 世界宗教と呼ばれるものは皆、千年以上の歴史がある。その間、開祖が直面しなかった問題が無数に発生している。しかし、開祖が説かなかったからという理由で深刻な問題を無視することはできない。だから、その時々の宗教指導者たちは、開祖の説いた教説から「類推」して、新しい問題への対処の仕方を導き出し、それを宗教の教えの中に組み入れていく。また、開祖が説いたとされる教説や開祖や直弟子の言行録の中にも、文字通りに解釈すると互いに矛盾するものも多く存在する。その場合、時々の宗教指導者たちは、「文字通りの解釈」から離れて教説に矛盾しないような「新しい解釈」を導き出し、現実に起こる具体的問題に対処するのである。そういう、地道で困難な作業を世界宗教は延々と継続しながら、人々の要望にできるだけ応えてきた。原理主義とは、このような「開祖」と「現代」の間に横たわる千年以上の宗教的営みを省略して、いきなり現代の要望に応えようとするものだから、大変無理が多い運動であると言える。
 
 この無理な点を無理なく見せるために使われるのが「聖典の選択的利用」である。「聖典のここにこう書いてあるから、こうしている」と指し示すことができたとしても、「別のところには別のことが書いてあるが、どうすればいいか?」との質問には答えないか、または「その箇所は今回の問題と関係がない」と言って無視するのである。これをエルファドル氏は「聖典の文献的証拠を選択的に読むこと」(selective reading of the textual evidence)と言っている。原理主義者にそれが可能なのは、これまでの長い歴史の中で積み上げられてきた宗教の伝統の大半を否定することで、そこから自由になり、恣意的に聖典の“つまみ食い”ができるからである。
 
 もっと具体的に言うと、ワッハーブ派のイスラームは、18世紀にはオスマントルコに反対してアラビア的でないものはすべて真のイスラームではないと主張したが、その実、イスラーム国であるオスマントルコの勢力を弱めようとするイギリス植民地主義者の支援を受け、その手の中に落ちていた、とエルファドル氏は指摘する。ワッハーブ主義者の言う“純粋性”とか“純潔”というのは、結局、その思想が生まれたアラビアの一部(現在のサウジアラビア)のベドウィン的文化を意味するのだ、と彼は次のように言う。
 
「根本的なことを言えば、18世紀のワッハーブ主義はナジディのベドウィン文化を採用し、それを普遍化して“本当のイスラーム”だと主張したのに対し、今日のワッハーブ主義はサウジアラビアの文化を摂ってそれを普遍化し、“唯一の真のイスラーム”だと主張しているのである」。(p.53)
 
 18世紀のワッハーブ主義とイギリス植民地主義の関係を聞いて思い出すのは、現代のワッハーブ主義の尖兵であるオサマ・ビンラディンが、忌み嫌ったはずのアメリカの支援を受けてアフガニスタンに侵攻したソ連軍と戦ったという事実である。それが次には9・11などでアメリカを攻撃し、今はアメリカから命を狙われている。これが「平和を愛する」はずの“唯一の真のイスラーム”だと主張する不毛さは、誰の目にも明らかである。いったい何が問題なのか--この問いへの答えの1つが「原理主義」であることも明らかだろう。
 
谷口 雅宣

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年8月12日

イスラームはどうなっている? (2)

 イギリスで摘発された航空機爆破テロ未遂事件の主犯格の容疑者は、イスラム原理主義組織アルカイーダの工作員である疑いが強いと、パキスタン外務省が発表した。この容疑者はすでにパキスタン当局に拘束されていて、名前はラシド・ラウフという26歳のパキスタン系イギリス人だという。発表によると、ラウフ容疑者は「アフガニスタンを拠点とするアルカイーダとの関係を示す証拠がある」(『朝日』12日夕刊)といい、パキスタンのシェルパオ内相はロイター通信に同容疑者のことを「国際テロ組織アルカイーダの工作員」と明言した(『日経』12日夕刊)。これが事実ならば、今回の事件はアルカイーダの直接の関与によるものということになる。

 アルカイーダの指導者、オサマ・ビンラディンは、スンニ派の中でも聖典の字義通りの解釈を重んじるワッハーブ派に属することは、昨年7月14日の本欄でも触れた。原理主義の特徴の1つはこの「聖典の字義通りの解釈」という点にあり、万教帰一を掲げる生長の家とは基本的に相容れない。このことも拙著『信仰による平和の道』(2003年、生長の家刊)にやや詳しく書いた。そこで今回は、ワッハーブ派のどこがどのように原理主義的であるかを、前回紹介したカーレド・アブ・エルファドル氏の著書から引用しながら書いてみよう。

