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2006年7月24日

「偶然はない」ということ (2)

 前回の本欄では、出勤の玄関先で1匹のアリに出会う話をした。読者は実際に今朝、玄関先でアリに出会っただろうか? もし出会った人がいたならば、その人は「何という偶然か!」と驚いただろうか?--つまり、「インターネットでアリと会う話を読んだ翌日に、本当にアリに会った!」と驚いただろうか? もし驚いたならば、その人は、私が前回書いた内容をよく理解されていないかもしれない。私が言いたかったことは、「人間の意図や関心が介入せずに、何ごとかが“偶然に”起こると認められることはない」ということだ。表現に正確さを期すために、まわりくどい表現になっているが、これを思い切って端的に言えば「偶然はない」ということになる。
 
 例題をもう一つ挙げよう。私は昨日の朝、JR原宿駅前にある竹下通りから東郷神社側へ道を折れ、神社境内へつづく石段を上ろうとしたところで、石段上にクリーム色の折り畳み傘の袋を見つけた。これを普通「偶然に見つけた」と形容するだろう。「偶然」という日本語には「予期せずに」という意味があるから、その意味ではこの用法は正しい。しかし、「偶然」のもう一つの意味は、「因果律によってあらかじめ知ることができない事が起こること」(『新潮国語辞典』)であり、その反対語は「必然」である。この2番目の意味では、私は傘の袋を「偶然見つけた」と言えるかどうか、疑問である。なぜなら、私はそれを見つけた瞬間、「ああ、これは折り畳み傘を急いでバッグから出した人が、その袋をきちんとしまいそこねたな」と思ったからだ。小雨が降ったりやんだりする日には、折り畳み傘のケースがよく道路に落ちていることは、読者も気づいておられるだろう。つまり、この出来事は、事前にある程度予期できていたから、私は驚かなかったのである。
 
 上に書いたように、予期できることが起こるのを「偶然に起こる」とは言わない。少なくとも、上に書いた2番目の意味では正しい用法ではない。しかし、1番目の、単に「予期せずに」の意味では、「偶然に傘の袋を見つけた」と言ってもいいのだろう。この違いは微妙だから、間違いやすい。1番目は、「そのとき傘を見つけた人がそのことを予期していなかった」という軽い意味である。「予期していなかった」理由は、別のことを考えていたからでも、アイポッドの音楽を聴いていたからでもいい。しかし、いったんそれを見つけて「アッ、あの袋は傘の袋だから、誰かが傘を開いたあとで落としていったな」と、その出来事の因果関係を推測できた場合は、「予期できること」が起こったのである。だから、2番目の意味では「偶然見つけた」ことにはならない。
 
 ずいぶんメンドーな議論だ、と怒らないでいただきたい。結局私が言いたいことは、1の場合も2の場合も、「予期する」という人間の心の動きが関与している、ということだ。つまり、「偶然」という現象は、人間の心と離れた場所--いわゆる“外界”で客観的に起こるものではなく、ある現象と遭遇した人の心の中で起こる一種の“解釈”なのである。Aという出来事に対して「それは偶然だから仕方がない」と考える人は、Aが起こるにいたるまでの因果関係を認めないから、Aが再び起こることを防止できない。しかし、Aが起こったことは「偶然でなく、何か原因がある」と考える人は、その背後の因果関係を探ろうとするから、Aの再発防止に成功するかもしれないのである。どちらが賢い生き方かは、説明する必要はないだろう。

 生長の家で「偶然はない」というのは、それは人間の心の中の現象(解釈)であるから、神の創造ではないという意味である。「現象はない」というのと似た意味だ。我々の人生には常に何かが起こっているのだから、それを「善」の方向へ導くための努力は、大変重要である。“偶然起こる”と感じられることには悪事もあれば善事もある。悪事は再発を防止しなければならないが、善事は何回起こってもいいはずだ。そういう意味でも、出来事の背後にある因果関係を考えずに「偶然だ」ですませる生き方は、あまりお勧めできないのである。
 
谷口 雅宣

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コメント

「偶然はない」ということについて、大変興味深く読ませていただきました。

つまり、もしも今朝「アリに出会った」とすると、1の「予期せずに」という軽い意味では“偶然に”出会った、と言えるけれども、2の「因果律によってあらかじめ知ることができない事が起こること」というもっと深い意味では、そうは言えない、という理解でよろしいでしょうか? というのも、この夏の時期にアリさんたちがセッセと歩いている(あるいは働いている)のを見ることは、アリの生態からすれば、季節的に十分ありうることですから…。

とすると、もしもその時に「誤ってアリさんを踏んづけてしまった」とすれば、1の意味では偶然と言えるけれども、2の意味では、そうは言えないということにもなりますね。というのも、その場合には、心のどこかで「ちょっとぐらい不注意で踏んづけてしまっても仕方ないや」と思っていることが原因でしょうから…。

いずれにしても、「偶然に幸運(あるいは不幸)に出会った」というのは、一般的にはよく持たれている人生観(世界観)だと思いますので、人生に希望を見出すためには「偶然はない」ということは非常に大切なことだな、と改めて思いました。山中拝

投稿: 山中 | 2006年7月24日 21:54

山中さん、

>>もしも今朝「アリに出会った」とすると、1の「予期せずに」という軽い意味では“偶然に”出会った、と言えるけれども、2の「因果律によってあらかじめ知ることができない事が起こること」というもっと深い意味では、そうは言えない、という理解でよろしいでしょうか? <<

 そう思います。
 ところで、この日本語の「偶然」という言葉に相当する英語ですが、accident も coincidence も何か違うような気がするのですが、どう思いますか?

投稿: 谷口 | 2006年7月25日 13:08

私の手元にある_The Concise Oxford Dictionary of Current English_ (8th edition, 1990) によると、accident, coincidenceには、ここで関連しそうなものとしては、それぞれ次の意味と用例が載っていました。以下( )内の英文は用例です:

accident
1 an event that is without apparent cause, or unexpected (their early arrival was just an accident).
2 an unfortune event, esp. one causing physical harm or damage, brought about unintentionally.
3 occurrence of things by chance; the working of fortune (accident accounts for much in life).

coincidence
1 (a) occurring or being together. (b) an instance of this.
2 a remarkable concurrence of events or circumstances without apparent causal connection.

ですので、accidentの3を除けば、そこに込められているのは、要するに「予期せずに」「明白にそれと分かる因果関係がないままに」〔しかしよくよく考えてみると、人間の側に何らかの原因がある〕という意味だと思いますが、accidentの3になると、「因果律によってあらかじめ知ることができない事が起こること」という深い意味での「偶然」という意味合いが入っていそうです。

ですが、その場合はむしろ、chance/fortune/luck/fateといった言葉の方が、「人間の心と離れた場所で起こる」あるいは「人間にはどうしようもない力によって降りかかってくる」という意味がよく伝わるのかもしれません。

ですから、英語で「偶然はない」と端的に言おうとすれば、たとえば"No working of fortune."という表現になるのでしょうか…?

投稿: 山中 | 2006年7月26日 08:02

すみません、先ほどのaccidentの2ですが、

an unfortune event ではなくて、an unfortunate eventの誤りでした。大変失礼いたしました。

投稿: 山中 | 2006年7月26日 08:20

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