じゃんけんいろいろ
前回は、じゃんけんをするロボットを題材にやや深刻な話をしてしまったが、このじゃんけんは「石拳」とも書き、中国の「本拳」から来たらしい。「グー」が石、「チョキ」(または「ポキ」)がはさみ、「パー」が紙であることは誰でも知っているが、私は子供のころ、パーがグーに勝つ理由に何となく納得できなかった。「紙は石を包んでしまう」というのが理由だろうが、石は紙に包まれても痛くもかゆくもないし、硬い石は紙などすぐ破ってしまうと考えたからだ。しかし、それはゲームの中の決まりごとだから、抗議することはもちろんなかった。
中国の本拳は、西方のペルシャに伝わり、やがてイタリアのモーラ(morra)になった、と平凡社の『世界大百科事典』には書いてある。これは親と子に分かれて対峙し、親指、人差し指、小指のいずれかを出して勝敗を決める。掛け声とともに指を出して、双方が同じであれば親が勝ち、違っていれば子が勝つという。
日本とイタリアのじゃんけんを混ぜたようなのがインドネシアにはある、と今日(29日)の『日本経済新聞』に書いてあった。「多文化理解事典」というインターネットのサイトを運営している松岡浩彦氏の文章で、親指が象、人差し指が人間、小指がアリなのだそうだ。象は人間に勝ち、人間はアリに勝ち、アリは象に勝つのだという。小さいアリが巨大な象に勝つ理由は、「アリが象の耳に入り、あまりのかゆさに象が倒れる」らしい。
松岡氏によると、フランスにもじゃんけんがあり、「井戸」「石」「はさみ」「葉っぱ」の4つで争うという。「石」「はさみ」「葉っぱ」は、日本のグー、チョキ、パーに相当するが、「井戸」のときには手を筒状に軽く握って出すという。勝ち負けを不等号で表すと、「井戸 > 石 > はさみ > 葉っぱ > 井戸」という関係になる。最後の関係は、「葉っぱは井戸をふさいでしまう」からだ。イタリア以外の欧州にもじゃんけんはあり、東南アジアのベトナム、フィリピン、ミャンマーのじゃんけんは、日本のと似ているらしい。
こうやって並べてみると、「じゃんけん遊び」は結構、普遍的なもののように思える。とすると、その背後にある「考え方」も普遍的なのかもしれない。つまり、「世の中には絶対的に強いものは存在しない」という考え方が、じゃんけんの背後にはあると思うのである。もしそうであれば、王権神授説を唱えた絶対君主や、何よりも強力な(all-powerful)唯一絶対神を奉じてきた欧米諸国でのじゃんけん遊びには、何か不思議なものを感じる。
話は少し飛躍するようだが、この“じゃんけん思想”は、輪廻転生の考え方とも関係があるかもしれない。なぜなら、仏教などで教える輪廻転生では、人間は業の力によって前生や次生では動物や植物である可能性をもつのだから、どんな生物も“絶対の力”をもってはいない--との結論が導き出されるからだ。輪廻転生の考えは、古代インドのウパニシャッドの中にすでに見られるが、実は、西洋文化の原点の一つである古代ギリシャ思想の中にもある。プラトンは『パイドン』の中で、人間の魂はこの世からあの世へ行って生活し、またこの世に帰ってくるとし、大食い・大酒のみ・不摂生者はロバに生まれ、専制・貪欲者はオオカミや猛禽類に生まれ、市民道徳を守る善良な人々はミツバチやアリや人間に生まれる、という考えを披露している。
今度じゃんけんに負けたときには、「オオカミやロバに生まれなくてすんだ」と考えてはどうだろう?
谷口 雅宣
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