 エルファドル氏は、今日のイスラム社会では“穏健派”(moderates)と“純潔派”(puritans)の考え方の対立がどの国にもあり、またスンニ派とシーア派という2大宗派の内部にも、同じ考え方の対立が存在すると指摘している。ワッハーブ派は、この中の“純潔派”の運動に最も大きな影響を与えている宗派の1つだという。彼によると、「タリバンやアルカイーダなど、国際的問題を起こした悪名高いイスラムのグループは、どれもがワッハーブ主義の大きな影響を受けてきた」。この思想は、18世紀のイスラーム伝道師ムハンマド・アブダル・ワッハーブ(1792年没)によって生まれたもので、趣旨をごく簡単に言えば「イスラーム信仰者はイスラームの真っ当な道から逸れて間違った道を進んでいる。だから、神に喜ばれ、受け入れられるためには、唯一の正しい道に立ち帰る以外にない」というものである。

 この“唯一の正しい道”とは、イスラームの教えに混ざったすべての不純物--神秘主義、合理主義、シーア派的思想を含む異端的、異教徒的要素のすべて--を取り去ることによって実現すると考えるのである。近代合理主義の考え方は、日本を含む世界のほとんどの国を大きく変容してきたが、ワッハーブ主義はそれを排除するだけでなく、理性を重んじるシーア派の考え方もスーフィズム(神秘主義)も敵視して、コーランその他の聖典に書かれた言葉を唯一の根拠として、公私すべての問題の解決を図ろうとするものである。この考え方では、預言者モハンマドが聖典で説いたことを字義通りに解釈・実行し、正しい儀式や行を実践することによってのみ、純粋で、真っ当な本物のイスラームに回帰することができると考えるのである。言い換えれば、この方法と考え方を採用しなればイスラーム社会に明日はないのである。

 ワッハーブ派によると、イスラーム法における「解釈の多様性」(前回解説)こそが、イスラーム社会を分裂させ、後進性と弱さを生み出してきたとされる。こうして、ワッハーブ思想に至って、「解釈の多様性」を認めてきたイスラーム法の長い伝統は崩れ去るのである。その代わり、「本当のイスラーム」か、さもなければ「不信仰者」かという二者択一的思考が起ち上がる。エルファドル氏によると、「アブダル・ワッハーブは、イスラム信仰者に中間の道はないことを一貫して強調した。すなわち、イスラム信仰者は“本当の信仰者”でなければ“不信仰者”なのである。そしてもし、本当の信仰者でなければ、ワッハーブはその人を異教徒と見なし、それに相応しく取り扱うことを躊躇しなかった」(pp.48-49)という。
 
 このように見てくると、ワッハーブ派の考え方は、私が『信仰による平和の道』(p.7)で紹介した北アメリカのキリスト教原理主義の4つの特徴のうち、2つと完全に一致する。つまり、①聖典の無謬性と文字通りの解釈を主張する、②自分たちと他の教派とを対立的に見る、の2つがここに見られるのである。
 
谷口 雅宣

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年8月11日

イスラームはどうなっている?

 今日のトップニュースは、イギリスからアメリカに向う旅客機の爆破テロを未然に阻止したというロンドン警視庁の発表だった。9・11テロを上回る6~10機の爆破計画を数ヵ月にわたって内偵していたところ、一気に危険な状況になってきたため、一斉摘発を実行し20数人を逮捕したという発表だ。まだ逃亡中の実行犯もいる関係から詳細な情報は伏せられているが、例のごとく「アルカイーダの関与」の可能性が言われている。また、爆破方法は、ペットボトルに入れた2種類の液体を機上で混ぜ、使い捨てカメラのストロボ発火装置に連結して爆発させる--などと、かなり具体的だ。もしこの方法が本当に計画されていたならば、これは自爆テロに違いない。拘束された容疑者のほとんどはパキスタン系イギリス人というから、ロンドン・テロと同じ「先進国で生まれ育ったイスラム系青年」によるテロ計画ということになる。

 日本はちょうどお盆休みの“民族大移動”のピークにあるが、今後は飛行機での移動はかなりの不便を伴うことになりそうだ。私は昨夜、青森空港から羽田まで飛んで帰ってきたが、その際、フライトの時間が30分ほど遅れた。これも上記の事件と関係があるような気がする。しかし、機上でまだペットボトル入りのお茶が飲めたことは幸いだった。

