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2006年4月24日

谷口輝子先生を偲んで

 春の晴天の中、谷口輝子聖姉十八年祭が長崎県西彼市の生長の家総本山の谷口家奥津城の前で厳かに行われた。以下は、約400人の参列者を前に行った私の挨拶の概略である。

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 皆さん、谷口輝子先生の十八年祭にお集まり下さり、有難うございます。
 ちょうどこの時期は、春のよい季節なので、私は先生のお墓のある総本山へやってくるのが好きなのであります。木々の若芽が萌え出で、花が咲き、鳥がさえずり、虫が飛び交っています。それだけでなく、4月からは日本では「新年度」が始まり、学校は新学年となり、新入生を迎え、また社会では新入社員や新入職員を迎えます。国も新年度予算の執行が始まります。このように自然界も人間界も“新しい芽吹き”や“新しい息吹”に溢れます。そういうものを周囲にいっぱい感じていると、私たち人間も、何か新しいことをしたくなってくるのであります。

 どうでしょうか、皆さん。4月になって何か新しいことを始められましたか? 今日は、長寿ホーム練成会の最中だそうですが、どんな歳になっても、人間は新しいことを始めることができます。それは人間は神の子で、常に新生しているからです。生長の家総裁、谷口清超先生はただ今、ご自宅で静養中ですが、ごく最近になって新しいことを始められました。私は最初、先生は冗談を言っておられるのかと思いましたが、数日前のことです、朝のご挨拶を申し上げたときに「バイオリンを買ったよ」とおっしゃるのです。私は夜に見た夢の話でもされているのかと思ったのですが、先生は本当にバイオリンを買われて今、練習を始めておられます。

 さて、輝子先生はたいへん「愛」の深い方でありましたが、信仰に裏打ちされた「知恵」を兼備された方でもありましたから、「正しさを貫く」という強い面をもっておられました。つまり、「愛」の中にも煩悩に属するものがあり、愛するもののためには信仰的に、あるいは倫理的に間違いであることをやってしまう人が案外いるのであります。そういう例は、週刊誌なんかにいっぱい載っていますネ。「愛のためには何でもやる」という話です。しかし、輝子先生は「信仰に照らして」あるいは「神の御心に照らして」正しい愛とは何かを追究され、実践された方でもあります。
 
 昨年のこのお祭では、先生の『愛の相談室』というご本から、「信仰にもとづく愛」の例を紹介しました。夫の愛をつなぎとめておくために妊娠中絶を繰り返す妻の相談を訊いて、先生が指導された例でした。今日は、そういう「人間への愛」ではなく、それよりも一回り大きい「自然への愛」--人間以外の生物をどう愛するか? という問題について、輝子先生の御文章から学んでみたいと思うのであります。
 
 昭和47年に出された『人生の光と影』(日本教文社刊)という先生の書物がありますが、その中で輝子先生は「生きとし生けるものに愛」という文章を書いておられます。そこでは、華道家の安達瞳子さん(故人)が書いたものを読んで、不思議に思われたと書かれています。安達さんは、安達流創始者である父君から「一生、花を切るときには“ご免なさい”と言いなさい」という教えを受けたそうですが、若いうちはそれを守っていたけれども、長ずるにしたがって疑問が湧いてきたそうです。そんなことをしていたら、ホウレンソウもキャベツも食べられないからです。しかしその反面、スミレの花を過って踏みつけると「ご免なさい」という言葉が心から出る、というのです。
 
 輝子先生は、この安達さんの文章の中に「草は羊に食べられ、羊は人間に食べられるのが幸せなのだ」という考え方が“西洋的な自然観”だと書いてあることを疑問に思われた。そして、旧約聖書の『イザヤ書』の第66章3節に書かれた、次の文章を本の中で紹介されています:
 
「……牛をほふるものは人を殺す者のごとく、子羊を生け贄とするものは狗(いぬ)をくびり殺す者のごとく、祭物(そなえもの)を献ぐるものは豕(いのこ)の血をささぐる者のごとく、香をたくものは、偶像をほむる者のごとし、彼等は己が途をえらみ、その心に、にくむべき者をたのしみとせり。我もまた災禍(わざわい)をえらびて彼等に与え、その懼(おそ)るるところの事を彼等に臨ましめん。そは我よびしとき応うるものなく、我かたりしとき聴くことをせざりき。わが目にあしき事をおこない。わが好まざる事をえらみたればなり」
 
 ここでは明らかに、神は動物を殺すことを「わが好まざる事」だと言われている。そして、西洋のほとんどの国がキリスト教徒の国だから、「エホバの誡めを守って、生きとし生けるものの生命を侵すべきではない」と仰っています。生長の家は今、真理宣布の運動と同時に、地球環境保全の活動も盛んに進めていますが、この活動はまだまだ不足しているのであります。その大きな理由の一つは、人間が自分たちの快適な生活を維持し、拡大していくためには、人間以外の生物をどう利用しようと、どう扱おうと、どう作り変えようと自由だと考えている人々が多いからです。このために、多くの生物が犠牲になっています。
 
 今年の1月にはブラジルのサンパウロ市で「世界平和のための生長の家国際教修会」が行われましたが、そこでのテーマは「肉食と世界平和」でした。この7月には、東京でも同じテーマで生長の家教修会が行われます。そこでは、人類が肉食をふやしていくことが、戦争につながるということを学びます。それは、家畜を育てるために新たに森林が伐採され、飼料用の穀物栽培がふえるので人間が食べる分が減少し、さらに家畜が排出する温暖化ガス(メタンガス)が増加して地球温暖化が進み、人類の貧富の格差がさらに広がるからです。

