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2006年5月17日

不妊治療の進歩の陰に

 不妊治療に「胚盤胞移植」というのがあることを、初めて知った。「胚盤胞」とは、卵子が受精後5~6日たったとき、受精卵の内壁に将来、胎児に育つ細胞群が固まって形成された状態のものを言う。この細胞群を取り出して培養できる状態になったものが有名な「ES(胚性幹)細胞」である。胚盤胞移植というのは、体外受精後、胚盤胞の状態にまで育った受精卵を子宮に移植することである。これによって子宮への着床率が向上するというのが、メリットとして挙げられている。5月16日の『日本経済新聞』(夕刊)によると、通常の体外受精--2~3日の培養で子宮へ移植--では妊娠率が20%なのに対し、胚盤胞移植だと30%に向上するらしい。そして、平成15年に生まれた新生児の65人に1人は、その他の方法を含めた体外受精によって生まれているという。
 
 私は現代の日本で、これだけ多くの子が不妊治療を経て生まれているのを知らなかった。日本産科婦人科学会の報告書によると、平成15年に各種不妊治療で誕生した出生児の数は、以下の通りである:
 
 ①新鮮胚(卵)によるもの
  (顕微授精を含まない)        6,608
 ②顕微授精(新鮮卵)による     5,994
 ③凍結胚(受精卵)による
  (顕微授精を含む)            4,793
 ④未受精凍結卵による
  (顕微授精による)               5
                     (合計) 17,400

 ところで、胚盤胞移植の妊娠率をさらに向上させるためには、「凍結融解胚盤胞移植」という方法があるそうだ。これは、胚盤胞まで育った受精卵を一度凍結保存しておき、月経の周期に合わせて(またはホルモン投与によって)最も妊娠しやすい時期に解凍し、移植する方法である。生きた受精卵を凍結するからリスクが増えると思いきや、2~3日の受精卵よりも胚盤胞の段階での凍結の方が、解凍時に胚の質の確認がしやすいので着床率が向上するらしい。最近では、体外受精で1人目の子の出産に成功した人が、そのときの“余剰胚”を凍結保存しておき、数年後にそれを移植して2人目を得るケースも珍しくないという。特に、1人目と2人目の子の間が離れている場合--例えば、1人目を早く生んだ後、仕事のため妊娠を避けていた場合--35歳以上の女性の卵は急速に老化するため、若い頃の凍結受精卵を使う方が有効だという。
 
 こういう技術の進展によって、一昔前には妊娠を諦めねばならなかった女性たちが、自らの子をもてることは喜ばしいことかもしれない。が、その一方で、昔は“ブラック・ボックス”で人の介入ができなかった受精・妊娠・出産の過程がより明らかとなり、それへの人為的介入の機会が増えてきたことで、「どこまで介入し、どこから介入できないか」という新たな倫理的問題が生まれている。例えば、上記の凍結受精卵の問題では、1組のカップルが若い頃に受精卵を凍結した後、数年後に別れたり、離婚したり、あるいは一方が病気や事故で死亡した場合、受精卵の扱いはどうなるのか。一方に無断で妊娠できるのか。廃棄には双方の承認が必要か。受精卵に遺言で財産分与ができるのか……等々、倫理的、法的問題の解決が求められるだろう。
 
 実際、同学会の「平成16年度事業報告」にも書かれているが、香川県高松市の産婦人科医は、死亡した夫の凍結保存精子を用いた体外受精・胚移植を実施していたことで、同学会の会告に違反したとして厳重注意されている。この場合、妻と相手の男性は結婚していなかったことが問題になったが、さらに調査の結果、体外受精と胚移植の時点で、夫の死亡を知らなかったという事実が判明したという。社会の複雑化とともに、生殖医療についての倫理問題もますます複雑化する。不妊治療の進歩の陰には「人間の命を手段として操作する」という倫理問題がある。また、「受精卵や胎児に人権はあるか?」という宗教とも深く関連した問題が横たわっているのである。
 
谷口 雅宣

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