「イスラームは危険な宗教である」というメッセージが、またまた世界中に発信されてしまった。「一部の過激派は暴力的でも、イスラームの大多数は平和愛好である」という従来の言い方が、だんだん説得力をもたなくなってきている。これは大変残念なことだ。イスラームの信奉者は、今こそ「イスラームはテロを容認しない」という明確なメッセージを大々的に世界に向けて発信してほしい、と私は心から願うのである。9・11の際にそれがなかったことが、イスラーム全体に対する大きな誤解を生み出したことを思い出してほしい。

 かつて本欄に「イスラームに“ヴァチカン”はない」という話を書いた。それは、イスラーム社会内部では、数多くのイスラム法学者が互いに異なった解釈をしても、いずれの解釈も認められるということを、キリスト教の経験に当てはめて言ったものだ。イスラームには、中心となる宗教的権威がないのである。言い方を変えれば、イスラームは中央集権的な宗教組織ではないということにもなる。このことは、その土地の、その時の事情に合わせた柔軟なイスラム法解釈を可能にするという意味では美点であるが、その反面、アルカイーダのようなイスラーム内部の“異端”を批判できないという意味で、イスラーム全体にとって大きな弱点ではないかと思う。
 
 部外者である私がこんなことを言っても、イスラームの信奉者には「余計なお世話」と思われるかもしれないが、イスラーム内部にもこのことを危機感をもって訴えている人はいるのである。UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)でイスラム法を教えているカーレド・アブ・エルファドル氏(Khaled Abou El Fadl)は、昨年出版した The Great Theft: Wrestling Islam from The Exremists (大いなる窃盗--過激派からイスラームを救う闘い)の中で、「今日のイスラーム社会に於いては法解釈の権威が危機に瀕しており、混乱の極みにある」(p.26)として、次のように書いている:
 
「これらのイスラム法学者の意見は信者にとって説得力はあるが、義務を与えたり法的拘束力をもつものではない。法学者の意見は一般に“ファタワ(fatawa)”と呼ばれていて、ある特定の個人の特殊な問題について出されることもあれば、公的な問題について出されることもある。伝統的には、1人の法学者がファタワを出す資格を得るためには、一定の厳しい条件が定められていた。また、問題が深刻になればなるほど、それについてファワタを出せる人の資質は高くなければならなかった。現代に於いては、そういう資質や資格を守らせる機関の権威は失墜してしまったか、あるいは全くなくなってしまった。だから今日、法的あるいは社会的な制約がない中で、実際には誰でも自分をイスラム法学者だと宣言し、ファタワを出すことができるのである」(pp.28-29)

 上記のことに加え、現代ではインターネットによって誰でも簡単に、世界に向けて自分の意見を発表することができるという現実を考えてみよう。そういうコンピューターの操作やソフトウェアの製作に長けているのは、イスラーム法学者などの宗教の専門家や伝統的な教育を受けた年長の人々であるよりも、科学者やエンジニア、情報科学の専攻者などの比較的若い人々である。今、そういう人々がウェッブサイトを開設し、自称イスラム法学者として、そこにイスラーム法にもとづくファタワを発表しているとしたら、いったいどうなるだろう? かつてモハンマドの風刺画がヨーロッパの新聞や雑誌に発表されてから、世界中で大混乱と暴動が起こったが、その原因の1つにこのようなイスラーム内部の問題が関係しているような気がしてならないのである。

 谷口 雅宣

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2006年8月 8日

“地球英語”は成立するか?

 先日、昼食のために渋谷駅近くのソバ屋に妻と入ったら、ワイシャツ姿の4人のビジネスマンの席と隣り合わせになった。すると、彼らの会話が英語であることに気がついた。だが、どうもネイティブの英語ではなく、タイかシンガポールあたりの男性に対して、日本人が英語で応対しているように聞こえる。私はタイ人の英語だと思ったが、妻は中国人の英語ではないかと言う。他人の会話に割り込むわけにいかないので、もちろん真相は不明である。やがてその店に、見るからに西洋人の顔と格好をした男性が1人入ってきて、4人のビジネスマンの席から1つ置いたテーブルに席をとった。そして、彼も先客の英語に興味をもったらしく、チラチラとそちらの方を見た。私は私で、「昼に西洋人が1人でソバを食べる時代になったのか……」などと、現代の国際化の現場を別の角度から見た気になったものだ。

