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2006年7月14日

肉食を考える (4)

 現代の食肉生産は工業製品の生産方式に倣っている、とはしばしば言われてきたことである。すなわち、単位面積当たりの生産効率と人件費の節減をねらい、生産単価を下げることで市場でのシェアー拡大をめざすのが当たり前になっている。ここに大きな問題がある。それは、「生き物を生き物として扱わない」からだ。どんな生物にも、生存に適する一定の“広さ”がある。それは“縄張り”などと呼ばれることもあり、一定範囲内に同種の生物がいくつも入り込むと“争い”の原因になる。植物でも、狭い土地に近接して植えれば、日光や栄養の取り合いになることは誰でも知っている。

 しかし、食肉生産の現場では、効率化をねらって狭い場所でできるだけ多くの動物を、できるだけ短期間で飼育する。ブロイラーの生産などでは、身動きができないほどの狭い籠にニワトリたちを閉じ込める。そして、互いに傷つけ合うことがないようにクチバシの先を切り取ることさえする。ブタの場合も似たような状況で、狭い“箱”のような枠内に詰め込むから、互いにシッポを噛み合う現象も出る。そして、短期間に大きく育てるために成長ホルモンを投与することは珍しくない。また、自然界と著しく異なる環境で育てられるストレスから、動物たちが病気になるのを防ぐために、抗生物質を与える。

 こういうことは私も前から聞いていたが、教修会の発表で初めて知ったのは、柔らかい子ウシの肉(ヴィール)を採るためにどんなことが行われるかである。寺川昌志講師の発表から引用しよう:
 
 「乳離れ前の子牛をやっと入る位の木枠の囲い(56㎝×137㎝)の中に閉じこめる。その理由は筋肉がつくのを防ぐためで、首は鎖で繋がれ僅かしか動かせない状態にする。そのため本能の動作である自分の体を舐めることも出来ない。更に脂肪が付きやすいという理由で暗闇に置かれる
 与えられる特別ミルクとは、餌から鉄分と繊維分を徹底的に抜いたものという意味であり、これは子牛をわざわざ貧血状態にして肉色をピンク色にするためのもので、そのほうが高値で売れるという理由による。また、少しでも多く肉をつけるために水も与えず、特殊ミルクのみを与える。このような不健康な飼育のため出荷までに死ぬケースも多く、その予防のために多量の抗生物質が投与されるが、中には発ガン性の高い薬品も含まれている」

 つまり、食肉生産の現場には“動物残酷物語”が満ち満ちているのである。「どうせ殺すから、どんな方法で飼育し殺してもよかろう」と読者は思うだろうか? 「人間の食用になるのだから、自然の本能や生き方など無視してもいい」と読者は考えるだろうか? こういう育て方が虐待や拷問でないならば、いったい何を虐待と言い、拷問と呼ぶべきだろう。我々は「単なる消費者だから」という言い訳で、免罪符を得ることはできない。消費者がいなければ、生産者はいないからだ。
 
 ブタもウシも人間と同じ哺乳動物である。このことをよく考えるてみると、我々が肉食のためにしていることは、正当化するのが難しい。哺乳類は、魚類や鳥類、爬虫類に比べて、大脳が発達している。脳科学者の山本健一氏は、これが「刺激に対する一定の反応」という紋切り型の行動ではなく、「物事の本質をよく理解したうえでの柔軟性をもった反応」を可能にしているという。そして、次のように続ける:
 
「この柔軟な行動を可能にする内的な“世界の縮図”、あるいは“内的宇宙”、これを“心”というならば、哺乳類は“心”をもった動物といってもよかろう。他の哺乳類と人間との間に言葉は通じない。しかし、人間が心をもつことを自然科学が否定しえないと同様に、他の哺乳類が心をもつことも自然科学は否定しない方が良いだろう。我々と彼等の心の間に質的な違いはないと思う。」(講談社刊『脳とこころ』、p.66)

 イヌやネコを飼っている人は、経験に照らしてこの文章は納得のいくものだろう。寺川講師は、かつて屠殺場で働いていた老人が語った言葉を紹介していた--「屠殺場に着いた牛は、恐れて脚を動かさなくなる。それを引っ張ることをやってたよ。小便も漏らす。解体場に曳いていくときには涙を流して鳴く」と。“知らないで犯す罪”の一端が、ここにある。

谷口 雅宣

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コメント

私は肉屋の息子でした。屠殺現場を見せられたことはありませんが(とても子どもには見せられなかったのでしょう…)、精肉業で得られた生活の糧で自分は育てられてきたのだと思うと、本当にすまない気持ちでいっぱいになります…。

