« 肉食を考える (4) | トップページ | クローニングはもう不要? »

2006年7月15日

肉食を考える (5)

「人間は他人(ひと)の身になって考えることができる」とよく言われる。また、それができない人のことを「ジコチュー」(自己中心的)など言って非難することがある。また、「隣人を愛せよ」とか「自分にしてほしくないことを他人にもするな」という教えは、キリスト教を含む多くの宗教にある。いずれの場合も、人間には「自己を相手に同一化して相手の感情を推し量る」能力があることが前提になっている。この能力を「感情移入」(empathy)といい、人間の人間たるべき特徴の1つだと考えられてきた。また我々は、この感情移入ができるために、演劇や映画を楽しんだり、スポーツを観戦したり、小説に熱中したり、講演や漫才に出かけるのだ。

 ワールドカップのサッカーの試合で、フランス・チームのキャプテンであるジダン選手が、対戦相手のイタリア選手に頭突きを食らわしたことが、世界中の耳目を集めた。これは観戦者が同選手に感情移入して、「ベテラン中のベテラン選手が有終の美を遂げるべき試合でわざと反則するのだから、よほどの侮辱を受けたに違いない」と考え、その理由に関心が集まったからだ。これに比較して、ブタやウシやヒツジやウマ……つまり、家畜のような動物は、同種の仲間に対して感情移入することはない、というのが常識だった。ところが最近、アメリカの科学誌『Science』(vol 312, 30 June 2006)に発表された研究では、ネズミが仲間に対して感情移入する可能性が指摘されている。

 この研究は、カナダのモントリオール市にあるマクギル大学の心理学者、ジェフリー・モーギル(Jeffrey Mogil)教授らによるもので、マウスは、よく知っている仲間のマウスが痛みを感じているとき、自分自身も痛みを感じやすくなる、との実験結果を得た。これを「感情移入」と呼べるかどうか判然としないが、仲間のマウスの様子を見て自分の反応を変えるという点は、何となくそんな気もする。
 
 この研究では、モーギル教授はマウスの腹に酢酸の薄い水溶液を注射した。単独で飼われていたマウスは、この注射後、予想通り身をよじって苦しむ反応を示した。しかし、最低1週間、別のマウスと一緒に飼われていたマウスは、同じ濃度の酢酸水溶液を2匹同時に注射されても、苦悩を示す時間が単独で飼われていたマウスよりも長くなったという。これに対し、一度も一緒にいたことがない2匹のマウスで同じ実験をすると、苦悩を示す時間が有意に長くなることはなかった。また、モーギル教授は、マウスが足に熱を感じて引っこめるまでの時間を測定する実験もした。この場合、仲間が目の前で酢酸水溶液を注入されて苦しむのを見ているマウスの方が、単独で熱を感じたマウスよりも速く足を引っ込めることが分かった。同教授によると、この実験が重要なのは、マウスは単に仲間の動作をマネているのではなく、自分は酢酸など注入されていないのに、仲間の苦しみを見ることで自分の痛覚が敏感になったと考えられるからだという。
 
 モーギル教授らは、これがマウスの感情移入の証拠だとしているが、反対意見もある。しかし、「感情の感染」(emotional contagion)が起こった証拠だと解釈する人は多い。この感情の感染とは、例えば、病院の新生児室で一人の新生児が泣き出すと、それにつられて多くの赤ちゃんが一緒に泣く現象だそうだ。この場合、一人ひとりの赤ちゃんは、最初の赤ちゃんがオムツが濡れたために泣いたと理解できなくても起こる。多くの研究者は、この感情の感染は、もっと複雑な感情移入が成立するための過程で起こると考えているらしい。だから、マウスは、親しい仲間の感情を自ら直感的に感じる、ということではないか。
 
 マウスは、同じ哺乳動物であるブタやウシより優れた脳をもつわけではない。マウスが感じることは、恐らくブタやウシも感じている。だから、屠殺場へ曳かれていくウシは直感的に脚を止めて抵抗し、恐怖で小便を漏らすのだろう。我々人間の多くは、この事実を見てはいない。しかし、感情移入というものがすぐれて人間的な心の特徴であるならば、我々は殺される家畜たちの恐怖や苦しみを「無視する」のではなく、感情移入によって「追体験する」ことが人間らしい生き方と言えるのではないか。だから、肉食は人間的にも問題なのだ。
 
谷口 雅宣

|

« 肉食を考える (4) | トップページ | クローニングはもう不要? »

コメント

合掌ありがとうございます。
私は北海道出身で、昨年まで札幌市に住んでおりました。
子供の頃親戚が北海道の富良野市で牧場(酪農業)をしており、夏休み等にはよく遊びに行ったものです。
或る日、雄の子牛が生まれ何日かすると、その牧場にトラックが来ました。生まれて何日も経たないかわいい子牛を何人もの大人が必死でトラックに乗せようとするのですが、子牛は叫びにも似た鳴き声と、大きな目から涙を流し、足を突っ張って決して乗ろうとしませんでした。やっとの思いで乗せると、今度はそれを見ていた幼い従兄弟がトラックの前に走り出て、トラックを制止しようとする光景を目の当たりにしました。詳しい事情を知らない当時小学生だった私でも悲しい気持ちになったのを思い出しました。今思うと、殺されたくないという思いと、殺させたくないという思いの交錯した場面に出くわしたのだと思います。
 子供の情操教育に良いからと言われ、卵から孵したニワトリ(烏骨鶏)が16歳を迎え、現在も我が家の家族として一緒に暮らしています。
 副総裁先生のブログを拝し、教修会を受け、食生活について、今までよりもさらに一歩深いところで考えるようになりました。
 もっとも食事の献立については妻の協力が必要とされているところですが・・・。
 感謝合掌 井下昌典

投稿: 井下昌典 | 2006年7月17日 23:22

井下さん、

 コメント、ありがとうございます。奥様の協力は、不可欠ですね。

 フーム、烏骨鶏ですか……。ひょっとして16歳というのは“老女”ではないのですか? 卵は産んでくれるのですか?
ネコの襲撃はありませんか?

投稿: 谷口 | 2006年7月18日 15:15

合掌ありがとうございます。
我が家の烏骨鶏は雄なので残念ながら卵は生みません。
寿命は普通7~8年と聞いておりますのでギネス級のお爺さんです。家の中で箱に入れて飼っていますので、猫の襲撃にも会っていません。最近は、しわがれ声で「ココケッコウ」と鳴いています。
感謝合掌 井下昌典

投稿: 井下昌典 | 2006年7月19日 00:05

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 肉食を考える (5):

« 肉食を考える (4) | トップページ | クローニングはもう不要? »