 互いに言葉が理解できなくても、英語を媒介にすると意思疎通がはかれるという状態は、長い間続いている。それは、英語が歴史的に主として貿易関係の国際語として使われてきたからだ。かつて日本が冷害に遭い、深刻なコメ不足に陥ったことがあるが、物好きな私はタイ産の香り米などを輸入した。この際、タイ人の貿易商とも英語のやりとりで事足りた。今日ではそれに加え、インターネットの爆発的普及で、英語の世界的普及に拍車がかかっている。学問の世界でも、英語の雑誌に科学論文を提出して認められることが、どこの国の科学者にとっても1つの成功の目安である。本欄にも書いたが、昨年3月下旬に東京で行われた国際宗教学宗教史会議世界大会でも多くの発表が英語でなされたから、人文系の学問においても同じ傾向は認められるのだろう。

 しかし、英語はむずかしい。そこそこのことを表現するのに大きな不都合がなくても、複雑な概念や考え方を正確に、簡潔に表現するには、非英語圏の人間の手に余ることが多い。英語は、国際語として確立する過程で、世界の多くの言語を吸収してきた経緯があるから、ギリシャ語、ラテン語、スペイン語、フランス語、ドイツ語などから作られた語彙もあるし、最近では日本語から sushi、 tofu、 manga、 sudoku なども採用されている。この高度な言語を世界中が使うという矛盾を解消するため、「英語を簡略化したものを国際語として新たに作る」という構想がもち上がっているらしい。それを「地球的に使われる英語」(global English)という意味で、“地球英語”(Globalish)と呼ぶ人もいる。8月7日付の『ヘラルド・トリビューン』紙が伝えている。

 それによると、現在の英語人口は5億人とも10億人とも考えられる。この数字は、イギリス政府の英語政策を担当するブリティッシュ・カウンシルに出した報告書の中で、言語学者のデビッド・グラッドール氏(David Graddol)が使っているもので、世界で英語を第1言語、または第2言語として使っている人の合計数である。しかし、グラッドール氏が「世界英語計画」(World English Project)と呼ぶものによると、今世界では英語の早期教育の流れができていて、それがこのまま10年も続くと、新たに20億人が英語を話すようになるらしい。しかし、ここで生じる新たな問題がある。それは、非英語圏の人々が使う英語によって、オリジナルの英語が圧倒されてしまう可能性だ。簡単に言えば、“正統な英語”が歪められるということだろう。
 
 そこで提案されているのが“地球英語”の制定である。提案者は、IBMの副会長だったフランス人のジャン=ポール・ヌリエール氏(Jean-Paul Nerriere)で、英語から簡単なもの千五百語を選んで語彙を限定し、それらの組み合わせによって表現する方法だという。例えば、nephew (甥)の代わりに son of my brother/sister (私の兄弟/姉妹の息子)と言い、kitchen (台所)は room in which you cook food (食事を用意する部屋)という表現で足りると考えるのだそうだ。

 わが国でも「正しい日本語表現」が議論されることがあるが、ここに出てくるような「簡易日本語」という考え方は聞いたことがない。NHKの衛星放送などで時々、外国語のニュースを日本語に訳して読んでいる人が、妙な日本語を使うことがある。それを簡易日本語として容認しようと言えば、恐らく多くの日本人は反対するだろう。しかし、英語の普及率は日本語の比ではない。“地球英語”の考え方は、そういう特殊事情から生まれているようだ。世界が狭くなりつつある証拠だ。

谷口 雅宣

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年8月 6日

熱帯都市・東京

 今朝の『朝日新聞』の日曜版「be on Sunday」の第1面をワカケホンセイインコの写真が飾っている。この熱帯原産の黄緑色のインコが東京で繁殖し、4本の電線にとまって整列している姿だ。このインコは明治神宮外苑にも棲みついていて、私はかつて短篇小説の中で登場させたこともある。体長30センチほどの尾の長い美しい鳥で、赤いクチバシが可愛らしく、甲高い“民謡風”の鳴き声も特徴的だ。私はこの鳥を気に入っているのだが、環境省は外来生物として駆除を検討中だという新聞記事を読んだことがある。しかし、温暖化が進んだ場合、南方の生物がしだいに北上するのは当然のことで、それを“外来生物”として駆除することが生物多様性の維持に寄与するかどうかは、議論の余地があると思う。
 
 同じ新聞の第2面には、クマゼミの北上のことが書いてある。大田区の平和の森公園で鳴いているというのだが、私の住む渋谷区近辺ではまだ鳴いていない。昨年は鳴いていたから、恐らく時期の問題だろう。それより最近、いつもは秋口に鳴くヒグラシの声を聞いたので驚いた。気候の変化でセミたちも混乱しているのかもしれない。

