アインシュタインの“神話”
相対性理論で有名なアルベルト・アインシュタイン博士(1879-1955)が日本の天皇制を絶賛したという話を聞いたことがある人は多いと思うが、そういう事実はなかった可能性が大きいとする記事が、6月6日の『朝日新聞』夕刊に載った。東京大学の中澤英雄教授(ドイツ文学)がその讃辞の出典を調べた結果、どこにも確かなものがなく、その代わりに、よく似た趣旨の言葉が、ローレンツ・フォン・シュタイン(Lorenz von Stein, 1815-1890)という全く別のドイツ人法学者の発言として、戦前に発行された田中智学(1861-1939)という宗教家の本の中に記されているのが分かったという。そこで中澤教授は、問題の発言をさらにシュタインの講義録などで確認しようとしたが、該当するものはなかったという。
この『朝日』の記事では、中澤教授の結論は「結局、起源はシュタインの言葉でもなく、田中智学が自らの思想をシュタインに寄せて語った文章の可能性が高い」というものだ。が、同教授は、月刊誌『致知』の昨年11月号に寄稿した文章の中では、もっと断定的にこう書いている--「アインシュタインの予言」として知られている言葉は元来、アインシュタインのものでもシュタインのものでもなかった。国体思想家・田中智学のものであった」。(p.125)
田中智学という人は、日蓮宗の僧から還俗して在家仏教運動を始めた人で、立正安国会、国柱会を創設。主として講演と著述によって折伏中心の活動をした、と平凡社の『世界大百科事典』にはある。著書に『宗門之維新』『本化摂折論』『日蓮主義教学大観』などがあり、「<日本国体学>を提唱、国体の開顕に努めた」という。中澤教授によると、田中氏は戦前の日本国体思想に多大な影響を与えた思想家であり、「八紘一宇」という言葉は、彼が『日本書紀』の語句を使って造語したものという。さらに中澤教授は、「彼の思想は、彼の弟子・石原莞爾の『最終戦争論』へと受け継がれた」としている。上記の“シュタインの発言”とされている文章は、田中氏が1928年に出した『日本とは如何なる国ぞ』という本の中にあり、それは当時の大ベストセラーだったそうだ。
だから、これを読んだ人が「シュタイン」と「アインシュタイン」を混同して、いつのまにか“アインシュタインの予言”という一種の“神話”が形成されたらしいのである。なかなか興味深い話で、説得力もある。ちなみに、シュタインとはどういう人物かといえば、「ヘーゲルと社会主義者の影響下で、階級闘争の市民社会を階級中立的な君主が抑制し、弱者である労働者階級を保護するという社会君主制論を唱えた」(前掲の大百科事典)とある。日本との関係では、「伊藤博文に憲法の基本原則を講じ、とくに過激自由主義の誤り、民族的伝統尊重の必要、君主権の重要性などを強調した」という。
シュタインの思想と田中氏のそれとがどれほど近いか私は知らないが、出典がはっきりしない引用文は、ベストセラーに載って“一人歩き”することがあり、さらに「名前が似ている」ということで別人の発言だと信じられていくことが分かる。最近、問題になっている日本人洋画家の“盗作”事件でも、アイディアや着想の起源をゴマ化したことで、栄えある賞を受けた後に大騒ぎをしなければならないことになっている。もの書きのはしくれとして、典拠明示の重要性を改めて教えられた気がする。
谷口 雅宣
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コメント
谷口雅宣先生
またまた、ちょっとショッキングな御文章だと思いました。私共、生長の家の信徒はこのアインシュタインの話はよく、知っていると思いますし、私も地方講師として講話する時などもよく引用してましたから。自分がそうだと思っている事でも、それが単なる固定観念である事が多いのですね。
先般の皇室典範の件も皇統の男系継承が当たり前でこれを絶対変えてはならないという考えを私は持っておりましたが先生のご指導でそれが本当にそうなのか私なりにもう一度、勉強し直させて頂きました。お陰様でその中で自分の考えが形式的で行き届かないものであった事に気付かせて頂きました。
堀 浩二
投稿: 堀 浩二 | 2006年6月 9日 11:44
堀さん、
お久しぶりです。コメントに感謝します。
>> ちょっとショッキングな御文章だと思いました。<<
私の意見がショッキングなのでしょうか。それとも“事実”がショッキングなのでしょうか?
投稿: 谷口 | 2006年6月 9日 12:41
谷口雅宣先生
<< 私の意見がショッキングなのでしょうか。それとも“事実”がショッキングなのでしょうか?
あまり、明確に区別して考えていませんでしたが、事実に基づいた先生のご意見が私の固定的考えを揺るがすものでしたのでそういう意味でちょっとショッキングでした。
堀 浩二拝
投稿: 堀 浩二 | 2006年6月 9日 13:46