私自身、10代の頃まではよく肉を食べていましたが、24のときに生長の家に触れて、それから2年後の26歳のときに、ピタッと肉食をやめてしまいました。昼食に頼んだ「トリ雑炊」の鶏肉が、そのとき急にグロテスクで気持ち悪く見えたからです。「こんなに気持ちの悪いモノをこれまで平気で食べていたのか…!」と愕然としたものでした。

ちょうどその日の夜、『生命の実相』万教帰一篇にウシの屠殺の様子を描写したトルストイの文章が引用されているのを読んだことが、最終的な決定打となりました。

肉食の弊害を根気よく伝えていくことが私の使命であると、改めて決意する次第です。山中優 拝

投稿: 山中 | 2006年7月14日 22:56

谷口雅宣先生

 私自身もこの手の「事実」を知って肉をやめました。私の場合は、副総裁先生が平成12年に「相愛会・栄える会合同全国大会」で紹介された豚や鶏の飼育法を知り、衝撃を受けてから肉食をあまりしなくなりました。(ときどき鶏肉は食べていましたが、現在は、ほとんどしていません)そして、そのとき先生が紹介されていたジョン・ロビンズ氏の著書『エコロジカル・ダイエット』を読み、ますますショックを受けました。

もっとも肉を食べないのは妻の協力なくしては成り立ちませんが、彼女は“脱肉食”については、私より1年“先輩”です。妻が肉食を止めようと思ったのは、谷口清超先生の「肉食をするのは動物に対する愛がまだ足りないからですね」という主旨のご講話を聞いたのがきっかけだそうです。動物好きの妻にとってはグッと胸に応えたようです。

 阿部 哲也 拝

投稿: 阿部 哲也 | 2006年7月15日 13:08

山中さん、
阿部さん、

 肉食をやめた経緯、それぞれよく分かりました。
 この場での発表、ありがとうございます。こっと他の読者の参考になると思います。

投稿: 谷口 | 2006年7月15日 22:32

副総裁・谷口雅宣先生

 合掌、ありがとうございます。
 先日、ご指導いただいた青森の講習会で、ある女性が先生に
「息子が食肉加工会社に勤めているため、内の冷蔵庫は肉でいっぱいです。私は肉を食べるのも料理するのも嫌なので、そのことで喧嘩になります…」という主旨の質問をしました。そのとき副総裁先生は、肉食を控える理由について、
 ①宗教上の理由
 ②環境上の理由
 ③健康上の理由
の3つをご指導くださいましたが、講習会から帰宅したその女性は、早速、講習会で学んだことを、息子さんに話したそうです。
 先日、その女性に会いましたら、「いつもは感情的になって話すので喧嘩になってしまいましたが、先生より教えていただいた通りを冷静になってはなしたら、息子が理解してくれました!」と大変感激しておりました。
 先生のご指導に心から感謝申し上げます。
              青森教区・竹村 正広 再拝

投稿: 竹村正広 | 2006年7月18日 11:28

竹村さん、

 そうですか。息子さんも、しっかり考えて下さるといいですね。そのご婦人によろしくお伝えください。

投稿: 谷口 | 2006年7月18日 15:18

副総裁先生

ご多用の中、レスをつけてくださり、ありがとうございます!

講習会終了後、受講者からは上記のような喜びの報告が連日届いております。特に初参加者からの反響が大きく、誘った幹部たちが「生長の家の取り組みについて理解してもらえた!」と感動しておりました。

今、青森は喜びと感動で溢れております。

ご指導くださいました副総裁先生に改めて感謝申し上げます。
ありがとうございます!
           竹村正広 拝

投稿: 竹村正広 | 2006年7月19日 18:23

合掌 ご文章を拝読し、家畜の飼育について肉食という問題とは別に、もう一つの問題点を感じました。それは抗生物質の乱用という点です。現代医学は抗生物質が効かなくなった耐性菌の蔓延に悩まされています。実は、私自身、今年初めに流行したインフルエンザへの感染をきっかけにそれまで隠れていた肺の中の耐性菌が暴れ出し、肺炎となりひどい目に遭いました。
 もちろん、私の信仰の薄さや心の問題もあるとは思いますが、抗生物質の使用は必ず耐性菌を生み出し、人類と動物たちを危機に陥れる可能性を秘めていることも忘れてはならないと思います。 再拝

投稿: 田原康邦 | 2006年7月25日 17:21

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