 わが家の庭では今、ブルーベリーの実が最盛期を迎えている。毎日収獲できるのがうれしいが、今年は異変が2つあった。1つは、鳥が食べに来たことだ。ものの本によると、ムクドリ、ヒヨドリ、スズメはブルーベリーを食べることになっているが、家の庭には3種類とも来るが、これまで何年も鳥の被害に遭ったことがなかった。しかし今年は、鋭いクチバシで引掻かれたような実を何個も見たし、金きり声を上げて枝から飛び立っていくヒヨドリにも遭遇した。2番目の異変は、この鳥の後にも別の動物が登場していることだ。緑色をしたカナブンのような甲虫だが、カナブンは樹液を好むというから、コガネムシかアオハナムグリかもしれない。とにかく、そういう体長2センチほどの甲虫が何匹も、ちょうど熟れて食べごろの実に食らいついている。人間が近づくと、気配を感じて自分で土の上に落ちる。だから私は毎朝、彼らに熟れた実を全部食べられないようにと、競って収獲するのである。

 ところで、読者は昨年6月6日の本欄で紹介した“東京バナナ”を覚えているだろうか。これは菓子の名前ではなく、明治神宮外苑近くの団地の庭に生えているバナナの木のことである。今年もこの木に花は咲いたが、実はできなかったようだ。「ようだ」と書いたのは、今年の6月は雨が多く、“かの地”まで足を運ぶ機会が少なかったので、見たときには黒く腐った小さい痕跡が残っていただけだったからだ。恐らく、成長せずにしおれたものだ。しかし、昨今の熱帯のような暑さの中で、そのバナナの木は、今は実に元気そうに何メートルもある立派な葉を四方に伸ばしている。「我が意を得たり」という感じだ。
 
 上記の『朝日』の記事によると、近頃の東京の年間の平均気温は16~17℃で、100年前より3℃上昇し、当時の鹿児島と同じ暖かさだという。夏の暑さに負けそうな時、私は温暖化のマイナス面のことを考えずに、プラス面を考えることにしている。東京でマンゴーが実り、バナナやパッションフルーツが収獲できる日も近いのだ……と。

谷口 雅宣

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2006年8月 5日

“国の中心”を失うこと

 イラクに派遣されていた陸上自衛隊が日本へ引き揚げ、日本の政治は靖国問題と自民党の総裁選挙に重点シフトをしているように見える。アルカイダなどのテロリストを掃討し、イラクがイラク国民による民主的政府を樹立するのを助けるために、日本は2004年1月、戦後初めて、陸上自衛隊を派遣した。そこでは、憲法上の制約から自衛隊員は戦闘や治安維持に従事できず、その代わり比較的治安のいいムサンナ県のサマワで、飲料水の供給、医療支援、道路や建物の建設等の復興・人道支援を立派に行った。撤収が決まった6月20日の記者会見で、小泉首相は「陸自による人道・復興支援は一定の役割を果たした」と評価した。その通りである。が、イラク戦争自体についての評価は、そう簡単でない。

 3日に、アメリカの上院軍事委員会の公聴会に出席した統合参謀本部のペース議長は、イラクの現状について「必ずそうなるとは言い切れないが、内戦に移る可能性がある」と述べ、イラク戦を指揮する中央軍のアビザイド司令官も「宗派対立は今まで見てきたなかで最悪。内戦に向かう可能性がある」と語った。5日付の『産経新聞』が報じている。同紙はさらに、BBC放送が伝えたイギリスの駐イラク大使の言葉として、「現段階では、安定した民主主義国家に移行するよりも、内戦と事実上の分裂に向かう可能性が高い」との認識を引用している。イラク国内の宗派間対立はフセイン政権崩壊後ずっと続いてきたが、最近とみに激化している。その中での自衛隊の撤収だということを忘れてはいけない。

 イラク戦争は、フセイン政権を打倒はしたが、テロリストの数を減らしたり、テロリストの活動を抑え込んだわけでもなく、大勢のイラク国民の命と財産が犠牲になり、アメリカも何千人もの兵士を失い、イラクからの石油供給も確保されておらず、イランに核武装を狙う反米政権が登場するなど、世界中で反米感情が燃え上がり、アメリカの国論も二分するという結果を生んでいる。これを「成功」というわけにはいかないだろう。3月19日の本欄で指摘したことだが、現在アメリカが遂行している「国家安全戦略」は、イスラム原理主義を“敵”と見て、武力を主な手段とした対抗措置を講じている。「敵を認めれば敵が現われる」という心の法則が働いているのだ。

