人工幹細胞と毛包細胞
前回の本欄では、京都大学の山中伸弥教授が、マウスの皮膚細胞の遺伝子を操作することで、ES細胞に酷似した状態を実現した話を書いた。このことと、同大再生医科学研究所の中辻憲夫所長がヒトクローン胚研究を中止したことが、何か関係があるように書いたが、これはあくまでも私の勝手な憶測である。しかし、中辻所長の発表を伝える『京都新聞』の記事には、研究中止の理由として、「ヒトクローン胚を使わないで移植治療の拒絶反応を回避する方法にも可能性がある」ことが挙げられており、その方法の例として「体細胞の遺伝情報を初期化・再プログラム化して作成する人工幹細胞」と書かれているのが、私の目に留まったのである。この「人工幹細胞」という言葉は、私には初耳だった。
そこでインターネットを調べてみると、上記の山中教授の所属する再生医科学研究所が行っている「再生誘導研究」についての説明を見つけた。これがまさに「人工幹細胞」を作る研究で、前回触れた『Science』誌の記事は、そのマウスでの成功を取り上げていたのだった。これはビッグニュースであるはずだが、日本のテレビや新聞は報道しなかったようだ。(少なくとも、私の目には留まらなかった。)
京大再生医科学研究所のウェッブサイトによると、山中教授はES細胞がヒト胚(受精卵)を破壊するという倫理問題を抱えているうえ、患者に移植すると拒絶反応を起こすという問題があるため、「患者自身の体細胞をES細胞に変える」研究に取り組んでいるようだ。山中教授自身の言では、「患者自身の細胞からES細胞に類似した多能性と増殖能を有し、腫瘍形成能は持たない幹細胞を樹立することを目標に研究を行って」いるという。「腫瘍形成能」というのは「ガン化する」という意味だ。培養すればどんどん増殖し、様々な細胞に分化する能力があるが、ガン化しないものを遺伝子操作によって人工的に作るということだろう。素人の私から見れば「魔法」のように見える研究だが、それが決して魔法でないことは、前回触れたマウスでの実績が証明している。
このように、ある研究が「有望だ」とか「可能性が大きい」という理由だけで跳びつくのではなく、倫理問題を起こさないように配慮して研究領域を選び、多少困難であっても新しい可能性に挑戦することは、素晴らしいと思う。そういう研究者が日本にもいて、一定の成果を挙げていることを知り、心強く思った。
ところで、同じ幹細胞の研究では、髪の毛の付け根にある「毛包」から、各種の細胞を分化させるという、これまた(素人目には)“魔法”のような可能性も見えてきている。これは7月12日付で科学ニュースを扱う Newswise が発表したもので、ペンシルバニア大学医科学校の研究者グループは、毛包にある成人幹細胞を培養して神経細胞、平滑筋細胞、皮膚の色素細胞など、何種類もの細胞に分化させることに成功したという。研究成果は、最新号の American Journal of Pathology (アメリカ病理学雑誌)に発表された。
髪の毛包から成人幹細胞が採れることは、専門家の間ではよく知られているらしい。髪の毛包には2~5年間の活動期と3~4ヵ月の休止期が交互にあって、活動期には、髪はここから毎日平均で0.3~0.5ミリ伸びるというから、細胞分裂が盛んな場所であることが分かる。これを、人のES細胞を培養するのと同様の条件下に置くことで、研究グループは様々の細胞に分化させることに成功した。
ここで紹介した人工幹細胞も毛包幹細胞も、いずれも「皮膚」の細胞である。採取は簡単であり、生命の破壊につながらない。こういう“倫理的”な技術を、医学がもっと積極的に採用するようになれば、社会の医療への信頼感はさらに深まっていくと思うのだが……。
谷口 雅宣
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
合掌ありがとうございます。
昨日に引き続いてのテーマなので、繋がった話しで興味深く読ませて頂きました。
感じたことは人類の良心の導きとは上手くできているなあということです。
どういう意味かと申しますと、ES細胞の研究が進む中で、倫理問題からの反対の声があったり、拒絶反応があって立ち止まったりして、結局間違った方向に行き過ぎないように軌道修正がかかるようになっているのだなあということです。
科学の行き過ぎを懸念する声もありますが、まだまだ人類は捨てたものじゃないなと感じました。
再拝
投稿: 玉西邦洋 | 2006年7月19日 23:44
玉西さん、
>> まだまだ人類は捨てたものじゃないなと感じました <<
同感です。ブッシュ大統領も見るべきところはありますね。(笑)
投稿: 谷口 | 2006年7月21日 13:21