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2006年6月17日

欲望からの自由

 長崎県西彼市の生長の家総本山で行われた「谷口雅春大聖師21年祭」に参列し、1200人ほどの参列者の方々にご挨拶させていただいた。この日は未明、屋根をたたく豪雨の音で目が醒めたほどだったが、年祭の始まる午前10時ごろには雨はほとんどやみ、暑くもなく、寒くもない穏やかな天候のもとにお祭が恙なく挙行できたことは、本当にありがたかった。今回は、特別に台湾からの参列者が58名あったので、大聖師の最期のご様子にも触れて話をした。以下は、その大略である:
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 今日は皆様、谷口雅春大聖師の祥月命日のお祭りに大勢出席くださいまして、誠にありがとうございます。谷口雅春先生は、今を去ること21年前の今日の日に昇天されました。その当時の経緯は、先生の追善供養祭のときに発行された『生長の火をかざして』(世界聖典普及協会刊)という本に詳しく書かれています。それによりますと、先生は昇天される1週間ほど前からお食事をされなくなり、4日前からは意識がしだいに薄くなられ、最後に神様にお祈りをされてから、眠るように亡くなられていったことが分かります。

 さきほどの本には私も一文を寄せているので、その一部を皆様にご紹介します。「尊師は山上を駆く」という文章です:
 
「谷口雅春先生は、6月5日ごろからその食事も召し上がらなくなり、11日に主治医の勧めで入院された。
 12日の午後3時頃には、病室へお見舞いに来られた輝子先生が御顔を覗き込まれると、目を開かれて、
“あんた、お茶摘み祭に行って来たのか?”
 と訊ねられたという。
 夢を見ておられたというよりは、この時、先生の霊(みたま)は既に肉体の繋縛(けいばく)から半ば派なれて、どこか地上の茶摘み祭を御覧になっていられたような気がしてならない。
 輝子先生はその後再び、病院へ足を運ばれることはなかったが、雅春先生のお側には、最後まで看護の人が付き添っていた。
 その人の話によると--
 13日午前2時20分ごろ、先生は「お茶が飲みたい」と仰言ったので、付き添いの人は湯呑み茶碗にお茶を入れて差し上げた。先生はそれをおいしそうに3口飲まれた。その後、腰が痛まれるようなので、付き添いの人は先生の腰を摩って差し上げていたという。
 3時半ごろ、先生の口から不意に次のような言葉が漏れた。恐らく、あの食前のお祈りをされる時のような、穏やかで、丁寧な口調だったと思う。
“病い無し。迷い無し。罪無し--これが生長の家の根本真理であります。それでは神様、唯今より眠らせて頂きます。それでは神様、唯今より眠らせて頂きます”
 それ以後、先生の口から“言葉”の形で出たものはなかった。
 尊師は文字通り最期まで真理を説かれながら、神様のみもとに還って行かれたのである」
 
 こうして大聖師は「罪も病も迷いもなし」と教えを説かれて一生を終えられた。しかも、この教えは、自分のオリジナルでも何でもなく、永遠に説き続けられてきた真理を説きなおしただけであると書いておられます。絶筆となった『碧巌録解釈』の最後の御文章では--

「私が『碧巌録』の講義をここに連載しようが、連載しまいが、まさに私は『碧巌録』講義の祖ではないのである。私の今まで書き綴ってきた講義は、単に先師の講義せられたところに啓発されたところの祖述に過ぎないのである」

 と書かれている。
 これは、実に先生らしい謙虚なお言葉であり、万教帰一の真理を説かれたお言葉でもあります。自分はこの先師の教えを「祖述した」に過ぎないと仰っている。「祖述」とは、「遠く先人の道にもとづいて述べる」という意味です。仏教の文脈で「先師」と言う場合は、お釈迦様以来のインドや中国、あるいは日本の偉いお坊さんのことを指しますが、皆様もご存じのように、雅春先生は西洋哲学にも通暁されていましたから、きっと古代ギリシャの哲学者のことも含めて「先師」と書かれたに違いないのであります。
 
 人間の魂は不死であって、永遠に生き続けるというのは、洋の東西に共通した宗教的、哲学的真理として、何千年も説き続けられてきたことです。しかし、最近はそういうことを言うと奇異な目で見られることがあるのは、残念なことです。肉体は魂がこの世で学習するための道具であり、いずれは脱ぎ捨てていくべき“宇宙服”であることを生長の家では説きます。この肉体をもった人生とは、したがって“魂の修行”“魂の学習”が目的であるわけですから、肉体の快楽や、それを保証する金銭や名誉を得たり、増やしたりするのが目的ではない。人々や生きとし生けるものを愛し、慈しんで、仏の心や神の万徳を表すことが目的である、と教わっています。
 