 他の生物を犠牲にすることで人間が繁栄するという考えは、幻想でしかありません。それがすでに『イザヤ書』の時代に宗教では教えられている。そのことを輝子先生は、ここで教えてくださっているわけです。私たちも今日の十八年祭を機に、「天地一切のものと和解せよ」「すべてのものは神に於いて一体である」という大調和の教えをしっかりと心に銘記して、感謝と伝道の生活に邁進したいと思うわけであります。
 
 輝子先生の祥月命日に当たり、感じたことを申し上げました。ご静聴に感謝いたします。
 
谷口 雅宣

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コメント

>>他の生物を犠牲にすることで人間が繁栄するという考えは、幻想でしかありません。<<

先生の仰る通りだと思います。

食物連鎖の頂点にある私たち人間は、あらゆる生物の犠牲の上に生命を繋いできました。そしてこれからもあらゆる生物の犠牲の上に生命活動を続けて行くことでしょう。
また私たち日本人も、世界の途上国と言われてきた国の森林などを破壊しながら経済の拡大を図ってきました。
そのように豊かさの影には犠牲が伴っていたことを忘れてはならないと思います。
日本中の人が、食事をするときに「いただきます」「ごちそうさまでした」という言霊を発することが出来るならば、あらゆる生物の命の尊さをもっともっと感じるようになると思います。

ある方が「地球を一つの生命体と考えると、人間は癌細胞である」と言っていました。
感謝と反省を深め、生かされていることに気付いていかなければと思います。

物に囚われない本当の繁栄を願う者です。有難うございました。


投稿: 太田高明 | 2006年4月25日 02:04

合掌

先ずは
谷口輝子聖姉十八年祭に際し、
谷口輝子聖姉のご冥福をお祈り申し上げます。

<< 神は動物を殺すことを「わが好まざる事」だと言われている。そして、西洋のほとんどの国がキリスト教徒の国だから、「エホバの誡めを守って、生きとし生けるものの生命を侵すべきではない」と仰っています。 >>

動物は殺して食してはいけないが、植物は殺して食しても宜しいのでしょうか?
花も木も、草も、野菜も生きているのですよね。

その辺のところが、今ひとつ理解できないものですから、ご教示願います。

投稿: 佐藤克男 | 2006年4月25日 06:27

佐藤さん、

 18日に書いた「竹林に行こう」を読んでみてください。
 タケノコを食べることは、竹を殺すことですか?
 「竹」という植物は、どこからどこまでが個体でしょうか?
 竹に「個生命」はあるのでしょうか?
 「京野菜」という独特の野菜がありますが、京野菜を育てて食べ続けることは、京野菜を育てることになりますか、それとも京野菜を絶滅させることになりますか?

 こういう質問に答えようとすると、貴方の質問にも半分ぐらい答えることになるのではないでしょうか?

投稿: 谷口 | 2006年4月25日 10:25

谷口 副総裁先生

そうですね 竹の子はいくら採っても死にはしません。
京野菜もそうですね
稲もそうですね リンゴもそうですよね

でも、牛や豚や鳥や動物は違いますね
そのような意味から言った場合、
卵は宜しいわけですね?

ありがとうございます
感謝合掌

投稿: 佐藤克男 | 2006年4月25日 18:32

実は先生のたけのこの御文章を読み、さっそくスーパーで購入し調理いたしました。あく抜きに米ぬかや米のとぎ汁を使うとよいのですが、実際に環境問題にプラスだと感じました。今のスーパーは一年中、たけのこの水煮が売られていますが、湯でたてのたけのこはズバリ、とうもろこしのような甘さとはっきりした歯ごたえがありました。ふきと厚揚げを薄くきったものと炊いたのですが、おいしかったです。ふきも熱湯で3分ゆでて水にさらし筋をとる作業をしました。おいしかったです。「旬の香り」が季節の野菜にはふんだんにあり、大切なものだと思いました。みなさまも、お試しください。

投稿: 尾崎伸行 | 2006年4月28日 23:09

尾崎さん、

 あなたは料理が得意のようですね。どちらにお住まいですか?

投稿: 谷口 | 2006年4月29日 14:29

合掌。ありがとうございます。
実は大阪市城東区という町の真ん中に住んでいます。
工場がいっぱいあり、先生のような新鮮なたけのこではなく
スーパーで小ぶりのたけのことふきを買いました。
旬の日本で取れる野菜の香りこそ
五感だけでなく心の隅々をみがく大切な古来からの日本そのものかもしれません。

今から寒天をつかったゼリーに挑戦します。

投稿: 尾崎伸行 | 2006年4月29日 20:49

尾崎さん、

>> 旬の日本で取れる野菜の香りこそ五感だけでなく心の隅々をみがく大切な古来からの日本そのものかもしれません。<<

 私は大阪はよく知らないのですが、スーパーで売っているタケノコは京都のものですか? 東京のスーパーでは中国産をゴマンと売っていますが…。

投稿: 谷口 | 2006年4月30日 17:31

合掌。ありがとうございます。

ああ、そうなのか。。。と思いました。
中国産のたけのこは多いでしょうね。。。
私がスーパーで買ったものには札が立てかけてあり
「福知山産」とありました。
まさに先生のおっしゃるとおり、水煮の加工品を含め
中国産のものは多いかもしれません。

値段にしても
水煮にしたものに比べて高く感じる方も多いはずです。
新鮮でおいしいものなのに
私たちは全く違う商品として
たけのこをいただいているのかもしれません。

何種類ものたけのこ、、、、
本当のたけのこは何処へ。。。
ご近所からのいただきもののたけのこは
安心で、本当にあたたかいでしょうね。。。

ありがとうございます。

投稿: 尾崎伸行 | 2006年4月30日 20:47

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