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2006年5月 7日

中国と宗教

 中国とカトリック教会との間に緊張が高まっている。カトリック教会は、ベネディクト14世が教皇となってから、中国との外交関係を回復しようと試みていたが、それが暗礁に乗り上げた恰好だ。事のいきさつは、中国の特定地域のカトリック教会を統轄する「司教」という地位の人間を、バチカンの反対を押して中国側が選んだことに始まる。4月30日に、中国の雲南省昆明教区の司教として一人、これに続く3日には、東部の安徽省蕪湖教区の司教としてもう一人を選んだ。もちろん中国政府が直接選ぶのではなく、毛沢東が設置した政府支配下の「中国カトリック愛国会」が“民主的”に選んだことになっている。5日付の『ヘラルド・トリビューン』紙が伝えている。

 この動きに対し、ベネディクト14世は4日、中国カトリック愛国会の行動を「カトリック教会の統一性に深刻な打撃を与えた行為」として厳しく批判し、バチカンの反対を無視して選ばれた2人の司教や、その任命式に関わった司教の「破門」を臭わせる声名を発表した。教皇の批判は愛国会にだけ向けられているのではない。声明文は「司教や司祭らは--教会の外部組織から--司教任命式への参加のために強い圧力や脅迫を受けた」と指摘し、バチカンは「中国国内のカトリック教会の苦悩多き前進を注意深く見守ってきて」おり、「今の時代には、同様の嘆かわしい事件は過去に葬る」ことを望むとしている。
 
「信教の自由」の立場からは、バチカンの声明には何も問題がないし、むしろ当然と言えるだろう。カトリックの教えを信じる人々の組織の中で、誰が指導的立場に立つべきであるかは、その組織の内部規則に定めた通りのものだろう。カトリックの信仰ももたない組織の外部の人間が、規則を無視して「彼は適当でない」とか「彼よりもA氏が司教になるべきだ」などと指図することは、確かに「教会の統一性に深刻な打撃を与える」と言える。しかし、中国のように「共産党独裁」を国是とし「信教の自由」を認めない国家では、中国共産党の国家運営の「統一性」の方が、カトリック教会内部の統一性よりも重要視されるのも不思議はない。特に、4月下旬、ワシントンでの米中首脳会談の際には、別の信仰団体である「法輪功」支持者らが数千人規模のデモをしたり、両首脳の出席する式典で報道陣に扮した女性が「法輪功迫害をやめさせて」などと叫ぶハプニングもあった後である。共産主義思想同様に、「宗教は国家運営に奉仕すべし」という考え方を譲るわけにはいかないのだろう。

 このように、個人の信仰心に価値をおく宗教と、国家や社会の統一性に価値をおく共産主義・社会主義国家との間には、基本的に矛盾がある。中国には現在、政府寄りのカトリック愛国会に所属する教会と、政府非公認のバチカン寄りのカトリック教会が存在し、その信徒数は合計で400万から1200万人と言われている。中国政府にとっては、法輪功の支持者より数のずっと多いこちらの方が、きっと“潜在的脅威”として映るのだろう。中国経済の自由化の中で、思想や信教の自由がどのように進展していくのか、それとも後退していくのか。隣国の我々には目を離せない問題だと思う。

谷口 雅宣

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