 アメリカの評論家、トーマス・フリードマン氏(Thomas L. Friedman)は5~6日付の『ヘラルド・トリビューン』紙に書いた論説で、イラクからアメリカ兵を引き揚げる“プランB”を考える時期に来ていると述べている。彼の案は、かつてのボスニア=ヘルツェゴビナで成功したような、利害関係各国が参加する平和協定(停戦合意)と、国際平和維持軍の駐留である。彼が「関係各国」に含めるのは、アメリカ、ロシア、ヨーロッパ、日本、インド、中国、トルコ、サウジアラビア、エジプト、イラン、シリア、ヨルダンの12ヵ国だ。アメリカはまず、時期を定めて撤退することを明言し、これらの国を集めた停戦合意を結ぶ努力をすべきだというのである。今のアメリカの方針では、撤退を言うことは「敵に背を向け勇気づける」ことだとして否定しいるが、フリードマン氏は逆に「撤退しないだろう」と周辺諸国に思わせていることが、各国が真剣に“アメリカ後”を考えない原因を作っているのだという。

 イラクはアメリカ軍の占領下で民主選挙を実施し、議会を組織し、新憲法まで作り上げた。しかし、いかに悪政を布いていたとしても、超大国が別の国の国家元首を武力で捕らえ、政権を倒したことで、国は崩壊に向っているように見える。これまで圧政の下に隠れていた部族間、宗派間の対立が一気に噴き出し、また、欧米側にもイスラームと人権を否定するような不幸な出来事も起こった。このため、反米感情の高まりの中で内戦の危険が迫っている。おりしも、イスラエルとレバノンのシーア派組織・ヒズボラとの戦闘も勃発して、中東情勢は悲惨である。

 イラク戦後の統治の問題は、先の大戦後のアメリカによる日本占領とは一見似ているようだが、大きく異なる点がある。それは、日本人は天皇陛下の下で一丸となって「耐え難きを耐え」たのに対し、イラクは政治の中心を失い、宗教的な中心も得られないでいる点だ。“国の中心”がしっかり安定していることの重要さを、あらためて実感するのである。
 
谷口 雅宣

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年8月 4日

ニュース配信の新潮流

 グーグルやヤフーなどのインターネット検索サービスが、いろいろな意味で「世界を変える」と言われてきたが、本当にそういう動きが出てきている。最近のものでは、アメリカの大手新聞や時事週刊誌のサイトが、競争相手のサイトからのニュースや記事の見出しを、自分のサイトに表示することを始めている。日本でこれをやれば、例えば『朝日新聞』のサイトに『讀賣新聞』や『産経新聞』の記事の見出しが並ぶようなもので、従来の常識からは全く考えられないものだ。8月2日の『ヘラルド・トリビューン』紙がそういう動向を報じている。

 同紙の記事によると、『ワシントン・ポスト』と『ニューヨーク・サン』と『デイリー・オクラホマン』という3つの新聞は、このほどインターネットのニュース収集サービス会社の「インフォーム・コム(Inform Technologies LLC.)」と契約し、何百ものニュース・サイトやブログの記事情報を集めて自社サイトにリンクを表示することにしたという。(8月4日現在、上記3社のサイトには他社のニュースの見出しは出ていない)
 
 日本もアメリカも同じだろうが、新聞やテレビのニュース・サイトは、自社の集めたニュースと提携関係にある社のニュースしか載せないのが普通だ。しかし、この新しい動きが起こってきたのは、ニュース各社が一丸にまとまったわけではなく、グーグルやヤフーのやり方に対抗するためだ。両社は、いわゆる“ロボット検索”という技術を使って、インターネット上に公開されているすべてのニュース記事を、見出し、内容、アドレスと共にキーワード等に従って分類・保存している。この作業は、何台ものコンピューターによって昼夜を分かたず自動的に行われるため、「ロボット」の名が冠されているのだ。

 また、ニュース記事だけでなく世界中のブログや写真なども、同様の手段で巨大なデーターベースに収納されているらしい。そして、グーグルの場合は「グーグル・ニュース」というサービスを利用すると、ユーザーが指定したキーワードの含まれるすべての記事のアドレス(いわゆる「リンク」)を表示してくれる。だから、ユーザーは別々の新聞の別々の記事を自分で探さずに、そのリンクをたどるだけで、全世界のニュースから自分の関心のある記事だけを簡単に読むことができるのである。重要なポイントは、この種のサービスは、新聞やニュース各社の「記事そのもの」には全く手をつけずに、それらのインターネット上の「アドレス」のみをユーザーの前に示すという点だ。だから、記事の無断複製には該当しないと考えられているようである。
 
