“ネコ中毒”にご注意
今朝(5月26日)の『朝日新聞』の「声」欄に、東京・品川区の33歳の主婦の「野良猫や鳩に餌やらないで」という趣旨の投書が出ていた。公園の目の前に住んでいる人だそうで、その周辺に棲みついたノラネコや鳩に餌をまく人がいるのに憤慨しているのだ--「公園内は猫や鳩の汚物でとても臭くなった。保育園児たちが遊ぶ公園なのにやりきれない。園児たちが砂遊びをすると、ふんをつかんでしまうこともしばしばだ」という。フーン……と私は考える。小さい子をもつ親の立場からすれば、当然の意見だろう。子供は小さいときは、何でも本能的に口の中に入れてしまうことがあるから、一歩(一手?)間違うと大変なことになる。で、この主婦は「自分で責任を持たないような行為はやめていただきたい。可愛いと思うなら自宅で飼えばいい。下の始末もしないのに、餌だけまくなんて無責任すぎる」と続ける。
実に簡潔な正論だと思う。まぁ、投書欄だから文が短いのは当然だが、しかし、これだけでは正論すぎて、何かが足りないと感じる。ネコは動物だから法的な責任は追及できない。とすると勢い、ネコの行為にマズイ点があった場合、それをネコに親切にする人の責任だと考える。気持は分かるのだが、何か“濡れ衣”のような気もする。
私がネコだったら、何と言って反論しよう……
ノラ--チョット待ってよ、人間のお母さん。アタシだって、好きこのんでノラやってるわけじゃないんよね。もともと飼いネコしてた母ネコが、アタシを産んだんよ。でも、口べらしに捨てられちゃってね、ヒイヒイいいながらここまで生きてきたんよ。で、最近、アタシのこと好いてくれるオバサンが出てきてね、エサくれるようになったんよ。そりゃーうれしかったよ。だって、飢え死にしなくてすむし、食いもんのことで強そうなノラとケンカせんでもいいからね。だからね、そのオバサンにニャオーーってお礼言ったらね、オバサンもうれしそうにチャーオーって言ってくれてね、ここに人間とネコとの“こむにゅけーしょん”とかいうのができちゃったわけ。これって何かイケナイことかにゃ~?
主婦--アンタはネコだから、黙ってなさい。アンタには人間の都合なんて分からないんだから、そこらじゅうにフンをしても平気なのよ。私はフケツで見てられないの!
ノラ--でも、フンをしないと生きていけんよ。人間だってフンするでしょーに。
主婦--人間は決まったところでキレイにフンするから、それでいいの。アンタはネコだから、そういうことが分からないの。まったくバカなんだよ、ネコってのは!
ノラ--アタシがネコだってこと怒ってるの? なぜかなぁ…… でも、アタシがいない方がいいんだったら、どうしてエサをくれるのかなぁ~。
主婦--ネコに言っても分からないと思うけど、人間にはネコ好きとネコ嫌いがいるのよ。それで、ネコ好きがアンタたちを甘やかせるから、ネコ嫌いが迷惑するの。だから、これは人間社会の問題なの。アンタたちはスッコンデいなさい。
ノラ--スッコンデいるって、どうすればいいの?
主婦--人間にカカワリを持たないでってことよ。
ノラ--アタシは別にカカワリなんて持ってないよ。親切なオバサンがカカワリを持って来てくれるんよ。
主婦--そんなことわかってるよ。だから、そのオバサンがいけないって言ってるでしょ。
ノラ--アタシが悪くないなら、なんでそんなコワイ顔してアタシを見るのぉ?
主婦--私はネコ嫌いなの。分からないの! アンタの存在自体が悪いのよ。
ノラ--ソンザイジタイ……? むずかしくてわかんないにゃ~
主婦--もう、向こうへ行ってよ。シーッ、シーッ!
ノラ--そりゃぁね、すぐ行きますよ。アタシだって、人間にはアタシを嫌うのと好きなのと2種類あるってことぐらい分かってんだから。で、そんなときにね、アタシを好きな人間にお礼をしてるだけなんよ。でもね、人間って気まぐれだから、エサもらいながらいきなり蹴られることもあるんよ。だからね、いつも上目づかいで、ケイカイシンをもってね……。そうやって生きてきたんよ。これからも同じだけど……。人間は信用できんからね。
昨年10月21日の本欄で「ネコとの共存」について書いたが、ネコと人間との関係は「好き嫌い」だけでは説明しきれないものがあると思う。永い年月の間に、人とネコとは近い場所で共存するように互いの性質を進化させてきた。しかし、人とネコとは違う種なのだから、それなりの「距離」は必要と思う。最近は、そういう距離を忘れてしまって、文字通り「ネコかわいがり」をする傾向があるようだが、それは一種の“中毒”ではないだろうか。中毒と動物愛護の違いは、前者は、対象の動物がいないと苦しくなり、対象を独占したくなり、対象に依存してしまうが、後者にはそれがない点である。相手がいなくても苦しまず、相手を独占せず、相手に依存しない。にもかかわらず、相手の存在を喜び、相手をも喜ばす--こういう点を、むしろネコから学ぶべきだろう。
谷口 雅宣
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コメント
我輩も猫である。
名前はもう付いている。
「ノラ」だそうである。
場合によっては「コラ」とも呼ばれるのでそうかも知れない。
本当は定かではない。
我が輩たちを目の敵にするご仁がいるが、我が輩たちはそれほどワルサはせんぞ。
せいぜい、公園の砂場に糞をしたり、植木をいたずらする程度じゃ。腹がすいて、どうしようも無いときにはゴミあさりをして少しは散らかすこともあるがの。
まぁ、春先には異常とも思われる声を発することもあるが、それは子孫繁栄ためじゃ。許せ。
まっ、我が輩らのワルサはその程度じゃよ。
ところで、人間様はその程度の我が輩等のワルサに比べて如何なもんじゃろうな?
自分の生んだ子を殺したり、自分の親を殺したりと、我々「畜生」と呼ばれているもんでもそこまでは落ちぶれてはいないぞな。
この前なんぞ、火の付いた煙の出るゴミを、消しもしないで捨てていた。間違って近所の「タマ」という雄猫が足に引っ掛けて火傷をしちゃったよ。「タマったもんじゃねぇ」と嘆いてたよ。(親父ギャグじゃな)
どうも、人間様はこの世で一番偉いと思っているらしい。
男女同権とか、人種差別とかで人間様同士では差別は少なくなったらしいが、我が輩やカラスやゴキや蚊たちのことは目の敵じゃよ。
我が輩やカラスなどはせいぜい大きな声をあげられたり石を投げつけられたりする程度じゃが、ゴキや蚊なんぞは煙で蒸されたり、毒ガスを引っ掛けられたりと生き死ににかかわる問題じゃ。
猫でも飼い猫は別待遇じゃな。これは人間様の世界で言われる格差の拡大かのぅ。
まぁ、時代は変わって我が輩のような「ノラ」でもパソコンやらを使える時代になったんじゃ。
今度、神様に人間様の行状をつぶさにチクル、いやいや、メールしたるからな
気イツケヤ!!
投稿: 克舟 | 2006年5月28日 16:16