 人間は18~19歳を過ぎた頃から、肉体的にはしだいに衰えていくことが分かっています。現在、日本人の平均寿命は男女ともに80歳を越えていますが、そうすると、我々は肉体的にはわずか20年間しか成長しないのに、その後、60年も生きることになる。もし人間が肉体であるならば、どんなにガンバッテも高校卒業時から向上することはなく、死に向って60年もかけて緩やかに老化していくのが人生ですから、こんな無駄なことはないのであります。しかし、皆さんもご存じのように、人間は精神的には、高校を終った頃から急速に成長を始めるわけです。このように肉体と精神の成長にはギャップがあるのは、なぜでしょうか?
 
 古代ギリシャの哲学者であるプラトンに『パイドン』という著作があります。これは、自分の師であるソクラテスを主人公にして、そのソクラテスと弟子たちの対話の中から真理を導き出す手法を使っています。とりわけこの本では、「魂の不滅」について色々な哲学的証明をやっています。その中に、肉体と精神の関係について、興味深い記述があるのでそれを紹介します。
 
 ソクラテスは大哲学者でありましたが、当時の政治権力に敵視されたために、死刑の判決を受け、毒杯をあおって死んでいきます。その死刑が確定した後に、弟子たちと交わす会話がこの『パイドン』には収録されているのです。ソクラテスはその中で、「自分は哲学者だから、死んでいくことが待ち遠しい」と言います。死ぬのが楽しみだというのです。なぜなら、死によって、自分は魂として一層飛躍できるからです。肉体をもっている間は、肉体が世界を正しく知ることを妨げるので、死ぬことで魂は真に自由な修行ができるといいます。彼の言葉を引用すると--
 
「肉体は、それを養うことが避けられないために、無数の厄介を我々に背負わせるのだ。さらに、もし何かの病が我々を襲えば、それは我々の真実在の探究を妨害するだろう。肉体は、また愛欲、欲望、恐怖、あらゆる種類の妄想、数々のたわごとで我々を充たし、そのために、諺にも言われているように、我々は肉体のために、何かを真実に、また本当に考えることが決してできないのである。(…中略…)かりに我々に肉体からの多少の解放が生じ、何かを考察することへ向ったとしても、探究の最中でふたたび肉体はいたるところに出現し、騒ぎと混乱を引き起こし、我々を脅して正気を失わせる。その結果、我々は肉体のために真実を見ることができなくなるのだ」。(岩波文庫『パイドン』pp. 35-36)
 
 このように、我々は肉体から出てくる食欲、睡眠欲、性欲をはじめ、所有欲、名誉欲などの物質的欲望から自由になることで、本当の価値の追及--神の子としての自己実現が可能になってくるのです。だから、20歳から先の60年の人生というものは、肉体的・物質的欲望から自由になることで仏を表していく過程であり、そのために肉体の成長と魂の成長には時間的に大きなズレがあるのです。

 どうか皆さんも、最後まで真理を説き続けられた大聖師のお姿を手本として、欲望の追及ではなく、欲望から自由になることで神の子の実相、仏の本性を表現していく価値ある人生を送っていただくことを念願いたします。大聖師の祥月ご命日に際して、ひと言、所感を述べさせていただきました。ありがとうございます。

谷口 雅宣

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コメント

谷口雅宣先生

 私は今回、団体参拝練成会に出席させて頂いておりましたので幸運にも「谷口雅春大聖師21年祭」に参列させて頂く事が出来、先生のお言葉も直に拝聴させて頂きました。

 朝からけっこう降っていた雨も先生がご到着になる10分位前からぴたっとやんで本当にびっくり致しました。お祭りが済んだ後、また雨が降ってきましたが午後の献労の時間になったらまた雨がやみました。

 先生のお言葉はじかに拝聴させて頂いた時も感銘致しましたが、こうしてもう一度じっくり拝読させて頂きますとその意味されている事に改めて深く感じ入ります。

 午後の献労をしながら参加者同士で先生のお言葉の意味を話し合っておりましたが、私は「人間は肉体ではないという意味だと思う。」と言いましたら他の参加者の方は「生長の家の年配の信徒もまだまだ頑張って欲しいという先生の願いではないか」と言ってました。

堀 浩二拝

投稿: 堀 浩二 | 2006年6月19日 09:15

堀さん、

 あなたが参列されていたなど、知りませんでした! 献労、ご苦労さまでした。ありがとうございます。

投稿: 谷口 | 2006年6月19日 13:19

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