 こういう自動検索サービスが始まると、ユーザーはそのサービスのサイトだけを見れば、他のいくつものサイトへ行く必要はない。すると、従来型の記事を提供する新聞社や放送局のサイトの広告収入は減ってしまうのである。今回の3新聞社の対応は、これらの検索サービスに奪われた“読者の”(したがって広告収入の)奪還作戦なのである。

 ところで、このようにして他社のニュースの「リンク」だけを集めることができるならば、インターネット上を流れる様々なニュースから「明るいニュース」だけを選び出し、そのリンクを1箇所に表示することも理論的にはできるはずだ。恐らくそういう考え方にもとづいて、生長の家では「日時計ニュース」なるものを実験的に始めた。「人生の光明面を見るべし」との考え方にもとづいた有意義な試みと思うので、読者も応援いただければありがたい。
 
谷口 雅宣

| | コメント (3) | トラックバック (1)

2006年8月 2日

カリフォルニア州が排出権取引に参加?

 地球温暖化の問題をどう解決するかについては様々な方法があるが、主なものは次の3つだろう--①規則や法律で温室効果ガスの削減を義務づける、②省エネ、省資源を義務づける、③温暖化しないための技術革新を促進する。①と②は、まったく同じではないが似た方法で、制度や社会的取り決めを変更するものだ。つまり、「規制」によって温暖化の直接原因を減らし、間接的に③の効果をねらう。東欧や中国のような中央集権的な社会体制では、これがやりやすいかもしれない。しかし、日本やアメリカのような自由主義社会では、この方法は既得権のある経済界などに人気がなく、あまり進まないようだ。だから自由優先の社会では、政府としては③を進めることがやりやすいのだろう。

 アメリカは、今年初めのブッシュ大統領の一般教書演説以来、③の動きが強まっているようだ。これには、前年にアメリカ南部を襲った巨大ハリケーンが一役買っているらしい。Time071706 時事週刊誌の『Newssweek』は7月17日号で「アメリカの新しい緑化の動き」(The New Greening of America)という特集を組み、カトリーナやリタのような大型ハリケーンの経験が多くのアメリカ人の意識を変え、各方面で環境保護意識が高まっていることを、具体例を挙げて伝えている。この特集を読んで初めて知ったのは、現大統領のブッシュ氏が自分自身を「自然保護主義者(conservationist)」と考えていることだった。「ご冗談を……」と思ったが、こういう事実がある--彼は大統領に就任前、テキサスの自分の農場に別荘を建てたが、そこには雨水利用システム、太陽光発電パネル、地熱利用による冷暖房設備が据えつけられていた。そして、今年1月の演説以後、大統領は各地でハイブリッド車と太陽光発電を推奨して歩いている--つまり、上記の③を実行しているそうだ。

 しかし地球温暖化の現状は、③だけでは間に合わない可能性があるとの危機感をもつ政治家も少なくない。8月1日の『ヘラルド・トリビューン』紙は、イギリスのブレアー首相とカリフォルニア州のシュワルツネッガー知事が“炭素市場”を共同で設立する合意を結んだと報じた。炭素市場とは、二酸化炭素(CO2)などの温室効果ガスの「排出権取引」が行われる市場のことで、京都議定書によって枠組みが作られた。排出権取引については、本欄でも何回も取り上げている(例えば、5月16日5月19日)が、EUは、この制度を加盟国に義務づけている唯一の地域で、実際に莫大な資金が排出権取引のために動いている。アメリカは同議定書に国としては参加していないが、私企業として排出権取引に参加しているものもいるようだ。

 上記の記事によると、この合意の目的は、CO2排出のコストを決めることにある。CO2の排出量に上限を定め、そのレベルから排出削減を達成した企業が報酬を得る仕組みを作ることによって、環境負荷の少ない新しい技術を育成しようというもの。主な対象は、自動車その他の運輸交通手段から排出されるCO2という。シュワルツネッガー知事は、2010年までに同州の温室効果ガスの排出量を2000年のレベルにまで下げることを求めており、ブレアー首相は、2050年までに1990年のレベルから60%の排出削減を求めている。運輸交通部門から排出される温室効果ガスは、カリフォルニア州では排出量全体の41%あり、イギリスでは28%という。また、人口も自動車も多いカリフォルニア州は、温室効果ガスの排出量も「国」の規模であり、昨年は世界ランキングで12番目だった。
 
