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2006年7月17日

クローニングはもう不要?

 1996年7月5日、イギリスで生まれた1頭の雌羊が世界を揺るがした。人類が初めて、体細胞クローニングの技術によって哺乳動物のコピーを誕生させたからだ。この「ドリー」の誕生10年を記念して、イギリスの科学誌『New Scientist』は7月1日号で特集を組んだ。「クローニングの夢は潰(つい)えたか?」という題だから、あまり楽観的な評価ではない。私としては人間のクローン作成など反対だし、ES細胞の研究にも反対しているから、「潰えた」と断定してほしいところだが、治療目的のクローニング(therapeutic cloning)を夢見る人はまだ数が多いから、「潰えた」との断定は非情なのかもしれない。

 体細胞クローン技術を使った再生医療の動向については、本欄で何回も取り上げてきた。しかし、ヒツジに続いてマウス(1998年12月)、ヤギ(1999年4月)、ブタ(2000年3月)、ネコ(2001年12月)、ウマ(2003年5月)、シカ(同)、ラバ(同)のクローンは誕生したが、同じ技術によって「ヒトクローン胚」という人間の胚を作成する技術は、あまり進歩していないようだ。「大進歩があった」として昨年5月に騒がれた韓国の研究では、データが捏造され、ヒトクローン胚からはES細胞自体が作成されなかったことが判明した。だから、この技術の人への応用がいかに難しいかがわかる。

 ドリーの研究では、277個の乳腺細胞から核を取り出し、それを除核卵細胞に注入した。そのうち、代理母の胎内に移植できるまでに成長したのは29個であり、そこからわずか1頭のヒツジが誕生している。その後の動物では多少、効率が向上したものの、本質的にはこの技術の成功率の悪さは変わっていない。これを人間で行おうとすると、何百もの新鮮な卵子の入手をどうするかが大きな問題となり、この点でも、韓国の研究は深刻な倫理問題を抱えていた。だから、体細胞クローン技術を使ったES細胞の研究は、大きな“壁”に突き当たっていると言えるだろう。

 これに対し、ES細胞その他の幹細胞から、神経細胞や皮膚細胞などの各種の細胞を分化させる技術は進歩してきている。ES細胞からは、インシュリンを産生する細胞、心筋細胞、神経細胞、筋肉細胞などがすでに生まれている。昨年6月20日の本欄では、アメリカでマウスの脳にある成人幹細胞から神経細胞を分化させたことを報告した。また、8月29日の本欄では、埼玉医大が患者本人の骨髄中の幹細胞を使って心筋梗塞の治療に成功したことと、既存のES細胞から患者に合致する多種の細胞を効率よく分化させる方法が開発されたことを書いた。また、今年4月6日の本欄では、ドイツの研究グループが、マウスの精原細胞からES細胞に似た多分化能のある幹細胞を作成したというニュースを報告した。さらに6月6日には、人間のES細胞から効率よく神経細胞を作り出す技術を、理化学研究所と京都府立医科大学の研究グループが開発したと伝えた。
 
 ところで、7月7日付の『Science』(vol.313, p.27)には、今年6月29日から7月1日までカナダのトロントで行われた第4回国際幹細胞研究協会(International Society for Stem Cell Research)の年次会議で、京都大学の山中伸弥教授が、マウスの皮膚細胞の4つの遺伝子を操作することで、ES細胞に酷似した状態を実現することができると発表した、と書いてある。これが事実ならば、驚くべきことだ。もちろん、人間の細胞がマウスと同じように操作できるとは限らないが、人で同じことができるようになれば、事態は一変する。なぜなら、ES細胞(に等しい細胞)を入手するためには、もはや卵子はいらず、成人幹細胞もいらず、普通の皮膚細胞があればいいからだ。こうなれば、治療目的のクローニング--つまり、ヒトクローン胚の研究--は全く不要となるのではないか。
 
 6月20日の本欄では、文部科学省の専門家作業部会が決定したヒトクローン胚研究の指針案の内容について報告したが、この指針案が厳しすぎるとして体細胞クローンからES細胞を作る研究を断念する研究者も出てきている。京都大学再生医科学研究所の中辻憲夫所長は、日本でのES細胞研究の第一人者だが、7月14日の『京都新聞』によると、ヒトクローン胚を使った再生医療研究には、研究グループとして当面取り組まないことを、13日に明らかにした。中辻所長は山中教授と同じ京都大学で、研究分野も同じだから、ひょっとしたら別の方法に注目し、クローニングの研究自体には見切りをつけたのかもしれない。
 
谷口 雅宣

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コメント

合掌ありがとうございます。
大阪教区の玉西邦洋です。
久しぶりに書き込みさせて頂きます。
5年ほど前に脂肪から「幹細胞」が取り出せるかもというニュースがあったように記憶しておりますが、やはりこの道の研究は奥が深いと申しましょうか、難しい世界なのでしょうね。
生命の神秘性に人類が是非目覚めて、なおかつ科学の進歩発展を願うばかりです。
自分の皮膚から自身の新しい部品(臓器など)を培養できるようになれば、誰にも迷惑のかからない治療が可能になるということですよね。是非今後の研究成果に注目したいですね。

投稿: 玉西邦洋 | 2006年7月18日 22:49

玉西さん、

 お久しぶりです。コメント、ありがとうございます。
脂肪から幹細胞は取り出せるようです。ただし、種類があまり多くないらしいです。科学と倫理の問題は、恐らく延々と続いていくと思います。

投稿: 谷口 | 2006年7月19日 13:48

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