幹細胞は体中にある
本欄では、受精卵や卵子を使うES細胞(胚性幹細胞)の研究に反対し、患者本人の体にある成人幹細胞を治療に利用する研究を「より倫理的」と考えて推奨してきた。そして、7月17~18日にかけて、成人幹細胞の研究例を振り返ってみた。そういう有望な幹細胞が存在することが分かっている体の部位を列挙すると、脳、骨髄、髪、皮膚、脂肪、歯胚、臍帯血,生殖器……など相当の種類に及ぶ。最近では、「間葉系幹細胞」と呼ばれる幹細胞が注目されているようで、これは骨髄だけでなく子宮内膜にもあることが分かり、研究が進んでいるらしい。成人幹細胞は、だから「全身に散在している」と表現してもいいだろう。
7月25日付の『朝日新聞』の夕刊によると、国立成育医療センター研究所などは、難病の筋ジストロフィーの治療に子宮内膜の細胞に含まれる幹細胞が効果的であることを、マウスの実験によって証明したという。また、同24日に『日本経済新聞』が伝えたところでは、京大の研究グループは、急性心筋梗塞のために、骨髄中の幹細胞移植に遺伝子治療を組み合わせた効果的な治療法を開発したそうだ。また、今年3月に発表された例では、独立行政法人の産業技術総合研究所で、抜歯した親知らずにある歯胚から取り出した幹細胞から、骨、肝臓、神経の細胞を分化させることに成功している。同研究所では、2001年から患者の骨髄内の幹細胞を使って骨や関節疾患、心疾患の患者の治療を行ってきた。しかし、骨髄液の採取は患者への負担が大きいため、歯科で抜歯され廃棄された親知らずに注目し、幹細胞の利用技術を開発したという。
さらに25日付の『日経』には、神戸のベンチャー企業「ステムセルサイエンス社」が、フランスのニース大学と国立科学研究センター(CNRS)から人の幹細胞を培養し、独占販売する権利を取得したと書いてある。この幹細胞は「ヒト脂肪細胞由来多能性幹細胞」(hMADS細胞)というらしい。同社によると、これは人間の脂肪組織中に存在する細胞で、試験管内で容易に培養でき、医薬品の開発に有効な研究材料として価値があるそうだ。具体的には、脂肪や骨に効率よく分化することが確認されていて、糖尿病や肥満や骨粗鬆症等の疾患に対する治療薬の研究に適しているという。こういう成人幹細胞が、すでに国際的取引の対象になっているのだ。同社は、昨年11月にニース大からこの幹細胞を筋ジストロフィーの治療に使う権利を得ていて、この研究をさらに進める過程で高品質の細胞を得られるため、その細胞自体を外部に販売することにしたという。2年後には5千万円の売り上げを目指すというから、将来の需要を見込んだビジネスと言えよう。
私がここで強調したいのは、人間のES細胞を使った再生医療の成功例はまだ存在しないのに対し、成人幹細胞を使った治療はすでに普通に行われており、成功例も数多いということだ。前者では卵子や受精卵を入手する際に倫理問題が多く、その影響もあって提供数が絶対的に少ない。これに対し後者では倫理問題はそれほどなく、患者自身の細胞を使う点でより安全であり、また臍帯血や皮膚、歯胚など、提供者の負担が少なく入手が簡単である。これだけ有利な方法が現に存在し、成果を出しつつあるのに、問題の多いES細胞の研究に力を注ぐ意義が、私にはよく分からない。医学はかつて「医道」とも呼ばれ、倫理性が前提となっていたのだから、21世紀の医療も倫理を尊ぶ伝統を堅持してほしいものだ。
谷口 雅宣
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