『ヘラルド・トリビューン』紙は2日の紙面でもこの合意について報じている。それによると、カリフォルニア州は、イギリスが加盟しているEUの排出権取引制度(Emissions Trading Scheme)の原則をいくつか取り入れ、可能ならばこの制度に加入することも検討するという。国が参加していないのに、州が加入するというのだ。こうなってくると、“ブッシュ後”のアメリカ全体の動向にも少なからぬ影響を与えることになるだろう。

 京都議定書をまとめた日本では、この制度はまだ「希望すれば参加できる」程度の消極的な扱いしか受けていない。問題点がいくつか指摘されているからだろうが、政府や関係各界がその解決に力を入れつつ、環境税や炭素税も含めた“全力投球”の姿勢で温暖化防止に取り組んでもらいたい、と私は思う。

谷口 雅宣

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年8月 1日

GM作物に“二次害虫”が発生

 遺伝子組み換え作物(GM作物)に対する抵抗は日本ではまだ大きいが、お隣の中国は唯物論が“国是”のためか、抵抗が少ないと聞いていた。4月13日の本欄では、中国やインドでGM種の栽培が成功していることに触れたが、このたび米コーネル大学の研究者が行った調査では、中国でのGM種の綿花栽培は必ずしも成功していないとの結果が出た。その理由は、GM種が想定した“害虫”は激減したものの、想定外の他の虫が発生したため、それに対処するための費用が増加して、GM種栽培のメリットの大部分が失われているというのだ。科学ニュースを扱うサイト「Newswise」と7月25日付の『New Scientist』誌が伝えている。
 
 GM作物の抱える問題については、『今こそ自然から学ぼう』(2002年)や『神を演じる前に』(2000年)でやや詳しく扱ったが、“二次害虫”の問題は私としても予想外だった。
 
 この研究は、7月25日にアメリカのロングビーチ市で行われた米農業経済連合(American Agricultural Economics Association, AAEA)の年次総会で報告されたもの。今回、研究対象となったGM作物は「害虫抵抗性」を組み込んだ綿の木で、土中のバクテリアの名前の頭文字を取って「Bt綿花」と呼ばれている。つまり、このバクテリアが産生する殺虫毒素を綿の木がもつように、遺伝子組み換えが行われている。ところが、この毒素は葉を食べるオオタバコガの幼虫(bollworm)にだけ効く。Bt綿花の栽培を始めて7年もたつと、この害虫以外の虫(例えば、メクラカメムシ)が相当増加した。そこで農家の人たちはそれらを駆除するために、植物の成長期にはかつての20倍もの殺虫剤を散布しなければならなくなったという。これは、5つの省にまたがる481の農家を調べた結果だ。
 
 この研究は、Bt綿花を栽培することによる経済的変化を長期的に調べた最初のもの。短期的には、この綿の栽培を始めてから3年までは、Bt綿花を植えた農家では殺虫剤の使用量が劇的(7割も!)に減り、通常の綿花を栽培した農家に比べて36%高い収入を得たという。しかし、2004年までには、それらの農家では通常の綿栽培農家と同じくらい多く農薬散布をするようになったという。その結果、GM種の綿を栽培した農家は、通常種の農家よりも8%少ない収入しか得られなかった。というのは、GM種の綿は通常種の3倍の値段だからだ。研究者たちは、このような“第二の害虫”出現の問題は、Bt綿花の栽培が長い国ほど深刻になりえると警鐘を鳴らしている。

 調査に当った世界銀行のシェンフイ・ワング博士(Shenghui Wang)によると、Bt綿花は、開発後すぐに4大綿花生産国であるアメリカ、中国、インド、アルゼンチンで栽培が始まり、今や世界の綿花生産量の35%を占めるに至った。中国では、500万人以上の農民がこれを育て、メキシコや南アメリカでも栽培されている。アメリカでは、Bt綿花の栽培の際には、オオタバコガの幼虫を死滅させないために“緩衝地帯”を設けることが義務づけられているという。この緩衝地帯では普通種の綿を栽培しなければならず、そのためにこの幼虫は生き続け、GM種に対する抵抗性は生まれないと考えられていた。中国では、この緩衝地帯を設置する義務はない。今回の研究は、GM作物の栽培には、長期的には「二次害虫の出現」という新しい問題があることが分かったのである。自然界の複雑さと、人間の予測の限界をよく示していると思う。

谷口 雅宣
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2006年7月 | トップページ | 2006年9月 »